2013年 100km Walk

 
◆下花 剛一(岡山政経塾 12期生・ゼッケン:403)

晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート             2013年5月18日
「100キロ、何のために歩き、何を得たのか。」



1.目的

 岡山政経塾12期生として、100キロ完歩すること。
 この100キロ歩行を通して、自分の限界を乗り越え、ひとまわり大きな自分へと成長する、それを目指して挑みました。




2.準備

 (1) 心の準備
 必ず100キロを完歩しなければならない、という気負いは特にありませんでした。
 どちらかというと、極限状態の中で自分がどういう心境になるのか、本当に楽しみでした。
 子供の頃に遠足の日が待ち遠しかったように、早く100キロ歩行の日が来てほしいと心待ちにしていました。


 (2) 物の準備
   シューズはランニング用のシューズではなく、ウォーキング用のシューズが良いということだったので、クッションがしっかりしたシューズを新しく購入しました。しかし、何度か歩いてみると、重くて足に合わず、すぐに疲れてしまっていたので、結局は数年前から使っていた、履き慣れたランニング用のシューズで挑むことにしました。100キロ歩行中、かかとがかなり痛くなってしびれたような状態になっていたので、もう少しクッションのあるシューズのほうが良かったのかもしれません。
 ウェアは上下ともCW-Xの長袖シャツ、足首まであるタイツを用意しました。練習で何度か使用してみて、違和感などが無いことを確認していました。
 リュックは、ランニング用の小さめのリュックを購入しました。かなり小さかったため、寒さ対策の上着をいれると他のものがあまり入らない状況となってしまいました。終始、背中にフィットしていて装着感には問題はなかったのですが、ペットボトルを、リュックをおろさずに簡単に収納できるサイドポケットがあったほうが良かったと思いました。
 靴下は、5本指が分かれたものを用意しました。これは慣れるまでに少し時間がかかりました。本番では予備を4足もって行きましたが、私の場合は履き替えることはありませんでしたし、シューズを脱ぐこともありませんでした。
 夜は寒いとのことだったので、少し重かったのですが、スウェットの上着を持っていきました。実際に寒かったので、これは役に立ちました。
 水分補給用の飲み物は重いので、スタート時点では持って行かず、途中で購入しました。
 食事は、かなり小さいサイズのスポーツ用ゼリーを持って行きました。
 それから、スマートフォンの充電用バッテリーも持って行きました。これはかなり重かったので失敗だったかもしれません。結局、その重たいバッテリーが活躍したのは、ゴールの後でした。また、スマートフォンで地図を表示していましたが、それもあまり見る機会はありませんでした。地図は無くても、サポートの方の誘導で、道を間違えることもありませんでした。
 テーピングもしたほうが良いという話を聞いていたのですが、整体師の先生にお願いすると、悪いところや不安な箇所がないのであれば、無理にする必要もないとのことだったので、テーピング無しで挑むこととしました。


 (3) 体の準備
 練習していなければ、完歩は難しいと、経験者の方から聞いていました。
 私はもともと、中学生時代に陸上部で短距離走者だったので、走るのは好きでしたし、走る筋肉も付いていたと思うので、そこまでの不安はありませんでした。
 しかしいざ、試しに歩いてみると、思うように歩けません。すぐに足の筋肉が張ってしまい、痛みに繋がっていました。走るのと歩くのは少し違うようで、無駄な筋肉の使いかたをしていたのかもしれません。なかなか練習をしてもうまく解決できませんでした。
 どれくらい練習したかというと、週に2?3度、7キロ程度を歩くというのを一ヶ月ぐらい実施しました。仕事が忙しいせいもあり、深夜1時?2時頃から歩くという状況だったので、痛みが取れなかったのは、疲労が回復しきれなかったのが原因なのかもしれません。
 7キロを、それなりのペースで歩けるようになったのは、開催日の5日前ぐらいで、準備はギリギリと言った感じでした。



3.100キロ歩行本番

直前のアクシデント
 とても楽しみにしていた100キロ歩行ですが、本番の2日前から、体調を崩してしまい、熱を出して2日間ほぼ寝たきりの状態でした。
 普段、熱を出すことは少ないのですが、100キロ歩行のために体調を整えようとしたのが裏目にでたのか、忙しい日常の緊張の糸が切れてしまったのかもしれません。
 その代わりに、何年かぶりに、しっかりした休息をとったという感じで、少なくとも、練習での筋肉疲労は、完全に回復できている状態でした。

開催日の朝
 7時に起床しました。準備に少し時間がかかり、ちゃんとした食事ができませんでした。空腹状態でのスタートとなりました。

スタート〜
 岡山政経塾12期生は、先頭に陣取れということで、一番前に並ぶこととなりました。
 私は、最初の10キロ は、ゆっくりとしたペースを守るつもりでいたのですが、どうも闘争心が湧いてきてしまい、自主練習の時より速いペースでのスタートとなってしまいました。
 それでも、筋肉の状態が良かったのか、足への負担も思いのほか感じなかったので、まずはそのペースで様子を見ることとしました。
 スタート直後は12期生の仲間とも一緒だったのですが、数キロ地点で別れてしまいました。今回、楽しく歩くというより、自分を極限状態に追い込みたいという気持ちが強かったため、早めに一人になりたかったということもありました。

