2013年 100km Walk

 
◆小野 裕司(岡山政経塾 11期生・ゼッケン:104)

晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート             2013年5月15日
「100kmの奇跡」



‐はじめに‐
 5月4日1時49分49秒、後楽園前の最後のTCPを通過。昨年の自分と、今年の100km歩行を思い出しながら、ゆっくりと鶴見橋を渡る。橋の上で何度も何度もガッツポーズを繰り返しながら。


‐奇跡を振り返る‐

 ・再挑戦の思い
  私は昨年の24時間100km歩行を18時間24分で完歩しています。しかし、半年前から準備をしていたのにも関わらず85km地点でエネルギーが切れ、自分の弱さを痛感しました。私は昨年のリベンジを心に誓い、今年もスタート地点に立ちました。目的は昨年の自分を超えること。目標は17時間以内に完歩することに設定しました。

 ・準備の大切さ
  「彼を知り、己を知れば、百戦殆うからず」これは孫子の兵法書に書かれている言葉です。私は昨年の反省を活かして、再度2度の下見を行い、10km毎の歩行速度、利用するコンビニ、食事の量と時間等をあらかじめ決めて100kmに臨みました。また、練習会の責任者を引き受けることで、積極的に練習会に参加し、100kmを歩くための体作りに励みました。その結果、行動の無駄を減らし、自分の限界を伸ばすことに成功しました。

 ・仲間の声援
 私は今回の挑戦で3回ランナーズハイと呼ばれる状態になりました。そして、その3回全てが、仲間からの声援によるものでした。1度目は同期の尾上さんと白土さん、2度目は事務局長と8期生の波多さん、3度目は同期の左子さんと出渕さん。そして、その状態を長く支えてくださった、たくさんのサポーターからの声援。すべての声援が今回の奇跡的な記録の原動力となりました。どの声援が無くても、この奇跡的な記録を達成することはできませんでした。

‐仲間の力は偉大‐
 これは最後10kmのお話です。5月4日0時15分に90km地点に到達した私は、自分が設定した目標の達成を確信していました。時速5kmで歩いたとしても2時30分にはゴールできる。そう考えた私は、サポーターの方の椅子を借りて、のんびりと栄養補給を行いながら、4期生の瀧さん、8期生の津村さんと雑談をしていました。私は限界に挑戦することを辞め、今の自分に満足していました。その5分間に12期生の小田さんを含む3人のチャレンジャーが私を追い抜いていきましたが、100km歩行は競争ではありませんし、0時20分、ゴールに向かってマイペースに歩き始めました。
 ところが93km地点に到達したとき、同期の左子さんから
「3分前に12期生が通過して行ったよ。」
(・・・これは追えということか・・・?)
疑問に思っていたところに、同期の出渕さんから
「小野っち、頑張れー!」
(・・・追えということだな・・・)
 そして追いかける覚悟を決めたとき、まるで誰かに支えられているかのように私の身体は軽くなり、再び全力で歩き始めました。その結果、最後の10kmは時速6.9kmで歩いており、これは30‐40kmの時速7.2kmに次ぐ速さでした。仲間の言葉には、これほど強い力があるのだと実感したと同時に、2時代のゴールに甘んじていた私を1時代のゴールという奇跡的な記録へと導いてくれました。

‐おわりに‐
 自分の限界は常に自分が勝手に決めています。私の場合は、自分の設定した目標が限界だと思い込んでいました。そして目標が達成できると確信したとき、そのために必要な力しか使おうとしませんでした。しかし、実際は自分が思うより遥か先に限界はあります。もし、ゴールが100km地点ではなく105km地点だとしても、今回完歩した方の多くがそこまで歩き続けているはずなのです。
 来年はサポーターとして、チャレンジャーの限界を引き出すために精一杯声援を送ることを誓い、レポートと致します。