2010年 松下政経塾 100km 行軍
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◆采女 康宏(岡山政経塾 8期生)
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松下政経塾100km行軍レポート
「松下政経塾100k行軍レポート」
○はじめに 10月8日8時13分、西村さん、小林さん、高原さん、ジェンクスさんと肩を組み全員で松下政経塾100k行軍のゴールテープを切りました。
本当に感動のゴールでした。今回は自分が歩いたというより、皆さんに歩かせて頂いた、そんな100km行軍でもありました。今回の100km行軍は本当に辛くて苦しいものでした。
それ故に学びも貴重なものでした。
昨年の岡山政経塾の100km歩行では、未知の自分を知り、新たな強みを発見しました。自分に自信を持ち、その後の生活・行動にも変化がありました。
今回の松下政経塾の100km行軍に手をあげた理由も、新たな学びを得たい、新たな自分を知り更なる強みを発見したいという思いが少なからずありました。
しかしながら、今回は、自分の新たな強みではなく、自分の弱さを知らしめられました。当初、想定をしていなかった事でしたので、受け入れがたく、しばらくは色々と思いを巡らしていました。最近になり、これこそが貴重な学びであるという事を感じる様になりようやく自分の中で気持ちの整理がついた気がします。
以下に松下政経塾100k行軍についてまとめさせて頂きます。
○チームで歩く100k行軍 小山事務局長より、松下政経塾100k行軍の案内メールが来たのが、6月2日の夜でした。
メールを見た私はとっさに「参加させて下さい!」と即返信していました。
この時、あまり深い事は考えておらず、とにかく歩かねば!歩いたら何か学べる!何か得られるはず!そんな気持ちでした。今回は仲間とチームとして歩くとの事で、このチームとして歩く事により新たな学びが得られるのでは?という期待感を持っていました。
歩く意義が重要との事でいろいろ考えましたが、明確な意義が見出せず、ただ4人の仲間(西村さん、小林さん、高原さん)と苦楽をともにし、必ず一緒にゴールするという、気持ちだけは確固たるものを持って望みました。
真夏の猛暑の中の練習がスタートしました。皆それぞれ、仕事が忙しく時間のやりくりが難しい中でも、毎週水曜日と土曜日、それぞれ20時と早朝の6時30分から津島モール、後楽園に集まり、練習を行いました。練習を通して、個々が、それぞれがの役割を理解し、まとまっていきました。歩くペースをあわせるのも慣れてき、チームが一つになっていきました。
○膝の不安 練習も終盤に差し掛かり、徐々に体力もつき、自信も付き、体と心の準備も整ったと思っていた矢先、膝を痛めてしまいました。
これまで経験した事のない症状で、下り坂になると、膝に力が入らず、思うように歩けず!気合と根性でもどうにもならない!という状況でした。
この膝の不安が直前までプレッシャーとなって重くのしかかりました。不安が増幅されていき気にすればするほど、何もしていないのに、膝がジクジク痛みだし、さらには全く関係ない足の筋も痛み出す有様でした。仕事にも影響を及ぼしていた様で、同僚や上司にも心配をかけてしまいました。自分はここまで弱いのかと知らしめられました。
その後は、100kmを早い時間で歩ききるかではなく、24時間以内に100kmを歩ききる為の方法を常に模索しました。何冊かテーピングの本を借り、日常生活でもテーピングを繰り返し、膝に負担がかからない方法を自分なりに研究しました。膝のテーピングに加え、最悪の事態を想定し、靱帯損傷の際のテーピングなども準備し、本番に備えました。
さらに過去の100km歩行のレポートを読み直し、中でも苦難とトラブルを乗り越えて歩ききった方々の苦闘のレポートから勇気をもらい、自分でもある程の苦闘を覚悟しました。
そんな私の気持ちを察してか、8期生の皆さんは応援メッセージを書いた、タスキを作成し100km行軍の前の晩に私に託して頂きました。本当にうれしくて、ホテルでは何度も読み返し、勇気をもらいました。
○100k行軍本番当日 アメリカ大使館員のジェンクスさんも加わり5名のチームとして100km行軍に臨む事になりました。100km歩行にふさわしい最高の日和の中スタートしました。
最初は、一歩一歩、足の状況を確認しながら歩いていきました。今回の100km行軍で一番きつかったのは、実は最初の20〜30kmくらいでした。いつ膝が悪化するのか、その事が心配で、道路の路肩の段差など、最善の注意を払い歩きました。
10kmごとにチェックポイントがあり、松下政経塾の方々やMさん高田さん井上さんが飲み物や食べ物を用意して下さり、とても手厚くサポートして頂きました。30kmを超えると10kmごとのチェックポイントを楽しみに歩きました。
