2013年 100km Walk

 
◆井ノ本 瑞惠(岡山政経塾 12期生・ゼッケン:406)

晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート             2013年5月18日提出
「:『限界』は、情報収集・分析、それにもとづく計画的な取組みにより、超えることができる!そして・・・」




T.3つの準備「心」「身体」「物」
1.「心」の準備
○ 「24時間以内で100キロを完歩する!」を目標として、政経塾12期生で下見を実施。今回の100キロコースを、昼・夜各1回ずつ車で下見、コンビニ・トイレの場所、コースのアップダウンや間違えやすい道などを確認。
○ これまで、「運動は苦手」と応援には行っても自分が運動することは避けてきたが、「ここで完歩すれば、自分ができないと思っていたことが克服できる!」「この挑戦を成功させることで、自分の夢も実現させることができる!」と心を奮い立たせ、100キロ歩行に挑んだ。

2.「身体」の準備
(1)日々の練習(3月11日から開始)
まずは日々の練習。日々の通勤は、片道2.5キロ。ヒールを鞄に入れて、スーツに運動靴というなんともアンバランスな格好で通勤。

(2)休日の練習
「20キロ、30キロの練習は筋肉をつけることにはならない」と聞いてはいたが、長距離歩くことがどのようなことなのか様子を知りたくて、旭川・百間川ランニングコースや吉備路を繰り返し歩いた。ここで、私は様々なことを知り、準備することにつながった。

(3)練習を通じて分かったこと
【自分の身体に関すること】
20キロを過ぎたあたりから膝が痛くなる。これまでにも、長距離や下り坂を勢いよく歩くと発症していた症状。また、歩き終わる頃には、腰が重たくなった。この対策として、本番前日、テーピングを実施。特に膝は念入りに。また、持ち物には腰痛ベルトと膝のサポーターも準備した。また、本番では、コース中の下り坂で、特に膝に負担をかけないよう少しスピードを緩めて歩いた。
練習や寝不足等で疲労が蓄積した際に、足がつることがあった。その対策を整体師の方に伺うと、新鮮な血液が足の裏に流れていないことが原因とのこと。青竹踏みを始めた。万一つったときの処置方法も教えていただき、本番に備えた。
【歩くスピードに関すること】
練習の結果、1キロ11分、時速5キロ以上を維持できれば、休憩、後半のペースダウンを考慮しても翌朝9時頃にはゴールできそうであることが分かった。自分のペースを知り、周囲のペースに流されないよう気をつけることができた。
【歩行中の身体のメンテナンスについて】
長距離歩行にあたり、足や股関節、腰への過度の負担を少しでも軽減させるため、リンパマッサージの方法を聞き、休憩の都度、足や腰のマッサージの実施。それに加えて、足に溜まった乳酸を拡散させるため、仰向けに寝転び足を高く上げての自転車こぎ(30回程度)を実施。
信号待ちの際には、ストレッチとくるぶしの後ろのリンパマッサージを実施。
これらのマッサージ等を継続して行うことで、少し長く休憩しても、ペースを落とすことなく、快調にペースを維持し続けることができた。

3.「物」の準備
これまで、体育の授業以外では、全く運動と縁のなかった自分。何を準備したらよいのか分からず、まずは情報収集から始めた。

【「靴」の準備】
店員さんに、100キロを歩く事、初めての挑戦である事などをすべて話し、靴下を重ね履きすることを考慮して、大き目の靴を選ぶこと、走る靴と歩く靴が違うこと、100キロを歩くのであれば、通気性の良いものを選ぶことなどを伺い、ひもの結び方(締め方)まで細かく教えていただいた。
【「タイツ」「靴下」の準備】
サポート効果の優れているタイツ、5本指の靴下、長距離歩いたときに効果がある土踏まずのアーチをサポートする靴下などを購入。

【「上着」等の準備】
前回までに完歩された先輩方の話から、昼夜の気温差が大きく、気温が下がると体が動かなくなることが分かった。
日中は日除け対策、夜間は寒さ対策が必須との情報にもとづき、帽子、速乾性・襟ありのTシャツ、ダウンジャケット(夜用)を準備。

  【共通事項】
準備したものは、本番までに実際に身につけて練習することが必須。また、実際に持って歩くものを鞄(リュックサック)につめて、練習することも必須。

U.100キロを歩いて
1. 順調に進んだ93キロまで(時速5〜6キロペースで、想定どおり)
「練習と準備の成果だ!」想定どおりのペースで進むことができた。
話したり、笑ったり、歌ったり、10メートル程先の信号が青に変わったら、走って点滅するまでに信号にたどり着くなど、思った以上に疲労を感じることなく、余裕を持って歩くことができた。

2. ペースダウンした93〜97キロ(時速3〜4キロペース)
   中原橋交差点が目の前に見えるが、その少し前から痛み始めた右足が思うように前に進まない。これまでであれば、信号が青に変わった時点で、走って信号を渡る元気があった。しかし、気持ちは前に向かっているのに、足が全く進まない。それをもどかしく思い始めると、「あんなに練習したのに・・・」「あんなに準備をしたのに・・・」と悔しくなり、口数も少なくなってきた。
今、この時を振り返ると、自分の心を占めていた気持ちは、「思い通りに体が動かない悔しさ」だったと思う。この悔しさをばねに、多少のペースダウンはあったものの、なんとか97キロ地点までは歩けた。

