2013年 100km Walk

 
◆栗山 千恵(岡山政経塾 11期生・ゼッケン:227)

晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート             2013年5月16日
「人は人に支えられて生きている」



1.はじめに

 100km歩行に参加するにあたって、完歩は当たり前の目標であった。私はその上の目標として、父の記録を抜かすと決めていた。それには、普段から応援はしてくれていたのだが、絶対自分の記録は抜かせまい!と言い張ってきた父を見返したかったからである。そして、歩くにあたってもう1つ自分の中で決めていたことがあった。それは「最後まで泣かず笑顔で歩く」である。この決意を胸に100km歩行に挑んだ。




2.準備

 過去に100kmを歩いた父にアドバイスをもらい、まずは格好から。靴はクッション性が高く、高価なものを選ぶ。5本指靴下は必需品である。そして腰と膝に爆弾を抱えている私は、サポーターを購入した。練習会には一度だけ参加し、OBの方からさらにアドバイスをもらい自分に合った物を揃えた。週に2日、10〜20km程度歩く練習を行った。この時、時速6kmを目安に意識して歩いた。そして寝る前には必ず毎日ストレッチを行うようにした。100km歩行前日、接骨医院に行きテーピングをしてもらった。帰ってからも、スポーツ経験を活かし、水膨れ防止・疲労緩和の為に自分なりにテーピングを施した。



3.100km歩行 当日

 スタート前、12期生で円陣を組み、完歩することをみんなで誓った。カウンドダウンが始まる。ピストルが鳴りみんなが一斉に飛び出した。

3-1.1〜20km間
 ペース配分を気にしながら友達とお喋りをし、気楽に歩いていた。しかし、みんながどんどん私を抜かして行く。ペースはこれでいいのかと不安になった。
 10kmのチェックポイントでサポーターの方に「まだ1/10ですよ〜」と言われ、「あと9/10もあるのか…」と少しテンションが下がった。
 10〜20 km間は、平坦な道がずっと続きとても長く感じた。

3-2.21〜40km間
 まだ平坦な道が続く。ここで友達とはぐれてしまい、ここから独りぼっちになった。
25 km辺りで、とても嬉しいことが。私の友達が応援に来てくれ、1km程一緒に歩いてくれたのだ。少し疲れ始めていたが、一気に回復した。 40 kmチェックポイントの備前体育館では、サポーターの方たちの明るい雰囲気に少し安心感を覚えた。しかし、勾配が激しい道を通って来たため、一気に足が痛くなった。靴を脱いで床を歩くと、すでに普通に歩くことは出来なくなっていた。

3-3.41〜60 km間
 ここからが地獄の始まりだった。だんだんと陽は暮れていく。孤独と痛みとの戦いで一気にペースが落ちた。伊里漁協チェクポイントでは、私より早く着いた12期生がたくさん居た。一緒に戦っている同士だが、ここで負けず嫌いの性格がでて、負けたくないと思い、心の中でメラメラ燃えていた。長く休憩をとると歩けなくなる為、早々と閑谷を目指し歩き出した。しかし暗い夜道、進めど進めど閑谷に着かない。そして痛み止めが切れ、さらに激痛が襲った。そんな最悪のタイミングで、目の前に魔の上り坂が現れた。坂に入る前にストレッチを行う。「よしっ!!」と気合を入れ直し、一歩目。坂がきつ過ぎて、足が前にでない。二歩目、三歩目、こんなにも前に進まないものなのかと驚いた。そして足と腰にかなりのダメージを負った。それでも進むしかないと思い、必死で腕を振り、前へ前へと歩いた。
 やっとの思いで閑谷学校前のトンネルを抜けると、人の声が聞こえ、明かりが見え、とても心がほっとした。

