2013年 100km Walk
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◆溝手 宣良(岡山政経塾 12期生・ゼッケン:407)
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晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート 2013年5月18日
「意 味」
目標とは「ある物事を成し遂げたり、ある地点まで行きついたりするための目印。」と辞書には書いてある。
目的とは「実現しようとしてめざす事柄。めざす所。」と同辞書に書いてある。
では、24時間100キロ歩行に参加する目的は何なのだろうか。参加が決定した瞬間から探していた。パンフレット等にしっかりと大会の目的が書いてあるので、その通りなのだろうとは思う。しかし、それでは私にとっては漠然としている。結局具体的な目的は何も無いまま、もちろん目標も設定できないまま当日を迎えた。
当日はとても良い天気、私が会場に到着した頃はすでに熱気であふれている。私の気持ちは天気とは違い曇りがち、目的が見つかってないのだから当然だ。受付近くでは同期のみんなが過去にリタイヤし「忘れ物を取りに行く」と再挑戦する仲間への寄せ書きをしていた。私も書くように言われ書かせて頂いた。実は羨ましかった。みんなからの寄せ書きがではなく、「忘れ物を取りに行く」という明確な目的がある事がだ。
そのままスタートを迎えた。最悪だ。どうしてもみんなと一緒に歩く気になれず、避けるように最後尾からスタートした。「何のためにこんな事をしているのだろう」などと思いながら、自分の性格上途中でやめるのは嫌いなので「最後まで歩く」事だけは決めた。すると不思議な事に徐々に楽しい気がしてくるのを感じた。小さな目標も出てきだした。初めて会う人との会話もあり、楽しさも増してくる。勝手なものだ。
改めて言うまでもなく、世の中はそんなに甘くはない。長時間、長距離を歩いていると身体のあちこちが痛くなってくる。日が暮れて寒くなると気持ちが萎える。ここにきて目的のない挑戦が響いてくる。しかしリタイヤは無い。自分の決めた事を覆したところで誰にもわからないし、激しく誰かに迷惑を掛けるわけではないが、過去の経験上いつまでも気分が悪い事は知っている。サポーターの方々やボランティアの方々、一緒に歩いている参加者の方々の励ましを受けながら歩く。ひたすら歩く。
夜も明け、残り20キロの頃、24時間以内に完歩できる事がはっきりとわかる。この辺りから自分の中で初めて「24時間以内に完歩したい」という「欲」がでる。目的ではないが明確な目標ができた事になる。単純なものでペースがあがる。その先は順調なもので、無事ゴールを迎えた。悪い気はしない。先にゴールしていた仲間たちが温かく迎えてくれた。私より後にゴールした仲間を迎えた時など、スタートの時より明らかに元気だった。もちろん身体のあちこちが痛いのだが、元気が溢れていたように感じた。
志は高くあるべきだとは思うし、夢を追いかけ、明確な目的を持ち、そのための目標を設定し、一つ一つクリアしていくのが最善だと思う。しかし、今回私が経験した事は、夢や目的がない、或いはわからないからといって何もしないのではなく、とりあえず動いてみると何かが起きる、という事かなと思います。それが感じれただけでも参加した意味はあったと思います。ご関係の皆様、ありがとうございました。
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