2010年 松下政経塾 100km 行軍
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◆小林 孝一郎(岡山政経塾 9期生)
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松下政経塾100km行軍レポート
「未来に活かす100キロ行軍」
1.100キロ行軍に参加する意味
2010年5月、私は岡山政経塾100キロ歩行を完歩しました。その約1ヶ月後、小山事務局長より「10月松下行くか」と聞かれ、松下合宿だと勘違いした私は「はい、参加します」と二つ返事で応えました。小山事務局長は「あ、そう。小林は1年に2回100キロ歩きたいんだって。」と言われました。「ええっ」と思いましたが、7期西村さん、8期采女さん、9期高原さんが参加の意思を示し、こうして岡山政経塾より4人が松下政経塾100キロ行軍に参加することになりました。
私は参加するとは言ったものの、その後、随分悩みました。それは、松下100キロ行軍を歩く意味は何なのかを自分なりに見出せなかったからです。何の目的で歩くのかが定まらなければ歩く意味はないし、完歩できないだろうと思っていました。約1ヶ月間、政経塾での活動を通じ、現在の自分自身と向き合い、将来の進路についてさまざまなことを考えました。6月末、私自身の中で「将来、政治の舞台に挑戦したい」という決意を固めたとき、私はあらためて小山事務局長に「松下政経塾100キロ行軍に参加します」と明確に意思を伝えました。
100キロ行軍を歩く意味、それは、岡山政経塾に入塾した私が、岡山の未来に向けて行動を起こすための最初の関門であると位置づけました。
2. 参加するまでの過程
「身体の準備」については、8月1日より津島モールや後楽園で合同練習会を開催し、歩く体力と筋力を作りました。「物の準備」については、リュックにつける小さなライトを購入した以外は、岡山100キロの時の歩行グッズをそのまま使用しました。「心の準備」では、合同練習ではチャレンジャー同士で意見交換し、本番まで意識を高めていきました。9月の松下合宿2日目にルートの下見をしました。狭くデコボコした歩道が多く、人通りの多い駅前商店街や観光エリアがルートに入っており、想像とはかけ離れたたものでありました。標高としてもアップダウンが激しく、不安だけが増幅され、岡山に帰りました。
松下政経塾100キロ行軍はチームで歩行します。チームでの歩行は個人とはまた違った歩行になり、各人のコンディションをもとにペースをあわせて歩かなければなりません。実際の練習では、ペースをあわせて歩くというのが予想以上に難しいことを実感し、各人意見を出し合い本番までに修正を図りました。9月下旬には、岡山政経塾の4人に米国大使館のジェンクスさんが加わり、5人で歩行することが松下政経塾より発表されました。4人でのペース作りやチームとしての意識が高まってきていたので、100キロ当日にジェンクスさんが新たに加わることに不安が募りました。直前になり、無事に歩けるだろうかと数日間悩みましたが、松下政経塾の私たち岡山政経塾生へのご配慮やサポート体制などの説明をいただき、「当日加わるジェンクスさんとのチーム歩行も、大変貴重な機会であるし、歩けば必ず新たな学びがあるはずで、それは自分自身をさらに大きくするものである」と考えるようにしました。岡山の100キロは、「限界を超え、未知の領域の挑戦し、勇気と精神力を養う」ことを目的としています。私は、松下100キロの目的を「仲間との対話と協調のもと団結し、いかなる困難にも立ち向かう勇気と精神力を養う」 と定めました。メンバーとも再度の意思確認を行った後、当初の予定通り参加させていただくことにしました。
3. 100キロ行軍の実際
