2008年6月 岡山政経塾 体験入隊 特別例会

 
◆新田 祐子(岡山政経塾 二期生)

『当たり前の国 日本になるために』




1. はじめに
 「当たり前の国日本になるように」と中隊長は私たちにメッセージをくださった。「当たり前の国」とは「国民が自衛隊を日本国の軍隊と明確に認め、国防意識を強く持つこと」から始まると私は考える。

2. 自衛隊体験入隊を通じて感じたこと
 私の普段の生活では、3キロ走らなくてもいい。腹筋も腕力もたるみっぱなしでもかまわない。お風呂も歯磨きもゆっくりできる。トイレも好きな時間に行ける。出かけたいときに出かけられる。特に一人で仕事をしているから協調性なんて皆無に等しい。
 自衛隊では全てその逆だ。
 体は常に鍛え上げる。時間は厳守する。5分前行動も徹底する。助け合い、気づかい、仲間とともに行動する。整列、行進、敬礼、全てを仲間と動きを揃える規律正しい組織だ。私たちは1日目の最初は教官に怒られるほどたるんだ態度だった。しかし体力検定、晩御飯作り、3時起床の行軍、行進の訓練を通じることでなんとなく「協調」「連帯」が生まれてくるのを感じた。
 時間がたつにつれて岡山政経塾の仲間への感謝と自衛隊への感謝が私の中で大きくなっていった。また、「時は金なり」という言葉は真実であると身を持って体感するのであった。

3. 自衛隊への思い
 入隊式では国旗を仰いで君が代を斉唱した。
 清々しい気持ちだった。
 その他、自衛官の方たちから「日の丸を背負ってます」「祖国を愛しています」「戦場に行く準備はいつでもできています」という言葉を聞いた。今まで自衛隊への感謝は忘れずにいようと思っていたが、感謝がよりリアルになった。それと同時に違和感を覚えた。
 というのも、私たちが普段触れている自衛隊関連のニュースは「海外派遣」「災害救助」が中心で、本来の目的が「国防」であることを忘れてしまいがちだからである。そればかりか本来の目的である「国防」について否定する声が強く聞こえる現状すらある。
 「自衛隊は憲法違反だ」「憲法9条を改正することは戦争への道だ」と言う人もいるが、私はあえて主張したい。
 日本が戦争に巻き込まれない保証はどこにもないこと。
 それは平和憲法を掲げていることでは足りないこと。
 戦争は日本を放棄していないこと。
 頭上にはテポドンが飛び、大陸からミサイルがたくさん日本に向いていること。
 話し合いで解決できないから戦争は起きること。
 有事が起きると話し合いをしている間に国民と国土が攻撃にさらされること。
 国家の権力の暴走を抑制するのが憲法の一側面であること。
 自衛隊による自衛力行使を否定し、国民の命を危険にさらすこともまた、国家の権力の暴走だということ。
  
4. 戦後日本の平和を再認識
 戦後日本は「平和・NO WAR」の声がとても強くなった。日本が戦争に巻き込まれることのない素晴らしい60年だった。
 しかしその反面、国防や平和に対する議論・意識がさびついているように感じる。
 「平和憲法を守れ」「自衛隊は保持しているが行使できない武力だ」「大東亜戦争はとにかく日本が悪かった」という意見を聞くたびに以前の私は「なぜもっと現実を見た議論をしないのだ」と怒り狂っていたものである。
 本物の自衛隊に触れると少し考え方が変わって「自衛隊の皆さんがこれだけ訓練した上で成り立っている平和な日本だからこそこんなのんきな議論ができるんじゃないか」と考えるようになり、日本の平和・秩序の安定を再認識することになった。
 ただ、万が一の有事の際に私たちは正しい判断が下せるだろうかという不安が新たにわいてきたのである。有事が起きてから「自衛隊を軍隊と認め〜」や「憲法第9条を改正しなくては〜」などと焦ったとき人間はどんな判断をするのだろうか。
 私たちは戦後の平和にどっぷりつかりすぎて、「平和憲法があれば戦争に巻き込まれない」という机上の空論を続けてきたのではないだろうか。そして、「国を守る」という大事な意識を戦後忘れてしまったのではないだろうか。確かに戦争に巻き込まれないということが100%確実なら、武力は持たずに戦場へ行かない、という「安全」な結論になる。誰だって戦場に行きたいわけがない。しかし、戦争は日本を放棄していないのだからいつまでもそのような心地の良い結論に至っていては大惨事になるのである。
 日本には有事に備えての議論が必要である。秩序が保たれている平和が永遠に続かないかもしれない。そのときに向けて、的確な行動がとれるよう議論を尽くさねばならないという思いが確かなものになったのである。

