2013年 100km Walk

 
◆米澤 登志子(一般参加・ゼッケン:55)

晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート             2013年6月1日
「感動の一年間」



●きっかけは
 私の幼なじみであり、私が所属するグループ「ワンダーシップ(青春の会)」に誘ってくれた井上君が2年前に岡山政経塾の塾生として100キロ歩いた事から始まった。
 2年前に完歩した彼が「100キロ歩く事の意味」や「歩いて感じた事」などを熱く語る話を聞いて、100キロ歩行に興味を持ち、心を動かされる自分がいた。

●そして昨年
 同じくワンダーシップの仲間である松浦さんが100キロを歩いた。
 井上君と同じく、素晴らしいタイムでゴールを決めた彼もまた「挑戦する事」・「完歩する事」の感動を熱く語ってくれた。
 彼らの話を聞くにつれ、私は「次回は絶対にチャレンジして彼らの得たものを共有したい」と思うようになり、この頃すでに私の100キロ歩行は始まっていた。

●そして今年
 再度チャレンジする松浦さんと共に、ワンダーシップの仲間の綾野さんと梶並さんと一緒に申し込みをし、必ず全員で完歩しようと誓い合った。

●私の練習
 今までこれといった運動をする訳でもなく、脂肪で形成された身体に、たいした筋肉がある訳でもなかったが、1年も前から今回の参加を決めていたので、本当にたくさんの練習ができた。
 幸いな事に、自宅から仕事場までがちょうど片道7キロの場所にあったので、とにかく可能な限り歩いて通う事に決め、朝に夕に7キロを歩いて行き・・・歩いて帰り・・・
休日には操山を歩き、閑谷越えのアップダウンにも備えた。
 また、昨年夏には富士山登山に参加し無事登頂。今年に入ってからは偶然知った「歩く会」に参加し、香川県・屋島から和歌山県・高野山までを1週間かけて歩いた。
 これらの経験は私にとって「100キロ歩く事」への大きな自信に繋がった。

●アクシデント
 練習会が始まってからは岡山と倉敷の練習会に、調子に乗って週に4回も参加したりして、4月に入ってからついに足を壊した。
 最初は「足が痛いのは練習の成果」・「筋肉がついてきた証拠」と勝手な判断をしてい たが、次第に足がむくみ、腫れ、しびれ、そして膝の裏と足の裏に出来たしこりは激痛が走るまでになっていた。こんな足では到底歩けるはずもなく「一年間、これだけ練習してきたのだから、私の足に歩くための筋肉は付いているはず」と自分を信じる事にして、4月の中頃からは練習は一切やめて、整体とリンパマッサージに通い、とにかく足を治す事に専念した。

●ドーピング
 治療の成果もあって、腫れとしびれは治まったものの膝と足の裏の痛みだけはどうにもならず「もしかしたら、これはドーピングかしら?」と思いつつ、大会2日前に病院で足の裏に痛み止めの局部注射をしてもらった。

●そして当日
 1年間歩いてみて、確かめていた足指のマメの出来そうな所にあらかじめテーピングを し、足裏にはスポーツ店で購入したゼリー状の中敷きを入れ、膝にはサポーター。そして、もし歩けなくなった時のために登山用のステッキを持ち、仲間達と共にスタートラ インに立った。私のゼッケンナンバーは「55」Go! Go! Let’s Go!だ。

●準備したものは
 シューズはプーマのウォーキング用に、オーダーメイドの中敷きを入れ、五本指のソックスにショートパンツとCW−Xを履き、Tシャツは半袖、サングラスと帽子。

●ウエストポーチ
 「ウエストポーチは邪魔になる」とのアドバイスもあったが、リュックを度々肩から外す手間を考えて、私はウエストポーチとリュックを併用した。
 ポーチの中には、1時間毎に食すぶどう糖(固形)と2時間毎に飲むアミノバイタル(顆粒)、ウイダーインゼリー、おにぎり、チョコレート、そして念のために、お守り代わりに痛み止めの薬を入れた。
 結局、ゴールまでウエストポーチは腰につけたままだったが、途中でポーチが腰に負担なら外してリュックにしまう事にして、リュックの中は雨具・夜間用のウインドブレーカー・懐中電灯(首掛けタイプ)・夜光タスキくらいにして、ポーチを納めるスペースを空けておいた。

●私の武器
 そしてあと1つ・・・
 私のウエストポーチには、今回この100キロを歩くために、一番大切なものが入っていた。事前に調べておいたコースの道順やコンビニ、トイレ等の場所。ポイント毎の目標タイム等を書き込んだノート。
 このノートの余白に、自分がこの100キロを何のために歩くのか、具体的に1つずつ書いた。
 そして私は、このノートを歩きながら何度も何度も、ウエストポーチから取り出しては繰り返し読みながら、自分の目的を再確認しながらゴールまでの道のりを歩いた。
 私は、この魔法のノートのお陰で、途中一度も心が折れる事もなく、リタイアが頭をよぎる事もなく、最後までひたすらゴールだけを目指して歩く事が出来た。

●誤解を怖れずに言います
 大会の日からほぼ1ヶ月が過ぎて、こうしてレポートを書いていて、今思う事は、プログラムにも書いてあったが、「100キロは誰にでも歩ける」という事です。
 「身体に故障が無ければ、物・身体・心の準備が出来れば誰にでも歩ける」極端に言えば、「物」・「身体」の準備が出来ている人は「心」の準備は無くても歩けるだろう。しかし、私を含め大半の人は準備の万全でない部分をどれだけ「心」でカバー出来るかどうかだろうと思う。

●すべての人に感謝
 今回のチャレンジに、たくさんの友人が声援をくれた。でも私を見守る人のほとんどは 「完歩は無理かもね。リタイアする勇気も大切だよ。でもできる限り頑張ってね。」と いう最初からの私に対する優しく寛大で温かい言葉。
 でも、私は最初から「必ず完歩する!」と強く心に決めていました。
 一緒にエントリーした人、練習につき合ってくれた人、下見に同行してくれた人、メールや電話で励ましてくれた人、今回の私のチャレンジにあらゆる事で関わってくれた人。
 また、当日はスタート地点や応援ポイントに来てくれた人、夜中まで車で後を追ってきてくれた人。
 それより何より、今私がこうしてこの様に生きてゆける事に、寄り添い、関わり、私を導いてくれた人達に感謝の気持ちとして「100キロを楽しんで歩く事」・「笑顔でゴールする事」これが最大のテーマでした。お陰様で6時6分に無事ゴールしました。

●感動
 過去に完歩した友達の話が私の心に響いたように・・・今回、私が歩く事によって、誰かの心に少しでも「感動」のようなものを感じてもらえたら・・・
 私が今回「100キロ歩く理由」は、そこに集約されていました。
 そして、今度は新たなミッションを自分に課して、来年もまた歩きます。

 最後になりましたが、政経塾の方々、サポーターの方々、ボランティアの方々、道路に励ましの貼り紙をしてくれた方々、その他この大会にご協力下さったすべての方々に感謝致します。
 本当にありがとうございました。(合掌)