2013年 100km Walk

 
◆松田 祥(岡山政経塾 12期生・ゼッケン:402)

晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート             2013年5月22日
「支え」



 はじめに
 正直、私は100km歩行を完歩できるとは思っていませんでした。

 準備不足
 なぜかと申し上げると、挑戦するにあたって大切だと周りの方からあれだけ口酸っぱく言われた物と心と体の準備のうち、心と体の準備をほとんどまったくできていなかったからです。心の準備と言われても、なにをすれば準備万端といえるのか全くわからず、なにもしない状態で当日を迎えましたし、体の準備については、仕事が忙しいからと言い訳を作っては、練習会には一度も参加せず、明らかな準備不足でした。ほかの12期生の話を聞いていると、入念に準備に取り組んでいるんだなと焦りは覚えましたが、特になにも行動に移しませんでした。さすがに歩ける格好と靴だけはそろえなければということで、ウェアとシューズだけを買い、気づけば100km歩行当日を迎えていました。いま思えば、こんな状態でよく完歩しようと思ったものだとさえ思います。

 スタート〜前半
 スタートしてから10km地点までは、12期生の片山さんと仲野さんと歩きました。途中のコンビニで仲野さんがトイレ渋滞につかまったので、そこで仲野さんとは別れ、それから片山さんと歩く事になりました。30km地点くらいまでは、身体的な疲労は特になく、このまま100km歩行は楽勝だなとそのときは思いました。

 前半〜中盤
 ちょうど40km地点で、はじめて休憩をとることになり、腰掛けました。休憩を終え、歩き出そうとしたとき、身体に異変が起きました。動かし続けた筋肉が、休憩をとることにより固まってしまい、歩くと、ものすごく痛むのです。このとき、まだ40km地点だったので、この先の60kmを考えると、完歩は無理かもしれないと思いました。
 50km地点に到達したときには、もうヘトヘトでした。足はもうこれ以上動かないと本気で思いました。閑谷学校を越えるなんて無理だと思いました。しかし、気づけば60km地点に着いてました。ただ、歩いた記憶を思い出せません。無意識のなかで、歩いていたんだと思います。

 後半〜ゴール
 60kmから80kmまでの20kmが一番つらかったです。当日を迎えるまでは、上り坂と下り坂のある50?60km地点がつらいのだろうと思っていました。しかし、現実は違いました。あまり景色の変わらない平凡な道。与える精神的ダメージは相当なものでした。歩いても歩いても、チェックポイントまで近づいているという実感がわきにくかったからです。さらに、真っ暗な道を歩き続けなければならないということも精神的な負担を与えました。

 80km〜ゴールまでは、あともう少しだという気持ちだけで歩きました。通ったことのある道も多くなってきていましたし、朝を迎えて空が明るくなっていましたので、歩きやすいと思いました。ただ、これまで歩いてきた平均時速から比べると、目も当てられないほど遅いスピードで、足を引きずるような歩きかたでした。最後は、ゴール地点で待っていてくれていた12期生と一緒にゴールしました。ゴールしたときは、なんとも言えない達成感がこみ上げてきました。
 私が完歩できたワケ
 準備不足な私が、完歩できたのは、100kmの道のりを12期生の片山さんとスタートからゴールまで共に歩いたからだと思います。片山さんには、感謝してもしきれないくらい、感謝しています。10kmごとの平均時速を測定していただいたり、はげましの言葉をかけていただいたり、ほかにもたくさん支えていただきました。特に足が重くなってからは、片山さんも同じようにがんばっているんだと思うだけで元気がわきました。暗い夜道も精神的に滅入ることもなく歩けました。一人だけでの完歩は不可能だったのではないかと思います。

 サポーターの方からのサポートも完歩できた大きな理由の一つでした。チェックポイントごとに、がんばってくださいとの励ましの言葉をいただき、夜には炊き出しを用意していただきました。あの炊き出しがなければ、スタミナ不足で途中で力尽いていたに違いありません。
 さいごに
 この100km歩行を通して、気づいた事。それは、一人の力の無力さでした。人様からの「支え」がないと、何もやり遂げられないのだという事です。これは100km歩行に限らず、私がこれから人生を歩む限り、ずっとついてまわるものだと思います。100km歩行の挑戦は私にとって非常に意義のあるものとなりました。
                以上