2004年 直島特別例会
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◆武久 顕也(岡山政経塾 三期生)
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直島例会に参加して
噂には聞いていた直島のアートサイト。さまざまな美術作品は、それまで現代アートにはあまり興味のなかった私にとって、大変新鮮で良さを見直す機会となった。作品にはすべて意図があるという視点から鑑賞することの大切さと難しさを学んだように思う。
ただ、よいものはよいと感覚的に訴える作品もある。地中美術館はまさに足を踏み入れただけで、何かを期待させる感覚が沸いた。おそらく安藤忠雄氏設計の建築物そのものによってもたらされる効果なのだろう。ぜひ、家族を連れてもう一度訪れてみたいと思う。
福武幹事のお話は、お世辞抜きでとてもよかった。あるものを活かす発想は、これからの産業全体に言える大切な概念だと思う。観光産業でも同じで、最近英国でも、廃墟となった炭鉱や、造船所あとを美術博物館に変身させたりすることが起こっていて、その地域にある社会資本と文化を活かす発想が大きく採り入れられている。
今まで日本では「あるものを活かす」という発想が経済的価値重視と自身の持つ文化に対する自信のなさによって軽視されてきたのではないか。私は、地元の文化や資産を大切にするという発想は、他人の文化を大切にすることにつながるのではないかと思う。
例えば日本各地で、一時テーマパークと呼ばれる公園が乱立し、異文化をまねた見せ物小屋が作られている例があるが、その多くで経営難が指摘されている。私はかねてより、こうしたものは異文化に対する冒涜ではないかと考えてきた。
2年前、デンマーク人と行動を共にする機会があり、日本にチボリ公園があることを知っているか尋ねてみた。その人は知っていた。しかし、同時になぜ日本にチボリ公園があるのか奇妙だとも言った。おそらく、本物を見ればこんなものはチボリ公園ではないと憤るかもしれないと私は思った。
逆に考えてみれば、例えば後楽園がロンドンにできて、日本文化を知らない外国人が、営利が目的でイギリス人の嗜好に会うように、本来のものをアレンジしたとしよう。われわれ日本人は、そのものを見てどう思うだろうか。一部の人は日本文化が認められて嬉しく思うかもしれないが、多くの日本文化を愛する人たちは、本物を真似た「似て非なるもの」を見て、違和感を通り越し、怒りさえ覚える人もいるのではないかと思う。他人の文化を商売の道具にして、知らず知らずにうちに本来その文化を持つ人たちに失礼な行動をしてはいないだろうか。その土地にないものを作る発想は、自らの文化を粗末にし、他人の文化を冒涜することにつながる恐れがあることを知る必要があると思う。
豊島の見学はおよそ6年ぶりだったかと思う。その当時は、まだシュレッダーダストの山は野ざらしで、処分施設もなかった。シュレッダーダストの山の上で解説をして下さったのが、まだ議員をされる前の石井さんだった。石井県議をはじめとした地元の方のこれまでの努力は筆舌に尽くしがたいものがあったと思う。心から敬意を表したいと思う。行政の過失と市民社会のもろさを示す負の遺産として、ぜひこれからも問題を風化させないように、この事件を保存していただきたいと思う。
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