2004年 直島特別例会

 
◆高橋 和巳(岡山政経塾 三期生)

直島特別例会によせて



 はじめに、この特別例会を企画し準備していただいたすべての方々に、そして直島、豊島、高松の方々、さらには時間と空間を共有した諸先輩や仲間達に感謝申し上げます。

 いつも寝起きする倉敷市児島からはほんの目と鼻の先にありながら、直島も豊島も近くて遠い島でした。今回訪れる前までの予備知識といえば、「直島とは安藤忠雄とベネッセアイランド」、「豊島とは産廃よりも社会運動家であった賀川豊彦ゆかりの島」でした。

 初日の自然と安藤先生の建築とアートとの共生をテーマにした直島見学から福武幹事、石井県議の講演、交流会、夜の美術館めぐり、2日目の分科会に分かれての討論、豊島見学までの充実した緊張感と幸福感は近年忘れていたものでした。
 夜の美術館で、大地に転がり大地の息吹を体全体で感じながら天空を見上げたとき、すいこまれそうな、それでいてやさしく包みこまれた小さな自分を発見したことは大きな喜びです。
 一方で、団体での合宿は気分を高揚させ、一瞬でも学生に戻った錯覚により、あの頃の自分に本気でタイムスリップしたいと思い、これでは観光気分だと反省もしておりました。

 モネをはじめとした様々な作家の作品と間近に接しながら、全人類や地球上のあらゆるものにとって本当に価値あるものとは何か自問自答していました。著名な作者による「モナリザ」が芸術性もさることながら世界に一点しかないゆえに、人類の宝(公共財)として大切にされているように、皆が生活する「地球」という公共財に目を向け、その命の継続と治療を図っていかねばと強く念じています。キトラ古墳の二の舞は避けたい。
 
 しかしながら、何故「直島」でないといけないのか、何故「岡山」ではないのか、瀬戸内からの世界に向けた提言ということでよいのか、が結局わからず、福武幹事にも伺うことはできなかったのが残念ではありました。

 人類は便利さを手に入れましたが、そのために、多くの資源や地域に根付いた文化・伝統をも破壊してきたのかも知れません。
 産業廃棄物が捨てられていた現場に実際に立ち、最初に脳裏をかすめたのは、W・ユージン・スミスの「水俣」 にでてくる何十という顔でした。日本の工業化による公害といえば、四日市喘息、川崎病、イタイイタイ病、水俣病など、生態系に悪影響を与え続けている「負の遺産」があるにもかかわらず、現在もアジアで似たような病気を生み出しています。貧困からの脱出のための手段としての工業化とはいえ、人間の生活権と相まって重い問題を突きつけています。
 豊島に限らず、現在の再処理システムで間に合うのか、再汚染の懸念はないのか、莫大な致死量のダイオキシンを有しながら、作業関係者や住民の健康被害はどうなったのか、海の生き物など生態系への影響、地球環境など、今後こうした課題を少しでも次の世代の糧となるよう、どのように取り扱うのか。問題が起こってから対応するのではなく、問題がおきる前に予測して予防を講じるための努力を惜しまないこと、その気持ちを自分自身のこととすることから始めたいと思います。ごみを排出した側からの解決金は3億7000万円であったそうです。これでは、今の苦しみを少しでも癒し、次世代への予防策を講じるなどできるものではありません。
 また、石井県議からは高齢化・過疎化の課題なども伺うことができ、豊島イコール産廃のイメージとは違う問題点や普通の生活が行なわれている島の現況を知ることができました。言い換えれば、人間が生活する上で、産廃の問題はどこでも起こりうる明日の自分を垣間見ることができたわけです。

 阪神大震災が契機だといわれているボランティアのうねりは、日々の生活に汲々としていた人間の良心(目の前にこまった人がいれば助ける、当たり前のことを当たり前にできる世界)を呼び覚ましたのだと思います。問題を認識しながら、日々の生活を事なかれ主義で送り、悪法も法である、その場しのぎという、純粋な子どもの時分には考えもつかなかったえげつない大人の顔が自分にもあることを再認識しました。
 環境の問題について、世論を動かす、自分のことであるという認識を抱かせるには、そして自分自身のこととして行動・実践するためにはどうすればよいのか、このあたりに答えがあるのではという気がしています。

 サンポート高松については、一部地元の方々(特にボランティア)の熱気は伝わるものの、残念ながらこれでいいのか、結局箱物ではないのかという疑問とこの町の人はどう活かしていくのかというビジョンが見えず、心動かずじまいでした。ラーメン横丁も見学し食べようとしましたが、やはり私には慣れ親しんだ「讃岐うどん」でありました。

 最後に、昔なにかの本で読んだ坂口安吾の言葉を。
 『昔昔、ふぐがうまそうだなと思った馬鹿がいた。最初の馬鹿はふぐを全部食べて「どうも目玉がよくなかったらしい」と言って死んだ。それを聞いた次の馬鹿が、目玉以外全部食べて「どうも皮がよくなかったらしい」と言って死んだ。
それを聞いた次の馬鹿は、皮をはいでふぐを食べた。彼も「どうも骨が・・・」と言って死んだ。
 こうしたたくさんの馬鹿のおかげで、我々は安心してふぐちりが食べられる。これこそが文化というものである。
このようにご先祖様のおかげをこうむって今日のある我々は次の、また次の時代にも人間が幸せになるものを残さなきゃならん責任ってもんがあるんだ。』(原文のまま掲載)

 ふぐはうまいが、危ないから絶対食べるなとは言うまい。たとえ命をおとす危険があっても、安心して食べられる道を切り開いていかねばと思います。