2013年 100km Walk

 
◆綾野 富夫(一般参加・ゼッケン:56)

晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート             2013年5月11日
「たくさんのありがとう」



●「たら・れば」は言わない
 1月中旬からその練習は始まった。完歩経験者から練習方法や準備品等を教えていただき本格的な準備に入った。夜には、ほぼ毎日繁華街へ繰り出す生活であるが、その道のりも歩いて行った。3月から始まった練習会へもできる限り参加し、徐々に7km/hがクリアできるようになった。
 コースは車で5回試走してみた。3回に分けて100kmのコースをすべて歩いた。コースの起伏や道の状況なども考慮し、30カ所の詳細な目標タイムを設定。ゴール目標タイムは3時41分。これはを達成できれば、昨年、一昨年と私の知人が完歩したタイムを僅かに上回ることになる。
 3月には練習のやり過ぎで足を痛めたが、少しセーブすることにより回復した。可能な限りの準備はできた。後は一歩ずつ進むのみ。絶対に言い分けはしないと心に言い聞かせた。

●オーバーペース
 スタート直後、フルマラソンを幾度も経験している栗田さんに聞いた。「今、時速何キロ出とる?」栗田さんは時計を見て「6.8キロ」と答えた。序盤は6.1km/hに設定していた。明らかに早過ぎる。
 沖田神社手前で、友人が派手な応援グッズで力を与えてくれた。私の好物である焼き鳥とエビフライ巻きの写真を釣り竿に付け、私に食いつかせようとしたのだ。まだまだ余裕があったため、食いつく仕草を見せて答えた。13分早いペースで沖田神社を通過。

●後続が気になる
 門前交差点へは20分早く到着。しかしその後ペースが上がらない。6キロあたりから右足先に痛みを覚えたが、20キロ過ぎからは、左も同じような異変に襲われる。箕輪では、前を歩く女性との距離が徐々に開いていく。JA長船にて予定外の休憩。その間数名に越されてしまった。
 飯井手前でサポーターの木下さんに出会った。「今、29位ですよ。」確かさっきまでは20位を歩いていたはずだ。練習会でお世話になった高草さんにも越され、30位で飯井のタイムチェックを受ける。
 友人の山本さん・木下さん・福島さん・須澤さんらが車で通りかかり、声援を送ってくれるが、心底笑顔で答える事ができない。後続がどんどん近づき、追い抜かれる状況がしばらく続いた。

●家族と友人の助け
 妻と二人の娘が、伊里漁港に来てくれる予定だったが、足の激痛に耐えられなくなり、妻に電話した。「痛み止めと靴底を持って早めに来てくれ!」43キロあたりで、家族と合流。道端にしゃがみ込んで痛み止めを飲み、靴を脱いでマッサージをしていたところ、友人の松浦さんが追いついてきた。「綾ちゃん大丈夫か?」「大丈夫。先に行って下さい。」
 「そんな訳にいかん!綾ちゃん一緒に行こうで!」松浦さんや家族が神様に見えた。ありがとう。これで立ち直れるかも。
 実は私が決めた目標は、松浦さんの昨年のタイムより早く歩く事だったのだ。

●スイッチON
 伊里漁港までは松浦さんの後を追い、何とかたどり着いた。釜玉うどんの旨かったこと。ゆで卵をもらった。丁寧にメッセージが書かれていた。しかしその言葉すら覚えていない。かなり疲れ切っていた。
 予定より多く休憩をとり出発。ここから星川さんが合流。三人は同じ会に属している。
 先頭を松浦さん、真ん中を私、後ろを星川さんが歩いた。三人で話しながら歩いたので、少しは気が紛れたが、まだまだ足の痛みは治まらなかった。
 同じペースで5kmを歩き、いよいよ閑谷の登り坂へ。100キロコースで恐らく一番の難所と思われた登り坂は5.2km/hを設定していた。
 そして登り坂へ差しかかったとき、何とも不思議な状況が起こった。すっと私が先頭に出た。面白いように足が進む。登りにも関わらず6.3km/h以上のハイペース。かなり先に小さく見えていた高草さんにあっという間に追いついた。それよりもっと驚いたのは、二人が離れずピッタリと同じ歩調で歩いたことだ。

●アクシデント
 閑谷緑地公園で僅かの休憩。ここからはもう一人増えて四名で歩いた。(後にお名前は平井さんと判明)
 私が先頭で三人が続いた。良いペースだ。しかしおかしい目が見えない。メガネが曇っていると思い、拭いたがいくら拭いても曇りが直らず左目が真っ白に見える。私の矯正視力は左が1.2、右が0.01。つまりほとんどは左目で見ているのだ。その左目が見えない。松木交差点手前で縁石につまづき、派手に転んでしまった。膝をかなり強打したが、何ともないふりをした。けれど内心痛かった。
 二つの懐中電灯を両手に持ち、自分の足下だけを照らしながら歩いた。景色はほとんど見えない。万富あたりで「お父さん頑張れ!」次女の声がした。しかしその姿を見ることはできなかった。
 景色を見ることができず、場所も良くわからないまま歩き続けた。今、考えるとそれが良かったのかも知れない。ペースを変えること無く、黙々と歩けたのだ。まさに不幸中の幸いだった。
 (目が見えなくなったのは、靴擦れ防止のワセリンを塗った手で目を触ったため、眼球にワセリンが付着したためと終了後に解った。)

●目標変更
 瀬戸セブンイレブンを越えてからは更にピッチが上がった。新下市を左折し、1km位進んだとき、ふと後ろを振り返った。「あれ?平井さんがいない。」遅れてしまったのだろうか。四人で一緒にゴールしたかった。30km以上共に歩いたのだから・・・。でも待つ訳にいかない。断腸の思いで足を進めた。
 もうタイムはどうでもいい。「絶対に三人で肩を組んで、一緒にゴールしよう!」同じ境遇・共に試練を味わっている三人の男達の気持ちが一つになった。

●烏龍茶
 練習を始めたときから、付加を付けるため、常に500mlのペットボトル烏龍茶を2本リュックに入れていた。言わば私と共に練習をした仲間である。そのうち1本を今日も入れている。数々の思いを抱いて参加した大会。最後の休憩地点からは、この烏龍茶を飲もうと決めていた。
 大原橋の休憩所で一休み。リュックにおにぎりを5個入れていたが、最後の1個と共に烏龍茶を口にした。4ヶ月間の様々なシーンが頭をよぎり胸が熱くなる。
 残り10km。この時点で、三人の同タイムでの完歩は確信できた。

●友情と愛情
 16時間台でゴールできるかも。足は相変わらず痛い。あとは気力勝負。ラストスパート。柳川と城下交差点の信号にかかってしまった。約3分間のロス。残り数百メートル。「走るぞ!」松浦さんが声を発した。「いや〜 もう無理。」星川さんは限界を超えていた。あの時、走れば間違いなく16時間台でゴールできた。しかし、星川さんを置いて行くなどあり得なかった。 17時間1分、三人が同タイムでゴール。世間で言う中年のオッサン三人が人の目をはばかること無く抱き合って喜んだ。まさに至福の時を共有できた。
 夜中の3時にも関わらず、妻が来てくれた。妻には備前で情けない姿を見せてしまった。たぶん心配しているだろうと思い、残り20kmあたりで電話を入れた。「完全復活したで!たぶん3時にはゴールできそう。」でもまさか待っているとは思わなかった。今年銀婚式を迎えたが、感謝の気持ちなど伝えたことがない。「ありがとう。」何故か素直に言えた。