2013年 100km Walk

 
◆菅野 光明(一般参加・ゼッケン:274)77歳

晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート             2013年6月6日
「24時間100キロ歩行完歩 20代女性と手つなぎゴール」




 平成25年1月8日山陽新聞投稿欄「ちまた」で100キロ歩行サポーターの磯本厚美さんが(24時間100キロ歩行しませんか)と投稿しておられたので、便りでお尋ねして100キロ歩行地図や大会要項などを送ってもらい、熟読した後、私は全国河川遡行クラブで毎年春秋に河川流域を一日50~60キロ歩いて21年になるので、100キロ歩行も出来るのではないかと思い申し込んだ。心配なのは寝ないで歩くこと。 100キロ歩は、32年前に岡山駅・湯原温泉間を寝ないで歩いたことがあるが、完歩の自信はなかった。最終回の事前説明会に出席し、完歩するためには時速7キロでということでしたが、時速7キロなど私には無理だし夕方は早朝の新聞配りをするために外出できず参加せず。会費一万円払っているので弁当を出してくれるのかと尋ねたら、交通整理やその人たちの弁当代につかうので歩く人への弁当は無しだがボランティアの人たちがおにぎりなどを出してくれるとのことでした。実際に参加してみると、持参した弁当は一食だけで、あとはイチゴ、うどん、飲み物、握り飯などで十分に足りました。道案内、交通整理の人たちも一昼夜寝ないで御苦労さまでした。

 5月3日朝10時前岡山後楽園東側の旭川河川敷に行くと、出発式準備の放送が始まっていた。419人参加とのこと。10秒前からカウントダウンがあり、10時きっかりに一斉に出発。私は倉敷ツーデーマーチの宣伝記事に応じた時に朝日新聞記者が書いてくれた「歌いながら楽しく元気に」の記事をラミネートしたのをリュックに貼って歩いた。出発してからしばらくは神戸女子大学の赤い服を着た学生13人と歩いた。この人たちにリュックを見てもらい自作の旭川の歌を聞いてもらいながら歩く。

♪県下三大旭川児島湾へと流れています、ウォーキングウォーキングヤッホーヤッホー 三名園の後楽園は池田綱政作ったお庭、四季を通じて優雅です優雅です、ヤッホーヤッホヤッホヤッホー。 
 赤い服の学生には津田永忠について聞いてみたが、何も知らないので後楽園、曹源寺、おきた神社と津田永忠のかかわりを話しながら歩く。11時30分コンビニで大勢が昼食をしていたので、私も持参のパンを食べトイレをして35分休む。田園の中を真っ直ぐ歩いておきた神社は気付かず通り過ぎていた。道の角には案内人がいて次の方向を言ってくれるので、案内人が見えるまではまっすぐ行けばよいと分かる。
 西大寺のチェックポイントではイチゴをおいしく頂き、吉井川の歌を歌う。
♪吉井の河口児島湾、宇喜多が築いた乙子の城址、ウォーキングウォーキングヤッホーヤッホー、観音院には大きな甍春を呼びます西大寺会陽、裸祭りだ勇壮だ勇壮だ、ヤッホーヤッホヤッホヤッホー。
 14時頃、岡山市足守の小学6年生男子と歩く。父と姉は後ろの方を歩いているという。おじさんは人生で一番楽しいことは何ですかというので、人生は楽しいことばかりだと言っておいた。新聞配達をしていると言ったら僕のお父さんもしていると言う。またしばらくして、加古川市の小学6年の女子とも歩いた。お父さんと来ているが、この会の世話役の人と一緒だという。二人とも元気で歩いていたが完歩は無理かなと思った。
 備前市体育館で18時頃になり、日暮れになりかけたので電池や上着など夜間歩行の準備をする。片上湾岸を歩きいくつかの島の中で県天然記念物の樹林がある住吉島はどれかなと思ったが暗くなっていてわからない。伊里漁協では大勢の歩友で賑わっていた。うどん二杯いただき満腹になる。永忠が作った井田(せいでん)跡は暗いし離れていて分からない。永忠が精力を尽くして作った閑谷学校が校門前を通ったが暗くて何も分からない。閑谷チェックポイントではリポビタンを飲んで元気が出る。♪ここでも吉井川の歌を歌う。閑谷学校の教授をした西微山の墓もそばにあるのだが暗くて見えない。21時頃、和気のチェックポイントも大勢だったが空腹でなくておにぎりを少し頂いただけ。ここでは和気の歌を歌う。
♪和気清麻呂誕生地、和気郡和気町すももの産地、ウォーキングウォーキングヤッホーヤッホー、すもも娘が笑顔で迎え、和気文字焼なら岸辺で眺め、藤の祭りは賑やかだ、賑やかだ、ヤッホーヤッホヤッホヤッホー。
 山陽本線に沿って主に県道1号線を西へ歩く。永忠が作った田源用水に沿って少し歩く。山陽道が県道1号線を跨いでいる辺りで、帽子につけた電池だけだったので薄暗くて歩道の縁石につまずいて前のめりに転び右目の上にかすり傷ができたが大したことなし。前を一人歩く人がいて気づいてくれたが心配なし。瀬戸のチェックポイントでもおにぎりがあったが小さいのを1個もらっただけ。この辺りから空が明るくなる。牟佐周辺で4〜5人で歩く。案内人が2〜3人いたがこの人たちも寝ないで立ち番御苦労さま。7時頃だった。ここから終点まで後10キロなので3時間あるので十分間に合うので頑張ってゴールしてと励まされる。一緒に歩いていた20代後半の女性はすねが痛いと言ってびっこをひいて歩いていた。私は足は痛くないが眠くなってきた。びっこをひく女性が眠らないでといって腕を組んでくれた。私は足が痛い女性を励ました。二人で励まし励まされて岡山市街地へ入った。ここで10人ほどのグループになったが、後楽園の近くを通っても入らない。聞けば距離が100キロに足りないので1.5キロを三周するという。足が痛いのと眠い二人は後楽園が非常に遠く感じた。やっと後楽園へ入り二人でゴールのテープを切った。13時間33分だった。完歩達成した。私は眠いので芝生で転んで寝た。彼女はどうしたか知らない。目覚めたら12時だったので2時間半寝ていた。係の女性がいたので「何時まで受け付けしたの」と尋ねたら10時半までと言っていた。もう茣蓙を畳んで持ちかえっていた。

 5月27日、完歩者の最高齢を尋ねたら80歳女性だと返事が来た。29日288人の完歩者の所要時間と年齢の一覧表が届く。80歳女性は22時間03分なので私よりも1時間30分早い。私は完歩者の内2番目の高齢者だった。1番到着者12時間56分44歳男だったので時速8キロで歩いている。私は24時間100キロ歩行にまた参加して80歳を超えても参加したいと思うが、河川遡行が優先なのでできない。毎年100キロ歩行の5月ゴールデンウィークは100キロから200キロの河川を歩いている。今年は北海道の天塩川200キロなので5月は寒いので7月12〜15日に歩くから24時間100キロが歩けたのです。次回北海道は2019年十勝川156キロを歩くので24時間100キロ歩行が参加できるが、私は83歳になります。でも参加したいと思います。

               平成25年6月1日20時55分記す。 菅野光明