私は夜行列車で当日辻堂入りし、ジェンクスさんと意見交換をし、前日の会議の内容も踏まえて完歩に向けての戦略を微調整しました。時速5キロのペースを乱さず歩くこと、10キロごとにしっかり休息をとり、ケアに努めることを確認しました。出陣式では、チャレンジャー各人が1分間決意を表明し、夜行タスキを受け取りました。私は、松下100キロを歩く目的を述べ、年間200キロ完歩を宣言しました。ストレッチを行った後、サポーターの9期高田さんとMさんに見送られながら、高原さんを先頭にして岡山政経塾チームはスタートしました。
歩行中は、和気あいあいとしたムードの中、ジェンクスさんと岡山政経塾のこと、日米関係のことなど情報交換しながら歩きました。12キロで最初の休憩をとったのち、20キロ時点、どさんこラーメン駐車場で2度目の休憩をとりました。ここでは、どさんこラーメンで焼いた温かい餃子をいただき至福のひと時を過ごしました。松下政経塾のみなさんの手厚いサポートにより、次のサポートポイントでは何が出てくるのか、ウキウキワクワクの気持ちでチームを歩いていきました。
40キロ時点で18時を過ぎ、辺りは真っ暗となりました。50キロを過ぎると、足の裏に豆が出来たり、肉体的な疲労も蓄積したりして、みんな言葉数が減ってきました。5キロごとに5分の休憩を入れることとし、筋肉が冷えてかたまらないようストレッチを繰り返しました。60キロ時点(風車公園)では、少し肌寒いくらいでしたが、インスタントの豚汁に身体を温めてもらい、充電できました。8期井上さんが急遽現場に駆けつけてくださり、激励をいただきました。70キロ時点では、高原さんの表情にも疲労が見え、ジェンクスさんも倒れこむようにシートに寝転がるようになりました。昼間は陽気でおしゃべりなジェンクスさんでしたが、この頃から発言がピタリと止まりました。私については、今まで痛みが出たことのなかった右膝が激しく痛むようになり、普通に歩くことができなくなりました。ここに来てまさかの展開でしたが、右足に湿布を貼って対処しました。ジェンクスさんは松下政経塾の千葉塾生から歩行補助用のステッキを借りました。すると、まるで魔法のステッキを手に入れたかのようにジェンクスさんの歩みに力強さが蘇ってきました。蘇ったジェンクスさんを先頭に、5人は80キロ時点(ジョナサン葉山店)に辿り着きました。
4.ラスト20キロの苦闘
ジョナサンでは、Mさんをはじめとする岡山政経塾サポーターが笑顔で待っていてくれました。高田さんはサポートポイントごとに私たちの表情を写真に収めてくれていました。下見をともにし、この日のサポートを自ら名乗り出てくれたこと、私は同期として、高田さんもチャレンジャーの一員であると思っていました。「残り20キロ、一緒に歩こう」。誰からともなく、自然とみんなで歩こうということになりました。高田さんの楽しい話を聞きながらジョナサンを後にしましたが、ここからのラスト20キロは、まさに苦闘でありました。まず、夜が明け始めると、猛烈な眠気がやってきました。これはきついなあ、つらいなあと思って歩いていた時に大きな支えとなったのが、100キロ君に寄せられた応援メッセージでありました。高田さんが読み上げてくださり、そのたびに拍手がわき起こり、眠気は吹き飛びました。岡山政経塾のみんなが私たちの背中を押してくれました。
90キロ時点で最後のバイタルチェックを済ませ、古山松下政経塾塾頭や小山事務局長に激励をいただき、最後の10キロを歩き始めました。無口になっていたジェンクスさんも、最後まで「大丈夫です。行けます」と力強く答えてくださいました。早朝の湘南は海風もあり、想像以上の寒さで私は服を着込みました。今度は足が硬直し、思うように前に出なくなりました。立ち止まっては、数キロ毎に屈伸運動を繰り返しました。みんな一様に顔は険しく、無言のまま時間が経過しました。言葉で確認しなくとも、チャレンジャー誰もが肉体的にも精神的にも限界を迎えていたことは間違いありませんでした。茅ヶ崎に入ってからは本当に長い道のりでした。同じ風景が続き、あと5キロ、あと4キロと確認しながら、ただひたすらにゴールを目指しました。気力で最終カーブを曲がり、最後の直線に入りました。