2013年 100km Walk
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◆嶋村 太郎(岡山政経塾 12期生・ゼッケン:401)
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晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート 2013年5月15日
「100km歩行は人生の縮図」
はじめに
100キロ歩行、それは本当の自分と正面から向き合い、苦難と向き合う経験。
以前から慢性的な脚の不調に悩まされ日々の生活にも支障が出ていたが、出来ない理由を並べても前には進めない。とにかく積み重ねていくしかない。限界は準備によって遠のくと信じて。
事前準備(体、物、そして心の準備)
体の準備
筋力を増強維持する為のウォーキングを、3日に1回のペースで1月より始める。最初は3キロ歩くだけで筋肉痛になるほどの状態だったが、徐々に距離を伸ばし20キロまで歩けるようになった。その後は往復7キロ1時間のコースを作り、自主練に励んだ。
「いけるかもしれない」
小さな結果が少しずつ自信になってきたが、脚の不調は変わらずまだ一抹の不安は残る。それでも練習会に参加して、7キロを1時間切るペースで歩けたことがうれしくてさらに練習に励んだ。しかし、昔事故をした右ひざに痛みを覚えるようになった。これが本番で重要な意味を持つことになる。
物の準備
スポーツ用品店を巡り、必要な物を揃える。右ひざの弱点を把握していたので、サポーターと杖を購入する。色んな商品が魅力的に見えるが、完歩が目的なのでそれを基準にする。痛みが出るので病院で痛み止めを処方してもらい、本番まで飲まないことにした。
心の準備
これが直前まで出来ていなかった。下見会でコースを巡り、想像以上に厳しいことを思い知らされ、痛みは不安を呼び決意は揺らぐ。ふと、今までの人生を振り返ってみると同じようなことが繰り返されていることに気づく。決意を固めるには退路を断つしかない。私は退塾届を大会前日に書きリュックに忍ばせ、リタイアするようなことがあれば提出することにした。腹を括ったことで緊張は増したが、決意は固まり気持ちが少し楽になった。
前日そして当日
前日にご縁のある神社に参拝。たまたまお会いした宮司さんと一緒に並び、祝詞をあげてもらう。
自然のなかで呼吸を整え、波のように揺らぐ心を鎮める。その後、整骨院でテーピングをしてもらい本番に備える。早めに寝るが、緊張で何度も目が覚める。そしてやや寝不足のまま本番当日を迎える。
当日、同期生が集い再チャレンジする片山さんに寄せ書きをし、全員完歩を誓う。みんなの熱い思いが伝わって、仲間の為にも自分からリタイアすることは許さないと固く決意する。
スタート〜19キロ
時速6キロを維持することを念頭に、少し早めのペースで歩く。同期の○○さんに引っ張ってもらいながらもまだ余裕があり、笑い話を交えながら共に歩む。
10キロの沖田神社付近から若干の違和感が脚に現れだしたが、懸念していた右ひざは痛んでいない。ほぼ休憩を入れることなく19キロ地点の門前交差点を目指し、無事到着。イチゴの差し入れは疲れた体には本当にありがたい。同期の井上さんたちと合流し5分ほど休憩して出発する。
19キロ〜49キロ(伊里漁港手前)
30キロの飯井交差点付近では、○○さんとお互い状況確認するくらいでほぼ無言。まだ体力には余裕があったが、脚に痛みを感じるようになる。以前練習会でお会いした経験者の方から、とっておきをいくつか用意しておいたらいいよ、と伺っていたのでここでアイポッド投入。
この調子で行けば50キロの伊里漁港に日没までには行ける。
だが、40キロの備前体育館直前から右ひざの痛みが出てきた。休憩して靴下を換えるが、痛みをかばう為に姿勢が歪んでいたのだろう、両足裏にはすでに水ぶくれが出来ていた。ペースが落ちたので、ここで○○さんたち同期と別れ一人歩く。
そして下り坂を進んでいると、ついに恐れていた事態が起こる。
「痛っっっ!!」
右ひざの両側面に今まで経験したことのない激痛が走る。例えれば麻酔なしで歯の神経を治療するような痛みといえばいいか。前にも後ろにも、曲げても伸ばしても激痛が走る。
伊里漁港まで5キロ以上残っている。どんどん他のチャレンジャーに無言で抜かれていく。
必死に歯を食いしばりながら進むも、苦痛はさらに増し日没が迫る。
そのとき私は怒りを通り越し、自分を、人生を呪い恨んだ。
今までもそうだった。少しでも調子のいいときが続くと、必ず水を差すような出来事が起こる。
心は乱れ思考はマイナスになり、運がないの一言ですべてを諦めてきた。
100キロ歩行は今までの人生の縮図そのものだった。
絶望的な痛みに耐えながら様々な思考が交錯する。しかしリタイアの言葉は浮かばない。
絶対に24時間歩きとおしてやる。
49キロまで私を支えていたのは、感謝などではなく、強烈な怒りと恨みだけだった。
49キロ(伊里漁港)〜68キロ(リバーサイド)
7時を過ぎ、辺りは暗くなっていた。右脚を引きずりながら進むと明かりが見える。伊里漁港だ。そこには妻が待っていてくれた。そして救護班の方が駆けつけて下さり、脚の状態を説明するとテントに運び込まれ治療することになった。同期の仲間が心配して駆けつけてくれて、森田さんは水ぶくれで酷い状態の足の裏に素手でワセリンを塗って下さり、三宅さんには胃薬を頂いた。