10km〜
 西大寺の応援ポイントでは、家族が応援に来てくれていました。朝、あまりにもリュックがいっぱいだったため、換えの大きめのリュックを用意して持ってきてくれていました。
 序盤でまだ余裕もあったので、少し話をしたり、手をふったりという感じで、晴れやかな気分で歩き続けることができました。

20km〜
 序盤からのペースに無理があったのか、けっこう辛い時間帯となりました。
 徐々に背中が痛くなり、かかとがしびれてきて、少し立ち止まって休みたいという状態でしたが、なんとかペースを保ちながら歩き続けました。

30km〜
 歩き続けるのがかなり辛くなってきていました。足はまだ大丈夫だったのですが、腰と背中が痛くなってきて、もしかすると食事を取っていないためかと思い、バス停の椅子に腰掛けて、持参していたゼリー状の食物を口にしました。
 そして海沿いの道に出ました。そこから見える景色、そして海の匂い、海沿いの植物の匂いなど、私が生まれ育った場所によく似ている感じで、とても心地よく、アップダウンの続く道にもかかわらず、疲れは感じませんでした。それと、サポーター、岡山政経塾OBの方々が本当に親身になって声をかけてくれていて、それは間違いなくエネルギーに変わっていました。

40km〜
 待ちに待ったサポートポイントで、オレンジを2切れぐらい食べた後、これから先のためにも少し休んだほうが良いと思い、5分ぐらい座り込んでしまいました。
 すると、再スタートがひどく大変でした。とにかく、足、股関節の痛みが強く、立ち上がりたくない、歩きたくないといった状況です。数十歩進んだ後、あまりにも痛いので、また腰を下ろしてしまいました。
 歩いている途中はそこまでひどい痛みは無かったのですが、休むと筋肉が冷えてしまうのか、痛みが一気に表面化してくるようで、休憩を取るのもよく考える必要があると気付きました。

50km〜
 伊里漁港までの道のりが、かなり辛い時間帯だったのですが、50キロポイントで、サポーターの方々、伊里の方々が声をかけてくださり、元気が復活しました。
 そこにはうどんが用意されていました。それまでゼリーとオレンジをいくつか口にしたぐらいで、それ以外のものを食べていなかったため、かなり美味しそうに見えました。しかし、せっかくうどんをすすめてくださった方には、とても申し訳ない気持ちでたまらなかったのですが、40キロ地点での休憩後の再スタートがあまりにも辛かったので、閑谷まで一気に上りきったほうが良いと判断し、休憩をせずにそのまま進みました。その結果、上りにもかかわらず、スピードも気持ちも、落とさずに進めたと思います。

54km〜
 閑谷分岐点前のコンビニ到着です。
 初めてのトイレに行きました。100キロ通して、トイレに行ったのは、これ1度だけです。
 ここで暗くなったのと、寒くなってきたということで、サポーターの方から上着着用、タスキ、ライト点灯を指示されました。温かい応援も頂いたので、また元気を取り戻しました。

58km〜
 待ちに待った閑谷のサポートポイントです。
 ゼリー以外のまともな食事を取るのは初めてです。おにぎり一つと、タケノコなどを頂きました。美味しかったですが、それ以上に、いろいろと気遣って頂いた閑谷の方々との会話とその一時が心地よく嬉しかったです。
 短時間で食事を終えての再スタート、やはり足の痛みがひどかったのですが、下り坂だったので、何とかスムーズに進むことができました。

70km〜
 待ちに待ったチェックポイントです。足、股関節がひどく痛かったため、少し休憩をしました。サポーターの方が、靴ひもを緩めてくれて、足の筋肉を伸ばして下さいました。
 あまりにも一人で歩いている時間が長いので、時折のサポーターの方との会話は嬉しいですし、とても鮮明に記憶に残っています。一人で歩いているのではなく、支えられているから歩けるのだという気持ちになりました。
 今度は、椅子に座った状態から、なかなか立ち上がれません。ストレッチをしたほうが良いとのアドバイスを頂きましたが、ストレッチをするのも一苦労の状況でした。
 痛みの中、再び歩き始めましたが、もう、前も後ろも誰もいません。次のポイントまでかなり長く、あまりにも誰とも会わないので、道を間違ったのかと思い、何度かスマートフォンで位置をチェックしました。
 私は、寂しがりではないため、一人でいることも、暗いところも、苦にならない人間なのですが、誰もいない中、一人で痛みに耐えながら、どこまで続くかわからない暗闇の中をいつまでも進み続けていると、サポーターの方の誘導のライトがとても待ち遠しく感じました。
 100キロ歩行では、思っていたよりも考え事をすることが出来なかったのですが、この時間帯は、サポーターの方々への感謝の気持ちに誘発されたのか、今までの人生で出会ってきた人たちへの感謝の気持ちが湧いて来ました。

