2005年 直島特別例会

 
◆忠澤 宏明(岡山政経塾 四期生)

「直島例会に参加して」



・始めに
 参加して本当に良かった直島例会のレポートが遅れてしまい、良かった経験に傷をつけてしまったことを後悔しています。記憶を手繰り寄せながら書いたレポートになりますがお許しください。
 
・道
 直島に以前訪れたことのある私は、「どんな講師の話が聞けるのだろうか」という思いが頭の大半を占めている状態で島へと渡った。直島は好きな島であったが、2度目の直島の美術品や町並にもう一度感動するなどとは思ってもみなかった。
 船が宇野港を出港し、直島に向かう。「着いたらまたバスに乗るんやろなぁ。船が苦手やのに着いてすぐ乗るあのバスがきついんよな…」と考えながら船に乗っていたことを覚えている。しかし、着いた先は……以前訪れた港ではなかった。以前行った時は島民の方が本州との行き来に使う港だった。今後もそうだろうが、今回は違う。チャーター船用の港である。
 港が違うことが島のイメージを変えた。ついた瞬間から直島の「おもてなし」が始まったのだ。どこから何が見え、どこに何があるのかを考えられている、訪れた人を楽しませる島がそこにはあった。自然が溢れる道に現代アートが散りばめられており、「また来たい!」と着いてすぐ感じてしまうような素晴らしい世界に、私はただただ感動するばかりであった。直島に行き、観光とは決して建造物や自然が素晴らしい場所に行くことでは無い。そこに到るまでの「道」も含めて「観光」なのだと強く感じた。
 直島を、そしてベネッセハウスを愛している従業員の方に案内をしていただけたことも、アーティストの思いをより深く感じられて大変良かった。
 
・講義
 そして、講義が始まった。講師の方々の言葉はどれも重みがあった。一つ一つの言葉に力が宿っている。そんな印象を受けたことを憶えている。講師の方の世の中に対する熱い思いがひしひしと伝わってきた。普段から本だけはよく読むので、講義内容は別として、講師の方々の人間的な面を語るときの言葉に真新しい言葉は特になかった。しかし、魂のこもった言葉は決して受け売りではなく、講師の方々のオリジナルの言葉であった。
私が直島を思い出すたびに蘇る二つの言葉。それは、
「福武幹事」の「主体性を持て」
「村尾講師」の「川を上り、海を渡れ」
である。福武幹事のおっしゃる「主体性」はとても深く感じられ、村尾講師の言葉は、村尾講師が上司の方に言われた言葉だとお話されたが、私には村尾講師の言葉に感じられた。

・豊島
 本当に行って良かった。この目で見ておかなければならない風景だった。本を読んでも、テレビを見ても、人に話を聞いても絶対にわからない。あそこに行き、目で見、鼻でにおいを嗅いで、初めて豊島問題の重大さがわかった。いや、あの島に住んでない私はまだ本当の問題をわかっていないのかもしれない。
 また近いうちに行って見てこようと思う。今度はしっかりと予備知識もつけて。今の私は何とかしたくても何にもできない。
 
・まとめ
 直島例会でもっとも感じたことが一言で手帳に書いてあった。
「まだまだ勉強が足りない!」
と、力がこもった字で書いてある。自分の無力さをよっぽど感じていたのだろう。
 そして、私は未だに勉強が足りていない。ちょっとかじっただけでついついわかった気になってしまう。レポートを書く大切さですらやっと気付けた。次回は、構成の仕方から書き方まで勉強しレポートを作成しようと思う。