3-4.61〜80 km間
 閑谷学校の時点で、父の記録を抜かすにはすでにギリギリの時間だった。その為、閑谷学校も早々と出発した。ここからが私の怒涛の追い抜きが始まる。閑谷でロキソニンとチオビタを飲んでから、「ランナーズハイ」ならぬ「ウォーキングハイ」になったのだ。痛みは嘘のようになくなり、気付けば時速7〜8キロ程のペースで歩いていた。自分でも驚き、「今の内に歩こう!」と思い黙々と歩き、何人ものチャレンジャーを抜いた。
 川沿いの土手に差し掛かると、その土手は真っ暗で本当に怖かった。その為、偶然近くに1人で歩いていたチャレンジャーの男性に話しかけた。これをきっかけにその男性と一緒にゴールすることを約束した。この出会いが私にとってゴールへの大きな鍵となった。

3-5.81〜90 km間
 長い長い平坦な道が続いた。しかし全く苦ではなかった。1人で黙々と歩いていたより遥かに時間と距離は短く感じたからである。
 80kmを少し過ぎたコンビニで、私をまた元気にさせてくれた出来事があった。それは、私の幼馴染みの友達が3人も掛け付けてくれていたのだ。私は見た瞬間、走ってその友達に駆け寄り抱き着いた。そして数kmほどみんなで楽しい会話をしながら歩いた。
 あの長く感じる、キリンビールの電灯が続く道もへっちゃらであった。

3-6.91〜100 km間
 残り10km。旭川沿いの道の辺りで夜が明けた。明けたことによって見えてしまった遠くまで続く川沿いの道に私の心は折られそうになった。それと同時に私は焦った。このままでは、父の記録を破れない。しかし気持ちとは裏腹に足が前にでない。そんな時、一緒に歩いてくださっていた男性が励ましてくれ、男性の方がもう足が血だらけなのに
 わたしのことを気遣いながら歩いてくれたのだ。最後の数百m、わたしと男性は走った。
 足が痛くてまともに歩けないはずなのに、ゴールを目の前にすると自然とペースが上がった。スタートから20時間48分40秒、男性と手を繋ぎ勢いよくゴールした。ゴールするとたくさんの人たちが拍手で迎えてくれた。




3.100km歩行を通して

 まず、運営してくださった方々、サポーターの方々、そして地域ボランティアの方々、本当にありがとうございました。私が完歩できたのも、本当に皆様のおかげです。そして次に、一番感謝の気持ちを伝えなければならないのは母です。母は、スタートからゴールまでずっと私のサポートをしてくれました。少し先のコンビニに行っては私が来るのを待って、食べ物や飲み物を準備してくれていました。そして私がめげないような言葉をずっとかけてくれていました。本当にありがとう。さらに、私と最後まで一緒に歩いてくれた男性、あなたが居なければ私は父の記録を抜かすどころか、完歩すらできなかったと思います。本当にありがとうございました。
 100km歩行をするにあたって決意した「父の記録を破る」は悔しくも達成できませんでした。1時間程差があり、父の記録のスゴさが実感できました。それと同時に、また自慢されるのだろうな…っと思うと余計悔しさが込み上げてきました。 
 もう1つの決意、「最後まで泣かず笑顔で歩く」は達成することができました。むしろ泣くどころか、チャレンジャーには笑顔で「頑張りましょ!!」と声かけをしながら歩いていました。そしてゴールをした時もなぜかとても笑みがこぼれてき、「泣く」とは真逆でした。
 私は100km関係者、家族、友達と様々な人たちに支えられていることがこの100km歩行を通じて実感できました。これは普段なかなか実感できないことだと思います。本当にいい人生経験をしたなと感じました。また、いかに目標を決めること、心・物の準備が大切かということを、この100km歩行は教えてくれました。
 最後に、この経験で私のしぶとい性格がさらに鍛えられしぶとくなったと思います。
 そして、練習・準備のおかげからなのか水膨れもできず、若さのおかげなのか、次の日には筋肉痛になっただけで、ヒールを履きGWを思う存分遊び倒した私でした。
 本当にありがとうございました。