2013年 100km Walk
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◆片山 準平(岡山政経塾 12期生・ゼッケン:145)
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晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート 2013年5月18日
「3年前の忘れ物」
・3年前の自分
3年前、まだ政経塾関係者のみで開催していた24時間100km歩行。私は岡山政経塾9期生してスタートラインに立っていた。心・体・物、全てに対してろくな準備はしていない。
「まあ、なんとかなるでしょ」
そんなお気楽な思いでスタート。30kmを過ぎた辺りで気づいた。
「やばい…、なんともならない…。」
足は動かず、心は折れ、時速1kmにも満たないスピード。真夜中の閑谷学校への登り坂、事務局長からの説教をいただき、なにくそ!!と継続したが、結局60kmでリタイヤ。悔しくて悔しくて、涙を流しながらのリタイヤであった。
そのリタイヤから多くのことを学んだ。準備をすることの大切さ、物事に取り組むには確固たる決意が必要なこと、そして周りの人に対する感謝の気持ち。これらが欠けていた当時の私にはリタイヤが必要であったのだ。
・感情の変化
そのリタイヤから1年後の100km歩行、再挑戦する9期の仲間の応援に駆け付けた。本当は応援に行く気はなかった。合わせる顔がない。しかし、居てもたってもいられなくなりリバーサイドに駆け付けた。同期だった彼らは見事にリベンジを果たした。本当に嬉しかった。しかし、彼らの再挑戦を目の当たりにし、何かモヤモヤした感情が芽生えた。
「なんだ、この気持ちは…。100km歩行に本気で取り組み再挑戦し、見事にリベンジを果たした元同期の仲間。でも、自分は…。何をしているんだ…。」
翌年の100km歩行は、一般サポーターとして24時間サポートにあたった。そこでも昨年味わった感情がまた湧き上がってきた。
決めた。来年チャレンジし、必ず完歩しリベンジする。
・60km地点にある忘れ物
今年、政経塾に再入塾させていただき、政経塾も100km歩行もリベンジの機会をいただいた。過去に例がないこととは思うが、このようなチャンスを与えて下さったことに心より感謝。ありがとうございます。
3年前のリタイヤ地点にある忘れ物。忘れ物の中身ははっきりと分からなかった。今回の挑戦の目標、それは「100km24時間以内に完歩」これは大前提。もう一つの課題、それは「60km地点にある忘れ物を拾い、忘れ物の中身を明らかにする」
・再挑戦の始まり
前回のリタイヤから学んだこと、準備の大切さ、確固たる決意、感謝の気持ち。再挑戦に向け、準備を始めた。一番は心の準備。必ず完歩するという確固たる決意を持ち、完歩する自分を毎日何度も繰り返しイメージした。完歩するイメージのみを脳に焼き付ける。次に体の準備。練習会にはなかなか参加できない。週に3日は自主トレ。暇があればスローハーフスクワットとカーフレイズ。最後に物の準備。これは前回の挑戦時に買い揃えたものをほぼそのまま使用。問題のあったもののみ買い替え、買い増しをした。準備はできた。しかし、準備すればするほど不安になる。不安を打ち消すために、完歩する自分をさらに強力にイメージし焼き付ける。不安はスタートラインに立つと自然と消えた。
当日のペース配分は体調等を考慮し当日決めた。時速5kmをキープ、早くても遅くてもダメ。4時間の有余は休憩と後半のペースダウンに割り当て、23時間台でのゴールを目指した。
そして当日。当日の私には大きな役割が与えられていた。選手宣誓である。このような大役を務めさせていただくことは非常に光栄であった。しかし、それ以上のプレッシャーがあった。選手宣誓は絶対に成功させなければならない、全チャレンジャーを代表し選手宣誓をするのだから絶対完歩しなければならない。一段と絶対完歩への決意が増した。選手宣誓が終わりスタートラインに立った時、リタイヤへの不安は消えた。
・リベンジスタート
スタートから同期の松田君、仲野さんの3人で歩いた。10kmすぎのコンビニで仲野さんはトイレ待ち渋滞にはまっていた。私は待ちきれず仲野さんを置いて松田君と先に歩く決断をした。この決断が後々の不安材料となるとは…。
時速管理を徹底し、10kmごとの目標タイムを決め、その目標通りに松田君と歩いた。途中足の痛みや寒さなど難関は多々あったが、互いに励まし合い歩き続けた。何度も時速を気にする松田君、それに対し「大丈夫、絶対間に合うから。大丈夫。」と繰り返し答えた。松田君は本当に不安だったのだろう。なにも言わなければ徐々にスピードが上がり、黙々と歩き続ける。そんな彼をうまくコントロールしてあげないと後半に絶対バテる、そう思い常に「大丈夫、間に合うから。大丈夫」を繰り返した。50km通過。
10kmすぎから何か心に引っかかっている…。仲野さんだ。彼を置いてきたしまったことを後悔しだした。そのことが非常に不安で、何か裏切ってしまったような感覚。(これは彼がゴールするまで続いた。)待ってあげたほうがよかったか…、でも共倒れになるのもよくない、いや!彼なら完歩できる!と無理やり自分に言い聞かせ先を急いだ。
60km地点。3年前の忘れ物はそこにはなかった。通過した時も思っていたほどの感動はなかった。そこで気づいた。60km地点は過去の自分が勝手に決めた限界であっただけ。ここは過去の自分を追い抜く通過点でしかないということに。忘れ物はゴールにしかない。
・リベンジ達成
途中60km地点から高校時代の後輩も加わり、私、松田君、後輩の3人で歩いた。3人はお互いを支え合い、信じ合い、励まし合いながら歩いた。苦しくてもあえて厳しい言葉をかけることもあった。どんなに辛く、苦しくとも、歯がすり減るんじゃないかと思うほど歯を食いしばり歩いた。脳内では常に「千里の道も一歩から」を繰り返した。
そしてゴール前。鶴見橋の上で、共に23時間20分、99.9km戦ってきた松田君とこぶしをぶつけながら一言だけ、
「ありがとう。」
23時間22分49秒、完歩。
3年越しのリベンジ達成。
・忘れ物の中身
ゴールしてやっと分かった。しっかりと準備し、本気で取り組む。仲間を信じ続ける。そして、完歩する。このすべてが揃ってやっと分かった。
「決断」と「感謝」
自ら決断し行動する。そしてすべてのことに感謝する。今後の人生に大きな影響を与える学びであった。
・最後に
サポート隊長の小山事務局長をはじめ、24時間全力でサポートしてくださった1期から12期の卒塾生の皆様、炊き出しをしてくださった地域の方々、ボランティアでのサポーターの方々など、24時間100km歩行に関わって下さった全ての方々のサポートなしでは絶対に完歩できませんでした。私は良くも悪くも注目を集めていたと思います。皆様からの叱咤激励のおかげで完歩、さらに大きな学びを得ることができました。心から感謝いたします。 そして、100kmともに戦った松田君。君と歩いていなければ完歩できなかったかもしれない。心から感謝。
24時間100km歩行に感謝。
ありがとうございました。
ps
70km地点での決意。
「途中で置いてきてしまった仲野さんがもしリタイヤした場合は、来年も一緒にリベンジする。」
ギリギリで完歩された仲野さんを見て、やっと気が抜けました。
仲野さん、すいませんでした(笑)
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