ラスト1キロで「松下政経塾」のノボリをいただいき、みんなで肩を組んだ瞬間、自然と涙が出てきました。100キロ行軍に参加を決意するまでの苦悩、練習会の日々、壮行会をしていただいた日のこと、チャレンジャー間で意見をぶつけあった日のこと、当日の苦闘、松下の方のあたたかいもてなし、岡山政経塾皆さんの応援メッセージ、そして、この松下100キロ行軍に参加し、一緒にここまで歩いてきた4名のチャレンジャー。いろいろあったこの2ヶ月間のことが激しく頭をかけめぐり、涙が止まりませんでした。となりをみると、高原さんの頬にも涙が伝っていました。その時、これが、松下政経塾100キロ行軍なのだ、と思いました。その時、チームで歩くという意味が少しだけわかった気がしました。政経塾の門をくぐり、午前8時13分(スタートから22時間13分後)、岡山政経塾チームはゴールを迎えました。
5.未来に活かす100キロ行軍
私にとって、この松下100キロ行軍とは、何だったのか。今、レポートを書きながら、それを考えています。私は目的を「仲間との対話と協調のもと団結し、いかなる困難にも立ち向かう勇気と精神力を養う」
と定めました。期を越えて集った4名の岡山政経塾生。4名はこの100キロの中で完歩という共通の目的のために、互いの考えを尊重し、意見をあわせてきました。当日、ジェンクスさんが加わり、ジェンクスさんのコンディションに配慮しながら、また、ジェンクスさんも私たちのペースに合わせて歩いてくださいました。多くの現地サポーターの方との連携やサポート、100キロ君でいただいた岡山からのメッセージ。ゴールでは、私たちだけでなく、周囲で支えてきてくださったサポーターの皆さんも涙を流されていました。笑顔で献身的にサポートいただいた宮川塾員からは「感動をありがとうございました」と言っていただきました。チームは100キロを歩く中で、対話と協調をもとに真のチームに成熟していったように思います。またチームは周囲の方々との対話を繰り返し経験するなかで、互いに励ましあい、信頼感が生まれ、感動を分かちあうことができました。「1人はみんなのために、みんなは1人のために」、一生懸命に頑張っているからこそ応援したくなるし、一生懸命に頑張るからこそ応援もしていただける。1人ではないと思えるからこそ、困難に立ち向かう勇気も出てくる。松下100キロを歩くまでは、このようなフィナーレになるとは想像できませんでした。私は、岡山の100キロとは、また違う学びを得ました。
100キロ行軍は、ただ歩くだけで得られるもの以上のものがありました。今回、80キロ過ぎからの経験のように、私の人生はこの先、いくつもの困難が待ち受けているものと思います。その時、一番大切にしなければならないのは、自分自身の信念と信頼できる仲間です。それを松下100キロ行軍はあらためて私に教えてくれました。自分自身に確固たる信念と信頼できる仲間がいれば、この先、いかなる困難が待ち受けていたとしても、それを乗り越えていけると思います。100キロは人生の縮図と考えることもできるし、人生を送る上での精神的基盤の必要性を教えてくれるものでもありました。
100キロ行軍でのこの貴重な経験を、私は未来に活かさなければなりません。チーム歩行、松下のサポート体制、出陣式と閉会式、コンディションチェック等、良い点もいくつかありました。これら実務に関するもので良いと思われるものは、岡山100キロにも取り入れ、よりよいものにしていければと思います。私が経験値として学んだものは、今後の政経塾での活動や、私自身の人生に活かしていかなければなりません。それは、今後の行動として示していきたいと思います。最後に、新たな学びの場をいただきました松下政経塾関係の方々、小山事務局長、練習会に付き合ってくださった方、サポートをいただいた皆様、そして、ジェンクスさん、西村さん、采女さん、高原さんの4名の仲間に感謝いたします。ありがとうございました。
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