自らも疲れているというのに仲間を思いやる姿勢。声をかけてくれるサポーター。リタイアを勧められたが、歩く決意を伝えると何とか歩けるようにテーピングして下さった医療班の方々。駆けつけてくれた妻。
私は一人なんかじゃなかった。
こんなにたくさんの人々が支え、そして支えられている。
感謝が、怒りを少しずつ塗り替えていく。
痛み止めと胃薬を飲み、妻に持ってきてもらった杖を片手に再び歩き出す。依然痛みは酷く、杖をついても完歩できる保証は無い。だが私にリタイアは許されない。支えてくれている人の為にも、自分の為にも。
もう挫折は必要ない。必要なのは苦難を乗り越えた先に待つ何かだ。
そう言い聞かせて一歩一歩踏みしめる。暗闇ときつい山道が続くが、痛みのため眠気もなく意識ははっきりしていた。
しばらくすると痛み止めも効いてきて、杖と左脚だけで一定のペースを維持できるようになった。
暗闇をヘッドライトの明かりだけを頼りに無我夢中で進む。
そのときふと思考は止み、ヘッドホンから音が消え静寂が広がる。周りの状況は変わらないのに、いまこの瞬間を、ただ淡々と歩いている。自他の区別さえつかない。
そして気づけば58キロ地点のポイントに到着していた。
58キロの閑谷学校緑地公園まで約2時間半を費やしたが、このペースでも何とか時間内にゴールできる可能性があることを知る。再び時間の感覚が復活し、焦りが出てきた。
少しでも先に進まなければ間に合わない。痛み止めを飲み、サポーターの温かい声援を背に、再び歩き出す。
リバーサイドまでの10キロは、ほぼ記憶が無い。
68キロ(リバーサイド)〜81.9キロ(セブンイレブン瀬戸店)
リバーサイドに到着したとき、すでに深夜2時を越えていた。小山事務局長とOBの佐藤さんが声をかけてくださり、少し安堵する。ここで医療班の方々に再会して事情を説明。右ひざをギプスのように固定して、足首にも強固にテーピングを施してもらった。ここまで来られたことに感謝を伝え、ゴールを目指す。痛み止めは効かなくなりつつあった。
そしてここからがとてつもなく長かった。車で通るときには思いもしなかったが、頭の中にある地図と実際の距離がかけ離れている。時間への焦りと、思うように動かない脚に苛立ちが募る。
途中サポーターの方が、このペースならまだまだ大丈夫と勇気付けてくださり、時間内ゴールの希望が見えてきた。とにかく先に進む。
気づけば夜が明けてきた。ペースは時速4キロも出ていないが、もう少しで80キロ。ふと前を見ると妻がいる。安堵から弱音を吐くが、時間内完歩の決意を伝える。セブンイレブン瀬戸店まで伴歩してくれて味噌汁を頂く。最高にうまい。
81.9キロ〜93キロ(中原橋交差点)
少し休んだおかげで、ペースが上がる。4錠目の痛み止めを飲むが、すでにラムネ菓子状態。
日が昇り気温は上昇し、寒暖の差が激しく体力も限界に近づく。どこまでも続く道と迫る時間。普段なら何でもない、ちょっとした段差がかなり堪える。そして頭の中は、状況把握と残り時間の計算でフル回転している。
残り2時間半を切り、なんとか90キロポイントまでたどり着いたが、この脚で時間内ゴールはかなり厳しい状況だった。
「まだ大丈夫!少しでも前へ前へ!」
この言葉に勇気付けられ、気力を奮い立たせる。ここで挫折するくらいなら、右脚は一生動かなくてもいい。頼む、ゴールさせてくれ!
ここまでの40キロを支えてくれた杖はゴム底が破れ、負担をかけた左脚も悲鳴を上げる。
それでも一歩一歩、前へ前へ。
93キロ(中原橋)〜そしてゴールへ
ついにここまで来られたが、右折後の下りカーブで両脚に激痛が走る。まっすぐ歩くこともできず、杖を先に出しながら慎重に進む。ようやく下りられたが時間がない。焦りはピークに達し、心が折れかける。限界はとうに過ぎ、痛みで意識を失いそうだった。そのときOBの佐藤さんから、伴歩するから頑張れと連絡が入る。法界院踏切過ぎの地点に駆けつけて下さったときの安堵感は今でも忘れられない。伴歩中、いつもの冗談話が聞けて本当にうれしかった。
そして残り3キロ。信号の待ち時間が焦りを呼ぶ。それでも一歩一歩着実に進む。左手に後楽園へと続く橋が見える。もうすぐゴールだ。逸る気持ちを抑え、柳川交差点から城下交差点へと進む。時間ぎりぎりだが、もうペースを上げることはできない。時計を見ながら、祈るような気持ちで最後の気力を振り絞る。橋の手前まで来ると妻が駆けつけてくれて、3人でゴールを目指す。
ついに後楽園にたどり着いた。最後のチェックポイントを終え、橋を渡る。声援が聞こえ、白いゴールテープが見える。
そして、ついにゴール!
同期の仲間が駆けつけ、小山事務局長の「お前、やったな!!」の声に、抑えようのない涙が溢れ出す。
23時間52分、もう一歩も動けない。
記念撮影の場所まで同期の仲間に体を支えられながら、最後は溝手さんにおんぶで運んでもらう。すべてがありがたい。
自分勝手な怒りと恨みは、あらゆるすべてへの感謝に変わっていた。
完歩後の私に訪れたのは、意外にも達成感ではなく感謝と安堵だった。
おわりに
100キロ歩行は人生の縮図。苦難の先に待つものは人それぞれだが、必ず得る気づきがある。私にとってそれは、多くの人々がお互いに生かし生かされていること、そして与えられた分のなかで自らを全力で生かしきることの大切さだった。目標を定め全力で事にあたると必ず道は開けることを100キロ歩行は教えてくれた。
ありがとう。すべてのことに感謝を込めて。
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