皆様の暖かいサポート、時折寄せられる100キロ君からの激励メッセージを受け、「自分は周りの人によって歩かせてもらっている」「周りの人の為にも歩かねば!」「必ず歩ききりたい!」、そういう思いがいつしか膝への不安を忘れさせてくれました。
確かにきつかったですが、皆と一緒という安心感・皆でゴールするんだという気持ちで歩き続けました、残り10kmとなった時には、8期生の皆さんから頂いたタスキを身につけ、気持ちを奮い立たせどうにかゴールにたどり着く事ができました。
ゴールした際、達成感というか安堵感からか、自然と涙が出ていました。
本当に5人のメンバー、サポートの皆様と一体となってのゴールでした。
○皆さんに感謝
今回は本当に素晴らしい仲間に恵まれました。
《西村さん》
西村さんは、常に全体を見て適切な指示・アドバイスを出しておられました。常に裏方役に徹し、その手柄を決して自分のものにされませんでした。自分よりも他人の事を先に考え行動される人でした。裏方役に徹しておられた西村さんが、前に出られたのは100kmの一番しんどい最後の10kmでした。皆が極限の状況で周りを見る余裕がなくなってきたのを察して、自らが先導し、交差点では安全を確かめながら皆を先導されていました。
練習会では全ての会に参加し、足首には重りを巻き、そして手にダンベルを持って歩かれていました。西村さんは身も心も鉄人(哲人)であると思います。
《小林さん》
小林さんは練習段階からリーダー的な役割で全員を引っ張って頂きました。忙しい中でも全体の取りまとめや窓口役を自らがかってでてくれました。本当に真の強い精神的にタフな人でした。夜行電車で当日の朝に入られ、睡眠もあまり取っていない過酷な状態でも常に周りを気遣いながら歩かれていました。終盤ではかなりきつそうでしたが、それでも、何度もジェンクスさんにそっと肩に手をまわし、「大丈夫ですか?ペースはこれでいいですか?」と声をかけている姿に感動しました。今後は政治の道に進まれるが、市民から信頼される真の政治家になれると心から確信しています。100kmの苦楽を通じて実感した事なので間違いありません。
《高原さん》
高原さんが練習途中に提言した「All for one One for all」という言葉がチームを一つにまとめてくれたと思います。練習会では、度々、忌憚のない意見を述べてくれました。当日自らペースメーカーに名乗り出て頂き、全体の状況を見渡し、「次は5.4km/hでいきます。」と0.1km/h刻みの正確なペース配分で先導して頂きました。膝に不安があった私も安心してついていく事ができ、とても助けられた。高原さんも終盤10km程はかなり歩くのが辛かった様子でしたが、辛いからといって走り出そうとしているのには驚きました。
《ジェンクスさん》
当日お会いするまでは、謎の大使館員という事でイメージばかりが膨らみ、どんな人なのか不安に思っていました。本当に歩けるのか?という失礼な心配までしていました。
しかし、この人こそとんでもない人でした。
ジェンクスさんは凄い人で日本語はもちろんの事、英語・フランス・ポルトガル・スペイン・中国後を話せる方です。これまで各国の大使館で勤務されており、これまでの仕事内容を聞くだけでも、大変興味深く、おかげで、膝の不安な気持ちが紛れました。昨年も100km行軍を歩かれており、そのチャレンジャー精神には驚かされました。
後日、ジェンクスさんは100kmを歩いた翌日にはハイキングに参加され問題なく歩いたという事を聞きさらに驚かされました。
今回は本当に多くの方々からのサポートを頂きました。
当日仕事を休んでまで、現地でサポート頂いた、高田さん、Mさん、井上さん、松下政経塾の皆様からの心のこもったサポート、小山事務局長の激励、応援のタスキと激励のメール(8期生の皆様)、100キロ君を通じて届く皆様からの熱いメッセージ。
練習においても、自らが歩く訳ではないのに、わざわざ早朝練習に来て頂いた、和田さん、井上さん、谷さん、松田さん。激例会まで開催して頂いた嘉門さん。
今回は皆さんと共に歩いた、歩かせて頂いた100kmであったと改めて実感しています。
○最後に 今回の100km行軍では自分の弱さ・課題を気付かしてくれた良い機会でした。
まだまだ、発展途上の私、自分の知らない弱み・強みがまだまだあるはずです。
今後も困難と思われる事には積極的にチャレンジし、学び・少しでも成長して行きたい
改めてそう感じました。
100km行軍での閉会式では思わず100km歩行の引退宣言をしてしまいましたが、やはり撤回させて頂きます。100km歩行とは私にとっての修行の場です。
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