2013年 100km Walk

 
◆森田 育宏(岡山政経塾 12期生・ゼッケン:436)

晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート             2013年5月日
「愛の100Km歩行 2013」



●100Km歩行に出場する目的はなかった。
 私の中で100Km歩行の目的は、当初なかった。ただ政経塾生であるがために、絶対完歩しようと思っていた。

●100Km歩行の目的を作る
 ふと一回り下の高校三年生の妹のことが浮かんだ。今年受験だ。以前、受験を乗り切るために岡山政経塾のように高校三年生の初めに100Kmを歩かせる高校があることを思い出した。それは受験という辛さを乗り切るために100Kmを歩くことで自信をつけさせ受験を乗り切っていこうというものだった。すぐ行動に移すため、妹に電話した。しかも、大会の3週間前に。妹の答えは参加だった。そこで、
 「妹に完歩してもらうための24時間 100Km歩行完歩」という目的を立てた。
 そして、自分自身には、
 「110Km歩行完歩」
という目的を立てた。100Kmを完歩してから法界院の95Km地点まで戻り、残りの12期生を連れて帰ろうと思った。

●準備
@2日に1回は1時間以上歩行すること。
A練習会に参加し1時間7Kmで歩く。
B自分の絶対完歩するという思い。
C物の準備
 リュックサック(なるべく小さく)、タオル1枚(リュックにくくれるもの)、
 経口摂取ゼリーOS-1 1本、コールドスプレー、現金5000円、バンドエイド大5枚、ワセリン、変えの靴下1足、腰のテーピング、コルセット、携帯電話、大会パンフレット、帽子、妹の100Km完歩するための思い。

●大会当日
 前日に両親と妹が大阪から岡山入りし、妹のみ自宅へ宿泊。後楽園に向けていざ出陣。
 妹と絶対100Km完歩することを誓い、12期生のみんなと挨拶。僕には似ていなくてかわいい妹というのが12期生(嶋村さん、坂本くん)の意見だった。

●スタートからいちご農園まで
 最初は1時間6.5Kmというハイペース。12期生のトップに出る。そして、約7Km地点にて、12期生の小田さん、下花さんに抜かれました。「ペース早いね。」という二人の言葉。10Km地点からいちご農園まで坂本くんと妹の3人で歩きました。ペースを妹と相談し1時間約6Kmに落とした。いちご農園付近にて坂本くんと別れる。

●備前体育館に向けて
 再び2人で歩く。そこでは2人で景色を楽しむ。途中で招待客が・・
 母親から電話だ。25Km付近にて、「何か必要なものがあるか?」と両親からのサポート。
 水と氷がいることを伝える、頭からかけるために。日中は暑さに要注意。サポートがあれば、必ず熱中症対策に必要と考える。
 30Km地点にて両親の待機。「がんばれ」という応援メッセージに笑顔で答える、2人。
 それから、備前体育館に午後5時半に到着。
 そこで、12期生井ノ本さん、栗山さん、三宅さんに会う。みんな頑張ろうと声を掛け合い、2人とも笑顔で元気いっぱいの声で返す。
 また、両親も笑顔で僕たちに声をかける。「寒くないか?何か必要なものがないか?」を。

●市場に向けて(再発見)
 途中、妹が足の痛みを訴える。そのため約1時間おきにストレッチ、山越え前にはストレッチをするという暗黙のルールを作る。お互いその時には声をかけずに止まる。ガードレールを利用して足の筋を伸ばすこと、他には屈伸することを重点的に。屈伸運動は、30分くらい歩くことが軽くなること発見する。ストレッチに取り入れていこうとなる。
 だんだんと日没となり、午後7時半真っ暗の中、市場に到着。

●市場にて(愛の中間地点)
 12期生の栗山さん、嶋村さん、妹尾さんに合流する。嶋村さんが救護室にいるところを発見する。右足はテーピングしていて、膝の皿と太ももとすねにかけて腫れすぎて区別がつかない状態となっていた。左足も同じような状態、「どうしよう、バーツ(私のこと)」と声をかけてもらう。そこには、嶋村さんの奥さんがいて「どうしたらいいでしょう。」と悲しげな表情で訴えられる。僕はどうしてよいかわからず、とりあえずワセリンをべた塗して足の摩擦を減らすこととマッサージをかねて行う。自分が看護師という立場でありながら嶋村さん自身の苦痛を緩和できないことにふがいなさを感じた。僕にできるのは、ただ笑顔で対応するのみだった。
 妹も苦悶の表情、「足が痛すぎる。」と足を上にあげてリンパの流れをよくすることを提案し行っていた。また、母親が持ってきたアイシングにより足を冷やす。ここでも僕は妹に「大丈夫か?歩けるか?」と声をかけるのみだった。
 栗山さんとの出会い。次の閑谷学校まで真っ暗で女性1人ということで、3人で閑谷学校に向かうことにする。