3. 足が痛くて前に進まない97キロ〜ゴール(時速1.5〜3キロペース)
   弓之町付近、平地が続く。ゴールが目の前だから、気持ちを奮い立たせることができると思っていたが、逆だった。「後楽園はすぐそこに見えるのに、まだ3キロもある。」広くてまっすぐな道路がうらめしかった。歩いても歩いても距離が縮まる気がしなかった。その頃の私の右足は、一歩足を出して地面につくと痛みが走り、頭は真っ白だった。
   そんな状況の中、目に飛び込んできたのは、ゴール直前の後楽園に続く橋の手前で、同期の三宅由佳さんが笑顔で大きく手を振る姿。「頑張って〜!」と声をかけてくれた。腕を組んで一緒に後楽園に向かってくれた。
   三宅さんの笑顔と声を聴いた瞬間、この100キロ歩行に挑戦するにあたり応援してくれた周囲の人たちの顔や声援が、走馬灯のように頭を駆け巡り、涙が溢れた。93キロ、いやゴール直前まで、自分の努力でここまで歩いてこられたと大きな勘違いをしていたことが恥ずかしかった。一番苦しく辛いゴール直前、前に進まない足をゴールに向かわせてくれたのは、応援してくださった一人ひとりの顔と、頭の中でこだまする「頑張って!」「無理はしないのよ!」「応援してるわよ!」みんなの声援だった。
   それまでの右足の痛みはどこへいったのやら。足取り軽く、気持ちは時速5〜6キロペースに戻った感じだった。

4. ゴール
   「人は、決して一人では生きていくことはできない。支えられて生きている。」このことを実感した最後の百メートルだった。順調に歩いてこられた93キロも、このことを知るためのプレリュードだったのかもしれない。
   応援してくださったみなさん、そして、ゴール直前で迎えてくれた同期の三宅由佳さん、本当にありがとうございました。



V.「2013晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行」を終えて
1.「限界」は超えることができる!
根拠のない自信やがむしゃらなやる気だけでは、完歩することはできなかったと思う。目標を達成するための十分な準備は、挑戦を成功に導いてくれることを実感した。「限界」は、情報収集・分析、それにもとづく計画的な取組みにより、超えることができると確信した。
そして、自分の取組みを理解し、時に助言してくれる人が周囲にいてくれること。これが、自分の「限界」を超えさせてくれる原動力になる。

2.後悔から学んだこと
本番では、トイレの順番待ち等で、思った以上に休憩時間が長くなったため、想定より少し遅れて歩いていた。ゴールがある程度見えてくるまでは、他の人の体調などを気にかける余裕もなく、調子が悪くてしゃがみ込んでいた人を見ても、声をかけるだけで立ち止まるまではできなかった。しかし、このことは、歩き続ける中で、自分の中に後悔として心の片隅に残っていた。
挽回のチャンスは、リバーサイドを越えたコンビニで休憩している時にやってきた。
「痛み止めをもっていませんか?」と声をかけられた。持ち合わせの薬を渡し、ストレッチをしながら少しおしゃべりをして、私は一足先にスタート。ひとつ善いことができたかな、と思っていたところに、後ろから、「さっきはありがとう!お陰で痛くなくなったから、こんなに早く歩けるよ!」と声をかけられ、颯爽と追い抜かれた。その方達の背中の夜光タスキが見る見るうちに小さくなり、暗闇に消えていった。私は、その方の一声で、元気をいただいた。
それからは、チャレンジャーを追い抜くときには、どんなに辛くても必ず一声欠けて追い抜こうと心に決めた。

3.災害等に備えて、100キロを歩く自信
 東日本大震災以降、「帰宅難民」という言葉を耳にするようになった。近年では、交通機関が寸断されたことを想定した帰宅訓練が実施されている地域もある。
 今回の100キロ歩行により、自分が歩くことができる距離と時間、持てる荷物の限度等を知ることができた。
 今後は、今回の歩行の結果にもとづき、避難経路や持ち物の再点検を行わなければならないと考えている。



〜 最後に 〜
昨年の100キロ歩行終了後から約1年間にわたり準備をしてきてくださったスタッフの皆さま、当日、ボランティアで炊き出しをしてくださった地元の皆さま、沿道で励ましの声をかけてくださった皆さま、多くの皆さまに心から感謝申しあげます。
100キロに挑戦したことで、数多くの「感動」に出会い、人に「感謝」し「感謝」される喜びを再度感じることになりました。
将来的に、この大会が岡山県東部を代表する大会となるよう、今後はサポーターとして参加し、参加者の増強、参加者の安全確保、一人でも多く方の挑戦をサポートしたいと思います。
そして、人々の暮らしを大切に考え様々な取組みを行った津田永忠に学ぶ100キロにすることで、各地からの参加者を増やすことができればと思います。

「『限界』は、情報収集・分析、それにもとづく計画的な取組みにより、超えることができる。」「そして、自分の取組みを理解し、時に助言してくれる人が周囲にいてくれること。これが、自分の「限界」を超えさせてくれる原動力になる。」
このことを心の片隅において、仕事の成果、自分の夢の実現に結びつけていきます。そして、仲間の挑戦を応援できるヒトになりたいと思います。

すばらしい挑戦の機会を与えていただいたことに、感謝申しあげます。

以上