82km〜
 最後のサポートポイントのコンビニに到着しました。
 私にとっては、魔のポイントでした。ここで少し休んでしまいました。寒かったせいで体が冷えてしまったのか、再スタート時の痛みが、それまで以上にひどい状況でした。
 それはもう足の痛みなのか、どこが痛いのか分からないぐらいの痛みでした。足の裏もシューズと靴下が擦れているのか、それとも重度の疲労なのか、痛いというより熱いという感じでした。やけどをしているのではないかと、止まって確かめたいところでしたが、再び歩きだす時の痛みのことを考えると、歩き続けるしかありませんでした。
 この足の痛みが、今までの人生の中で一番の痛みかというと、決してそんなことはありません。この程度の痛みが我慢できないはずがない、と自分に言い聞かせて進みました。気を紛らすために、それをブツブツと口に出して呟きながら歩いていました。もう、完全に精神力だけで歩いていました。

93km 〜後楽園
 川沿いの道から、ぐるりと回って住宅地の路地へと続く道。この下り坂を降りた時点で、気持ちだけでは進めない、足が思うように前に出ない状況になってしまいました。
 何人かの人に追い抜かれました。自分が情けなく感じました。すでに、ゆっくり歩いても制限時間には十分に間に合う状況で、急ぐ必要など無いのですが、ペースが一気に落ちて追い抜かれる自分が情けなくて仕方がない気持ちでいっぱいです。競争ではないので、マイナスな思いは必要ないはずなのに、そういった感情が強く浮かんできました。自分の弱さと向き合わされた長く辛い時間帯でした。
 なんとか歩き続け、法界院駅を過ぎ、柳川の交差点が見えたぐらいで、ペースが戻りはじめました。腕を振ると足が進みます。それまでの辛い時間帯とは進み方が違います。やはり意識の違いでしょうか。ゴールを近くに感じることで、気持ちが完全に前に向きました。
 後楽園の橋が見えた時、ここでガッツポーズです。もう、そこからは痛みを忘れてしまいました。最後の橋からゴールまでの道は、楽しくて、嬉しくて仕方がありません。そして、ゴールは達成感と開放感で、感動の一瞬でした。

ゴールの後
 余力など残していないので、もう足が動きません。少しの距離の移動も、とても大変な作業でした。その後、足の痛みと肉体的な疲労が一気に押し寄せてきて、歩いている時よりもさらにつらい状況でした。12期生の仲間のゴールも一緒に喜びたかったのですが、満足にそうすることが出来なかったのは、少し後悔をしています。
 動けない状況の私を気遣ってくれたり、手を貸してくださった12期生の仲間やOBの方々にはとても感謝をしています。
 自宅に帰宅後、玄関からまったく動けなくなってしまい、風呂もトイレも一人では難しい状況で、ベッドに横になった後は一人で寝返りすらうてないぐらいになっていました。
 家族の介護がないと生活できない体験ができたのは、ある意味良かったかもしれません。

ゴールの後(余談)
 歩行中、あまりにも食事を取る量が少なかったためか、途中、甘いコーラを飲みたい、という衝動に何度もかられました。ゴール後にいざコーラを飲むぞということで、満足に歩けない足で頑張って購入し飲んだところ、味覚が麻痺してしまっていたのか味が感じられず、逆にかなり気持ち悪くなってしまいました・・・



4.100キロ歩行で、何を得たのか
 今回の100キロ歩行を通して、私は何を得たのでしょうか。
 決して、楽だったわけではありません。限界の状態で、さらに自分を追い込みながら歩きました。ゴール時点では達成感がありましたが、その後、どうも期待したほどの満足感がありません。
 その意味を理解するのに少し時間がかかりましたが、一つの結論に至っています。
 それは「今のまま」では、どんなに苦労をしても、求めるものは「得られない」ということです。
 私は、志や信念、人生の目標など、他人よりも大きく強いものを持っているという自負があります。それに向かって、日々の努力や忍耐、苦労を重ね、自分の限界を超えるところまで肉体や精神をすり減らし、少なくない犠牲も払い、振り返らず、ひたすら前に向かって歩き続けていると思っています。結果を急ぎ、時間と焦り、無理をし続けることによる疲労と視野の狭まり、それはまさに、今回の100キロ歩行での道のりそのものでした。
 一緒にスタートした仲間、他の挑戦者、サポーターや休憩ポイントでの地元の方々とのふれあいなど、大事にすべきことがあったのでは、もっと周りを見る余裕をもって臨んでいればと少し後悔しています。
 人生も、100キロ歩行も、競争ではないので、限界の状態で前しか見ずに、絶えず前進し続ける状況が続けば、やがて本来の目的や、自分すらも見失ってしまうのではと感じました。
 そして、一人の力で出来ることは限られていて、いろんな人との交わりや、助けあい、支えあいの中でこそ得られる結果があり、それにより自分の意識の幅が広がって、さらに大きな世界が見えてくるのではと思います。

 来年、もう一度歩きたいと思います。これからの一年間の縮図が次回の100キロ歩行の結果に現れると思うので、今度こそはゴールの後に満足が得られるよう、今から準備を始めたいと思います。

 今回の100キロ歩行で得たもの、それは今の自分の姿でした。