5. 有事に備えての憲法改正
 憲法9条は以下のとおり定めている。
 第9条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 A  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 また前文第2段落では
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 と定めている。
 体験入隊から帰ってきてこれらの条文をどう読むか、で私はしばらく迷っていた。毎月開いている憲法を考える会での議論でも「今のままの憲法で問題ないので解釈で乗り切ればよい」「本当に素晴らしい条文だ」という意見を聞いていた。
 迷った果てに素直に読むことにした。ふと松下政経塾の茶室の「素直」という言葉を思い出したからだ。
 ・自衛隊は持たない
 ・戦争はしないし巻き込まれたら「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」他国に守ってもらう
 ・定義は定かではないがとにかく「平和」を目指す
ということが言いたいのだろうと判断した。

 私は自国の平和や秩序を自力で守れる日本であってほしいと願っている。それが中隊長の言う「当たり前の国」だと思っている。平和や秩序を維持するための武力である自衛隊は国を防衛する軍隊として憲法に明記するべきであるし、自国の平和は自国で守るべきだ。
 自衛隊を軍隊と認めたら、防衛費が膨大な額に上るかもしれない。少子化の日本にとって厳しい負担かもしれない。しかしそこで「じゃあ、日本の安全はアメリカに守ってもらおう」とは言えないと思う。それは独立国家として当然のことではないだろうか。今まで日本が「平和憲法」を隠れ蓑に避け続けてきた現実をそろそろ見つめなくてはいけないと思う。
 「自分の家にはカギをかけずに窓全開で寝るから、ちょっとうちに泥棒や強盗が入らないよう気をつけてくれんかな。でもお宅に万一泥棒が入っても私は争いが嫌いだから助けにはいかないよ」とお隣さんに頼むようなことはもうやめにしよう。

6. 結び
 私は、週刊誌やテレビのニュースで流れている情報が全部正しいと思っていた。
 また、「日本人は極悪人であったので先の大戦では本当に悪いことをした」という授業を行った教師の教えが誤りであることをほんの3年前まで気づかなかった。
 意識せずになんとなくこの日本で生きてきた私は
 ・平和憲法によって戦争に巻き込まれない日本
 ・世界大戦の際、日本は悪者だった
 ・東京裁判におけるA級戦犯は裁かれて当然だった
 ・自衛隊って何のためにあるの?
 という考えが身についていた。
 
 自分の祖父も戦場で戦ってくれたことや、当時の日本人は未来の私たちのために全力で戦争を遂行してくれたことに思いをはせるようになったのはここ最近だ。また、自衛隊が一部の平和主義者の批判にさらされながら、憲法や政治からの制限に負けずに訓練してくれていることを実際に知ったのはこの体験入隊からだ。
 祖父母たちや自衛隊への感謝の気持ちを持つのは今からでも遅くないだろうか。また、不勉強ながらいつかは日本の安全保障や憲法について自分の意見をぶれずに述べることができるようになりたいと目標を持つことはおこがましいことだろうか。
 今からでも少しずつ自分の意見をまとめられるようになりたいと思う。
 
 自衛隊体験入隊に際して尽力いただいた永岑先生、事務局長、山田さん、幹事の皆さん、一緒に入隊した塾生の皆さん、そして毎月憲法を考える会で議論をしてくれる愉快な仲間たちに心から感謝します。ありがとうございました。
 また、今回のレポートは事務局長と西原幹事に無理を言って提出期限の延長の許可をいただきました。まだまだ未熟で、自分の意見がまとまっていないという重大な気づきも得ることができました。本当にありがとうございました。