2013年 100km Walk
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◆小坂 和也(4期生・サポーター)
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晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行サポート・レポート 2013年5月19日
「9回目の24時間100キロ歩行」
「24時間100キロ歩行」と出逢って9回目のGWとなる。
(1回目〜8回目)
1回目:(サポーター)大会直前に入院、現役塾生でありながらサポーターとなる。
2回目:(チャレンジャー)卒塾後、初参加、あまりの辛さに77キロでリタイア。
3回目:(チャレンジャー)奇跡的に100キロ完歩、やっと「岡山政経塾」で発言権を得る。
4回目:(サポーター)同期の沢良木の完歩に感動する。
5回目〜7回目:(サポーター?)参加はしたが、記憶に残っていない。
8回目:(サポーター)県民大会となり、「御家の一大事」に奮起、30時間サポートを体験。

(そして今回)
9回目:(サポーター)仕事の都合で3日のみサポート。
今回、私の現在の職場である「アークホテル岡山」から、林秀幸が参加した。
林から参加の意思を聞いた時は驚いた、今年は、GWにしては珍しく、ホテルの宴会は忙しく、彼は宴会サービスのキャプテンなのだ、当然、大会後に休みが取れるはずもなく、会場で肉体労働をしなくてはならないのだ、それもホテルマンらしくスマートに。
しかし、参加する以上完歩してもらいたい、彼は「午前2時頃ゴールして、夕方から仕事をします」などと、さらっと言う始末、こいつは自信家なのかアホなのか?
心配性の私は、彼を車に乗せ100キロのコースを走り、細かくアドバイスをした。
少しは不安になったかと思ったら、彼は「いけそうですね」とまたまたさらっと言う。
おせっかいな私は彼に、100キログッズ(バッグ・帽子・防寒用カッパ・スプレー等)を貸し、「モノ・身体・心」の準備について私が知る限りの話を何度もした。
しかし、多忙な彼が、練習したという話はほとんど聞かないまま当日を迎える。
今回の私の担当は、受付での荷物預かり、24キロ地点の誘導だった、彼は予定通り、時速6キロで通過、その後、40キロ地点も時速6キロで通過、そこまで彼を見届けたが、その後はどうなったか分からなかった。「100キロくん」で確認すると、50キロぐらいまで時速6キロで歩いた様だが、その後、急速にペースダウン、午前7時41分にゴールをしていた。
彼に聞くと、最後の10キロは大変だったらしい、当日、夕方から仕事をすると言っていたが、足が動かないという事もあり、休む様に伝え、「途中までは才能で歩けるが、後半は練習量の差が出る」と分かったような事を言っておいた。
翌日、5月5日はホテル主催のディナーショー(昼・夜2回公演)があり、彼は足を引きづりながら出勤した、スマートなホテルマンはお客様の前では、すまして歩いていたが、裏では辛そうだった、その姿を見ながら、私は「これが100キロの痛みだ」と1人にニヤニヤしていた。しばらく、彼とは100キロの話題で盛り上がれそうだ。
また、今回の参加者の中に、スポーツ用品店オーナーの茂成さんがいた、「人に薦めるだけじゃなく、自分も歩きます」と言っていた、彼は、8年前、私が「24時間100キロ歩行」に参加するので、歩けるシューズを選んで欲しいと無理な注文に対して、最適なシューズを選んでくれ、さらに半額にしてくれ、ソックスも付けてくれた。
私は、「あなたが選んでくれたシューズで完歩ができ、今でも現役で愛用しています」と彼に告げた。彼は素晴らしいタイムでゴールをした、さすがです。
来年は、私にとって10回目の「24時間100キロ歩行」となる、決してもう一度チャレンジするなどど言いません、だってGさんの怖い例がありますもん。
最後に小山事務局長・研究科の皆さん・サポートに関わった皆さん、ありがとうございました。
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