2013年 100km Walk
|
|
◆猪木 裕子(一般参加・ゼッケン:358)
|
晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート 2013年5月22日
「晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行 2013」
☆はじめに
一年前の冬、当社の社長からのメールでこの24時間・100キロ歩行の事を知り、当時は単に「おもしろそう」という、今思えば安易な考えから2012年の24時間・100キロ歩行に参加を志願しました。
しかし、上司と相談した結果、業務を優先する事になりこの年の参加は出来なくなりました。2012年大会当日、会社の仲間の応援に現地へ行き過酷さを目の当たりにした時、自分自身が恥ずかしくなりました。「おもしろそう」だけで参加を志願した事。それから1年、この大会に参加する意味を考える期間となりました。
どこまで自分が出来るのか?
メンタル強化
今までの自分は「ここまでやったからもういいだろう」「辛い・しんどいからもうやめよう」と勝手に線引きをしたり逃げていたりしていました。そうした後は後悔と罪悪感のような気持ちになり、自分自身が嫌いでした。
☆ 準備
心の準備・物の準備・体の準備が大切である事を知りました。
心の準備・・・24時間以内に100キロ完歩する!絶対にリタイアしない。各ポイントの通過予定時間を設定する。
物の準備・・・大会経験者の携行品を参考にし、自分にあった物を準備する。
体の準備・・・社内の練習会に参加する。自分の休みを利用して歩く。
☆ 大会当日
緊張する中、5月3日(金)後楽園を出発。40キロ地点(備前体育館)に到着した頃、自分の設定時間通りに歩けていました。そして49キロ地点(伊里漁協)へ向かう道中、「足首が重い」と感じてはいたがそれほど気にはせず49キロ地点に到着しました。炊き出しの釜たまは美味しかったぁ。そして、メッセージ入りのゆでたまごを社長から頂き、「これが噂の魔法 のゆでたまごなんだぁ〜」と物凄くテンションが上がり、仲間の笑顔で「いってらっしゃい」の言葉に元気をもらい、また歩き出せました。58キロ地点(閑谷学校緑地公園)へ向かう上り坂、上り始めてすぐに膝が痛み始め、痛み止めを飲みました。「これで大丈夫」と思い上っていたが
一向に痛みが引かない。どんどんペースが落ちる。焦りました。とにかく足を前に出す事だけ考えて歩きました。
しかし、私のペースは牛歩以下だったようです。膝の痛みは減るどころか増しているように感じました。
そしてこの時、気持ちが切れ始めリタイアの連絡を入れようかと携帯電話を出しては戻しの繰り返しでした。
追い抜いて行く他のチャレンジャーに「大丈夫?」の声を掛けられて、「大丈夫です。」と答えながらもリタイアの気持ちとまだ歩くという気持ちとかなり戦いました。この時に会社の仲間から、メールと電話があり、「閑谷で待ってるよ」と連絡がありました。
連絡が入ってから1時間、なんとか閑谷に到着しました。そこには同じ現場で働いているパートさんたち・仕事終わりで応援に来てくれた仲間たち。本当に嬉しかったです。深夜23時にも関わらず。応援に来てくれた仲間たちと少し長めの休憩を取り、68キロ地点へ向かう為に来てくれた仲間にお礼を言い出発しようとした時、その内の1人が次の68キロ地点(リバーサイド)まで伴歩してくれるというから驚きました。同時に心強かったです。何度も足の痛みで止まってしまう私、10キロの距離を5時間近くかけて歩いていたにも関わらず、彼女はずっと私を気遣い・励ましてくれました。68キロ手前でまた1人伴歩に加わり・そして今度はまた2人伴歩に加わり、私1人に4人の伴歩で68キロ地点に到着しました。嬉しさと申し訳なさで泣きそうになってしまっていました。足の痛みがかなりあったのですが、救護の方にマッサージと簡単にテーピングをしていただき、次の81.9キロ地点(セブンイレブン岡山瀬戸店)に向け出発しようとした時、サポーターの方たちに「まだ歩くの?」と聞かれ、「行きます。」と答えると一瞬どよめきました。この時、「歩いちゃダメなの?」と訳もなく苛立っていました。そしてここからは岡山政経塾の方が伴歩についてくださり、ご自信の体験された事を話してくださり、励ましてくれました。しかし私は単調な返答しか出来ず、歩く事しか考えていなかったようです。
それからしばらくして、リバーサイドで別れた仲間の1人がまたまた伴歩に加わってくれて足の痛みと睡魔でふらふらの私に肩を貸してくれ、出勤時間に間に合うギリギリまで伴歩してくれました。それだけでなく、自分が抜けるからと、他の仲間に連絡をして交代の伴歩者を頼んでくれていました。その後、1人ではなく2人も仲間が伴歩についてくれて一緒に歩いてくれました。JA瀬戸の手前位までは記憶がはっきりしていました。
その後は正直、あまり記憶がありません。81.9キロ地点に到着しリタイア組のバスに乗らなかった事と車道を走る車に一台一台頭を下げながら安全を確保してくださった岡山政経塾の方や仲間の姿は覚えています。
一緒に参加した会社の仲間が次々とゴールする中、私は残り時間とペースを考えると24時間以内のゴールは無理と言われていました。しかしだからといって残り時間がまだあるのにリタイアは嫌でした。ちょっとでも皆のいるゴールに近づきたかった事・行ける所まで行きたかった事。最後はこの2点でした。
5月4日(土)10:00、83.5キロ付近でタイムアップとなり、仲間の車で後楽園へ向かいました。
後楽園に着き、車から降り仲間のいる所へ行く際、岡山政経塾の方・サポーターの方・チャレンジャーの方が「お帰り」と笑顔で迎えてくださり、一緒に参加した仲間と合流出来た時、ほっとした事もありますが、悔しさと感謝で泣いてしまいました。
☆ 大会で学んだ事
この24時間・100キロ歩行で自分自身と向き合えた事。今までの限界は自分が楽をする為に都合の良いように決め付けていた限界であった事。当社の社訓の一つである「常に仲間を大切にし助け合い思いやる事忘するべからず」の言葉を実際に経験出来た事。感謝の意味。諦めない強さ。挙げればきりがない程の多くの経験と幸せを学ぶ事が出来ました。
☆ 最後に
大会当日は忙しい日にも関わらず、参加を許可してくださった会社・上司。会社で仕事をしてくれた人、メールやメッセージをくれた人・応援に来てくれた人。岡山政経塾の皆さん・サポートしてくださった皆さん。本当にありがとうございました。学んだ事を社会人としてだけでなく、人として活かしていきます。そして、必ずまたリベンジします。リベンジさせてください。
|
 |
|