2013年 100km Walk
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◆小田 圭一郎(岡山政経塾 12期生・ゼッケン:311)
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晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート 2013年5月16日
「2013年 晴れの国 おかやま 24時間100キロ歩行レポート」
大会関係者、サポーター、チャレンジャーの方々、そして、施設利用、飲食提供、応援して下さった方々、本当に有難うございました。皆様に大変感謝しております。無事、完歩できました。
今回は去年に続き2度目のチャレンジャーとして参加させて頂きました。
去年も参加し完歩はしたものの、自分の中では納得できませんでした。50km地点を超えてから両足首に激痛が走り、そこから失速し60km超えてからは明りの見えるところで何度も休憩し激痛との戦い、そして何度もリタイヤするかとの悪魔のささやきに脅され、結局、7時19分にゴール、目標は5時に設定したのにも関わらず無念でした。そして会社同僚10名と参加していました。その中でも50km地点では56歳の社長、31歳の部長、そして42歳の自分と一緒でした。しかし、そこからすぐに2人に抜かれ、後続の方々にも一気に抜かれ非常に悔しい思いをしました。心。体、物の準備が不十分だと歩きながら思い知らされました。でも、非常に良い経験をしました。その大会で学んだことは後に生活習慣や仕事の活動など、すべてを変えるきっかけになりました。
それから1年、2度目のチャレンジ、この1年間、十分に身体を鍛えました。マラソン大会に4回出場し減量12キロなど体の準備を万全にして挑みました。
そして、今年は政経塾に入塾したこと、会社社員も11名参加(内新入社員4名)と
今年は目標を記録に挑戦とし2時台にゴールすること。そして、政経塾12期生全員と会社の同僚全員をゴールで迎えることに決めていました。
いよいよ本番、まずは準備の確認
心の準備:記録に挑戦、限界突破を心に決め、知人に2時台のゴールを宣誓(自分に対してのプレッシャーと覚悟)
体の準備:日々の練習(10kmランニング週2回〜3回を約9ヵ月間、7kmウォーキング1ヶ月間週2回)
物の準備:上下ウェアー(アンダーウェアー、Tシャツ、ランニングタイツ、薄手のジャケット)リュック(軽め)シューズ(アシックス)、靴下3足(通気性重視)、栄養ドリンク、痛み止め、サングラス、携帯充電、腕時計、等
歩くペースは次のように設定
・1km9分、10km1時間30分を目標に設定
・50km地点に17時半着、残り50kmは体の様子を次第で調整ペースにする。
いよいよスタート
25km地点までは順調、1km8分台のペース、ところが、そのあたりから両足の裏にしびれを感じだす。すると、徐々に激痛に変わる。ソックスに問題があると感じ途中で履き替えるが、それでも激痛は変わらず、40km地点で足裏にアイシングを2分ほどする。それでも激痛は変わらず、しかしそのままペースを落とさず歩く。
50km地点17時13分着で10分休憩、足裏を確かめる。すでに左親指に大きな水ぶくれ、右小指に血豆、足裏は真っ赤に変色、ここで激痛と付き合うしかないと覚悟、栄養補給にバナナ、地元の方の炊き出しを食べる。ここで本当に皆様の温かい声援と食べ物に感謝感動し気合を入れなおす。そしてペースはそのまま1km8分台で歩き続ける。閑谷学校手前からのトンネルの坂は非常にきつかったがペースを上げる。
60km閑谷緑地公園で声援(ここで小山事務局長に激励をうける。有難うございました。)
ここで地元の方におにぎり(めちゃくちゃおいしい)を頂き再び感謝、そして激痛との勝負、ここからは長い下りが続きました。明るいうちに山を越えたかったので何とか吉永駅前のローソンまでたどりつき、知人のサポーターに足の裏のアイシンングをしてもらう。靴下を確認すると血で真っ赤になっていた。もうここで靴下を履き替えたらだめだと思い履き替えず我慢、またここで友人に感謝、次は70km地点のリバーサイドまで激痛との勝負、
70km地点20時22分リバーサイド到着(ここは私の地元であり、両親がゴールデンウィーク中に親戚の会合を和気の鵜飼谷温泉でしていてたまたま応援に?)とにかく足裏が激痛でピーク、10分休憩し再度歩こうとすると足首に異変、硬直し引きずるように出発、思えば昨年も休憩しすぎで足首が硬直し動けなくなったことを思い出す。ここからは足裏の激痛と足首の激痛2セットで痛さとの我慢勝負、82km地点まで止まらず進むぞと気合を入れなおす。
82kmセブンイレブンで再び友人のアイシング、食糧補給を受ける。クリームパンを3つ食べる。(有難うございました。)ところがここで事件発生、パンを食べている途中、目の前を会社の32歳部長にあっさり抜かれる。さっきまで20分後方(常に友人から社長、部長の位置を確認していた。)に歩いていたのにまさか抜かされるとは、(彼には絶対負けたくなかった。去年大差で敗れているだけに)、すぐに休憩をやめ出発、あと17km休憩なしでいくしかないと覚悟したが、足の激痛は治まることはなかった。そして、彼にどんどん引き離された。ここは彼とのプライド勝負を一旦静め、時間との勝負に心を切り替える。2時台に必ずゴールすることに集中する。

ところが、90km地点で彼を射程距離に捉える。よし、このまま抜くぞ!そのとき、彼はラストスパートのごとくペースを上げ再び引き離され姿が見えなくなる。95km地点、市内の町灯りがみえてきたとき、足の裏の激痛は限界をむかえる。そして右足が吊った。これはまずいと思ったがここで止まると歩けなくなると思い、引きずりながら歩き続けた。時速2kmぐらいにスピードダウン。番町の交差点ではさすがに信号にひっかかり止まってしまいここで信号を2回待つ。もう足の激痛は超ピーク、吊った右足と両足裏のしびれは限界突破の精神力だけでひきずりながら一歩一歩、歩き続けた。
そしてゴール、時計は2時10分、感無量としかいいようがありません。今年はゴールに知人が迎えてくれました。本当に感謝、感激でした。
ゴールしてからもう一歩も動けず、すぐにアイシング、靴下を脱ぐと足のつめは小指ごと真っ赤に充血、他の指も数本・・・
病院に直行しましたが手のほどこしようがないと医師に、絶対安静しか治療はないと、最後の詰めの甘さは人生と同じか?病院で心が最後に折れました。
今年の100km歩行は昨年とはまた違う経験になりました。本当に仕事でもプライべートにもこの100km歩行は人生のドラマに置き換えられるものだと思います。毎回、参加するたびに新しい気づきがあると思います。1回よりも2回、2回よりも3回、続けていくことで自分自身の人生に磨きをかけ続けられるのではないかと思います。
「継続は力なり」、1回きりに満足するのではなく困難なことほど次への高い目標をもって限界にチャレンジし続けること、そこに真の力なり、この大会を通じて思いました。限界の挑戦はまだまだ続きます。

今年は同僚、同期をゴールで迎えることができずに非常に後悔しました。申し訳ありません。来年は同僚、同期、チャレンジャーをゴールでお迎えしたいと思います。
負傷した両足指掲載します。
原因はシューズの大きさ(通常26cmを26.5にサイズアップ)そのことで
シューズの中に遊びができ、すれた状態で歩くと写真の通り。足の指はおそらく麻痺して途中の痛さは感じませんでした。
何よりも痛いのは足の裏でした。しびれによる激痛が両足裏からジンジン感じました。そして、足首の腫れ、これも激痛で歩けない状態になります。シューズ選びが大事です。
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