●閑谷学校へ向けて(倦怠期)
 話す言葉がなくなり、iPodを聞きながら3人で1列になって歩行する、まるでドラクエだ。時折、ストレッチタイムを入れながら、急な上り坂、下り坂で3人とも疲弊する。そこで、ストレッチしながら「空を見てみて。」と2人声をかける。空には、満天の星空が。あれが北斗七星だと言葉を交えながら、少し楽しむ。
 閑谷学校のチェックポイント到着。午後10時前、サポーターの皆様の元気に助けられる。ここで、サポーターの大切さ。自分1人で100Km歩行していることではないことに気づく。
間違っていた自分自身に喝を入れる。

●リバーサイドに向けて(成熟期へ)
 栗山さんとも別れ、再び2人で。妹の足の痛みは最高潮。苦悶の表情に言葉かけができず。また、母から電話。リバーサイドで待っていると。妹はレッドブル、僕はユンケルを頼む。このとき日が変わり、   12時くらい。話す言葉もなくなる。黙々と歩き続ける。
 和気ゾーンへ突入、足元の貼ってある言葉を胸に刻み歩き続ける。
 一番心に響いたのは、「辛い時こそ人を助けよう。」これに対し、妹も無言のうなずきが。
 妹の辛さが伝わりながら歩く時間、静寂以上に苦しい時間。今回誘ってよかったのかと攻める自分がいた。妹に問うた。出てよかったのかを
 「私はどんなペースでもいいから、絶対100Km歩きたい。」という言葉。
 ここから静寂は破られる。
 ふと家族の話へ、
 こんな遅くまでサポートしてくれる両親に対して、
 「本当に2人ともお父さん、お母さんの子供でよかった、そして妹と兄弟でよかった。」と語り兄弟であることを誇りに思えた。
 「絶対他の親だとぐれてる。」と。妹もこの意見に同意してくれた。お互い少し涙ぐむ場面もありながら、リバーサイド到着。
 母のサポートのありがたさを感じた。頼んだもの以外に身体を温めるためにホットレモンを差し出す母、母のぬくもりを感じた。いつもは普通に飲んでるホットレモン。ここでは、ほんとに心から温まるようなそんな気分にさせてくれた。
 そして、父はいつも無言、でもいるだけで思いが伝わってくる。がんばれという思いが。

●後楽園に向けて(壮絶期)
 お互い最後10Kmは足を引きずりながら進む。ここまで妹を引っ張ってきた私だったが、足への激痛を感じ、妹が前を行く。ここで、当初の目的が変わってきていないかと問う。
 妹へのサポートが妹からのサポートへ変わった瞬間だった。ふがいない兄貴だ。
 それでも妹は前に進んだ、ゴールへ向けて。
 「時間なんてどうでもいい、100Km歩くのが目的だから。」と妹の言葉。
 僕が、1時間5Kmペースに落ちていることを触れるとこんなふうに返す。自分の身勝手な言動が妹の気分を害してしまったと思った。自分自身が目的軸からぶれていったのを、妹に気づかされた。妹は、スタートから思いは変わっていなかった。
 不思議と妹と過ごした時間でリタイアの文字は一つも浮かばなかった。
 ただ、前に歩き進んでいることだけは変わりなかった。

●ゴール
 妹と一緒にゴールテープを切る。22時間18分42秒と43秒でゴールする。そこには両親がいた。「おめでとう。」という言葉をもらう。両親は寝ずに僕らを応援してもらえた。また、そこには12期生の姿が。みんなで喜びを分かち合う。

 そして、小山事務局長。森田は最後まで笑顔絶やさずゴールしました。「お前はやっぱりすごいわ。」という言葉忘れません。これは、今回サポーターをしてくださった方々、12期生のみんな、この24時間    100Km歩行2013に関わった人すべてに「愛」があったからこそ達成できたこと。1人ですればきっとリタイアしていたかもしれない、家族がいたからこそ今回は完歩できた。
 「本当にみんなありがとう。」

●追記
 森田は110Km歩行の目的は達成できていないので、きちんと来年も挑戦すること誓います。
 そして、あれだけ大きな苦痛をかかえながらゴールした、嶋村さん。
 私はあなたを尊敬しています。
 毎回の練習会かかさずに出席していた、嶋村さん。
 「足が痛い痛い、通院もしている。」といいながら当日もあれだけ傷つきながらあなたは完歩しました。
 「練習は嘘をつかないけど、本番は嘘をつく。」と思っていましたが、嶋村さんはその常識を打ち破りました。私の独りよがりな見解ですが、最後、嶋村さんの奥さんが涙を流していたのを覚えていますか?
 本当の家族愛をここでも見ることができた私、幸せ者です。
 嶋村さんはもっと幸せ者です。
 そしてこの場面、酒井さんに見てもらいたかったです。
 長々と文章を書きましたが、最後まで愛を貫き通し、独りよがりで情熱的な文章を楽しんでもらえたら幸いです。