2013年 100km Walk

 
◆中江 悠(10期生・サポーター)

晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行サポート・レポート           2013年6月6日
「学びと感謝 8か月間で得たもの」




1 はじめに
 河原に集まった400人を超えるチャレンジャー、そしてサポーター。熱気に包まれた後楽園河川敷に、様々な思いを抱えた人々が集まり、昨年よりはるかに大きな規模で晴れの国おかやま24時間100キロ歩行は行われた。
 そして、今年もこの大会の中でたくさんの学びと感謝が生まれた。

2 会議 〜責任の所在〜
 一般のチャレンジャーとサポーターを迎える今大会。チャレンジャーの安全と大会の成功を目指して大会当日まで多くの会議を行ってきた。
 今回会議に参加してきて思ったこと。それは会議の中で協議の時間が占める割合が多すぎて、決定したいことが決定できないということだった。まだ一般参加を募集して2回目ということで大会運営のノウハウが少ない部分は多分にある。しかし、最大の原因は責任の所在を明確にできていなかった部分にあるように思う。「誰が、いつまでに、何を、どのように」、担当し決めるのかが明確ではなかった。
 担当者のいない協議事項は会議でゼロから協議するしかない。そのため膨大な時間がかかる。担当者が決まっていれば会議までに担当者が検討・提案をして、会議当日はその案に従って検討を行い決定すればよい。
 また、責任を負っている人は膨大な仕事をこなし、責任のない人はほとんど仕事を担当することなく、そもそも会議に出席することすらしない人もいた。
そのような構図が会議の中に出来上がっていたのは事実であるし、その構図をそのままにしていた責任は私自身にもある。各々仕事や家庭を抱え100キロのことに時間と労力を割くのが難しいということもわかるし、仕事を無理強いするのは気が引けるのも確かである。
 しかし、チャレンジャーの安全と大会の成功を目指すならば、誰かが行動しなければそれを成し遂げることはできない。来年も大会をするのであれば、次回は責任を明確にした大会運営を行いたい。

3 ルート班 〜出会い〜
 私の担当はルート班だった。ここでは偉大な2人の先輩に出会うことになった。2期生の能登さん、5期生の石川尭さんである。
 二人とも昨年の100キロ歩行にルート班として参加し、たくさんの協力をしてくださった。
 とにかく行動の早い二人を見ていると、いかに自分が言うだけで行動していないのかを教えられた。自分の人生のモデルとしてたくさんの学びをもらうことができた。この出会いをくれたという意味でも100キロ歩行に感謝である。

4 当日 〜誤算と反省〜
 当日の私の担当はチャレンジャー担当(前半)だった。チャレンジャーの集団の先頭から真ん中あたりまでを見て、先頭の進み具合に合わせて各誘導ポイントの設置を指示していった。
 40キロまでは順調だった。先頭は今までの100キロ歩行には例を見ないほどの速さで進んでいたが、各サポート班長のおかげで50キロの伊里漁協まではサポートすることができた。しかし、この先誘導ポイントの設置が間に合わなくなることは明らかだった。
 先頭に人員を付けて切り離して誘導することは考えていたが、自分がサポートについてしまうと2位以下の把握とそれに合わせた誘導ポイントの設置ができなくなってしまう。シミュレーションが不十分だったのは事実であった。
 結果的には、7期難波さんの機転で、ゴール担当で後楽園に向かう人を見つけて誘導についてもらうことができたが、来年からはトップの対応を行う人がいたほうがいいと感じた。もしくは、サポートポイントの通過可能時間を設けて、早すぎるチャレンジャーは通過できないようにするかなど何らかの対策が必要に思う。ぜひ来年に向けて検討していきたい。

5 ドラマ 〜感動・感謝〜
 5月4日午前8時45分、タイムアップまで残り1時間少々、私は90キロ地点のサポートポイントに立っていた。チャレンジャーの数はまばらになり、90キロまで向かって歩いている人は残り20人強。正直この時間に90キロ地点に来るチャレンジャーのゴールは厳しい。
 そんなことを思っていると、遠くから歩いてくる1人のチャレンジャーがいた。昨年娘さんとチャレンジしてリタイヤされた人だ。昨年練習会担当だった自分はこの人のことをよく知っていて、大変親しみのある人だった。
 その人が90キロ地点にやってきて「まだ間に合いますか?」と一言。内心(正直厳しいな)と思いつつも「まだ行けますよ!」と返してその場を見送った。
自分の言ったことは無責任な一言だったんではないかと思い考え込んでいると、同期の石川さんから「伴歩してきたら?知ってる人なんでしょ。」と声をかけてもらった。そして、この一言に背中を押され、後先考えずに走り出した。
 スニーカーにジーパン、防寒対策のダウンジャケット、ヒートテックの上下、そして手には100キロの資料を挟んだファイル、と走るにはかなり不向きな恰好だったがこの人をゴールさせたいという思いで走り続けた。90キロの道のりを歩いてきた人をさらに走らせるなんて「人でなし」かもしれないと思ったけれど、何としてもゴールしてあの達成感を味わってほしかった。
 昨年練習会担当として接していながらもゴールさせることができなかったから、きっと今その責任を果たす時だと自分に言い聞かせて走った。涙が出てきた。
 城下の交差点で迎えてくれた9期生井上さんに残りの伴歩をお願いした。吐き気と水分不足でふらふらしながら蓬莱橋を渡っていると、ちょうど目の前でゴールする姿を見ることができた。タイムは23時間55分。走らなければ間に合っていなかった。
 ゴール後に一緒になって喜んでいると、やはり涙が止まらなかった。自分自身心の底から人のために何かをしてあげたいと思えたことも収穫であったし、なにより時間内にゴールしてもらえたのが嬉しかった。この感動と体験をくれた100キロ歩行に感謝である。

6 おわりに
 今年の100キロが終わった今、心にあるのは無事に大会が終了できたことへの安堵と、今年もまた貴重な体験ができたことへの満足感である。ただ、今年できなかったことや反省点、課題も山積みである。来年へ向けてこれらの課題を検討し、この感謝と感動の100キロ歩行が更に発展していくことを願いたい。
 最後に、今年も数々の貴重な体験をさせていただいた100キロ歩行、岡山政経塾、多くの指導をいただいた小山事務局長、ともに多くのことを学んだ100キロ歩行研究科の皆様、そして100キロ歩行に参加していただいたチャレンジャー・サポーターの皆様に感謝申し上げます。本当にありがとうございました。