2013年 100km Walk
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◆久山 浩樹(一般参加・ゼッケン:4)
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晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート 2013年5月10日
「晴れの国おかやま24時間100km歩行2013参加レポート」
私は赤磐市(旧山陽町)の生まれ育ちで、現在は神奈川県平塚市在住で東京都千代田区に通勤している者です。
5年ほど前から長距離ランニングを趣味とするようになり、フルマラソンは何度か完走しています。また今年の3月には、小豆島で開催された「小豆島・寒霞渓100kmウルトラ遠足」で、生涯初の100kmウルトラマラソンを完走しました。生まれつきの鈍足はいくら走っても速くなりませんが(フルマラソンの個人記録が約4時間40分)、楽しみながら健康状態のキープに役立つランニングはもうやみつきです。
長距離歩行の経験は1度だけあります。2011年3月11日、東日本大震災のあった金曜の夜でした。震災の影響で、首都圏の鉄道がほとんど止まってしまいました。千代田区の職場から神奈川県平塚市の自宅まで約65km。ほぼ箱根駅伝の1〜3区の道程です。その道程を、夜18時頃から翌朝8時頃まで、およそ14時間をかけて歩きました。
大震災は二度と御免だけど、長距離歩行はどこかでまたやってみたいと思っていました。そんな時に、岡山政経塾の24時間100km歩行のことを聞きました。私の生まれ育った岡山にそんなイベントがあったなんて!すぐに参加を決意しました。
5月2日は、私の職場は出勤日でしたが、午後を半休にしてもらって、東京駅からのぞみ号で岡山に向かい、実家@赤磐市で一泊しました。
そして5月3日。スタートして最初の8時間は順調に歩きました。1時間5kmを上回るペースで。特に足腰に疲れや痛みなどを感じることもなく。
一番辛かったのが、約50km地点の伊里交差点を過ぎて閑谷学校への上り坂のあたりでした。既に日もどっぷり暮れて、街灯も少ない山道でした。その頃あたりから足腰の筋肉の痛み、そして足の底の痛みが本格化してきました。その頃に、心の中に不安の虫が鎌首をもたげてきた感じは確かにありました。実際、歩くペースも少しずつ遅くなってきました。
ですがそこを過ぎて約60km地点の吉永に抜けたら、不思議と「いける!」と思えるようになりました。足腰の筋肉が痛いのも、足の底や足の指が痛いのも、眠くてヘロヘロなのも、すべて「当たり前」「誰もみんな同じ」。取り立ててどうというほどのことはない。まだ脚は前に動かせる!だからいける!…そこからゴールまで、ひたすら「まだいける!」と呪文のように心の中で繰り返しつつ(時には口に出しつつ)歩いている、そんな自分がいました。
歩いている間(特に夜間)、いろんなことを考えました。前述の東日本大震災の日の夜のこと、それから小豆島ウルトラのことなどをいろいろ思い出しながら歩きました。
4日未明午前2時頃、和気町あたりを歩いていた時のことでした。地元の中〜高校生と思われる男の子が自転車で寄ってきて「今、何やってるんですか?」。それで24時間100km歩行のことを説明したら「マジっすか?!」。こんな地方の小さな町にもまだこんな風な子がいるんだと思うと、なんか嬉しくなりました。
これ以外にも、ウルトラマラソンと比べても他の参加者やスタッフ、沿道の応援者などと言葉をかわす機会が単純に多かったですね。やはり徒歩だから。

私の実家近く(約83km付近、山陽自動車道山陽インター付近)を通過したのは、午前3時頃でした。その頃には既に、信号待ちで立ち止まるとそれだけで寝落ちしそうな状態で、とにかく脚を前に進める以外に持ちこたえる方法を知らなかったし、本当にそれ以外にすることがありませんでした。「まだいける!」とひたすら繰り返しながら。ゴールするまで、それが続きました。
所要時間21時間50分ほどでゴールした後、再び実家@赤磐市に戻って仮眠。その日の夜には新幹線に乗って平塚市の自宅に戻りました。眠いのは仮眠すれば取れましたし、足腰の筋肉痛も2〜3日ほどで取れました。ただ、足の底や足の指は、血が出ていた所もありました。左足の指のうち1本は、爪が半分剥がれていました。結局、ランニングを再開したのは5月10日でした。同じ100kmでも、つい先日の小豆島ウルトラマラソンでは足の爪が剥がれるようなことはなかったかわりに、胃腸や目の調整力など、意外なところが疲れました。
24時間100km歩行、参加してよかったと思っています。歩いている間「楽しい」とは感じなかったけど、逆に「辛い」とも感じませんでした。そして「いい経験をした!」という思いが、日が経つごとに強くなっています。
スタッフの皆さん、参加者や応援者の皆さん、本当にありがとうございました。
以上
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