2011年 直島特別例会

 
◆瀧  幸郎(岡山政経塾 十期生)
岡山政経塾  直島特別例会レポート                   平成23年7月23日
  『現代アートを味わう』


1.はじめに

 去年行われた瀬戸内国際芸術祭が素晴らしい盛り上げをみせたのを機に、瀬戸内の島々に何が起きているのか気になってはいたが、現代アートがあるらしい程度の認識しかなかった。
 正直いうと現代アートには興味がなかったし、どうせ見てもいまいち理解できないものだと思い込んでいた。そんな私がたちまち現代アート通になって帰って来ようとは思いもよらなかった。


2.現代アートに触れて

 直島・犬島・豊島の3島に渡り、それぞれの島で現代アートを鑑賞した。ところで、広辞苑によると「鑑賞」とは「芸術作品を理解し、味わうこと」とある。目で見て、耳で聞いて、肌で感じて、実際に体感してもなお理解に苦しむ作品も多く存在したので、鑑賞という言葉が適切ではないかもしれないが、味わうという意味合いで考察を加えていきたい。
 今回の合宿の目的は、「見る、聞く、体感する。考える力を身につける。発想の転換をする」である。
まったくの現代アート初心者だった私が、2日間で多くの現代アートに触れた。同行してくださった西美さんに解説して頂いたうえで鑑賞したのだが、それでも理解できない不可解さと一緒に、何故だか高揚感にも似た感情が渦巻いていたのは自分でも不思議である。
 直島に到着してすぐに草間彌生さんの「赤かぼちゃ」が出迎えてくれた。なぜ船着き場には異質なかぼちゃがアートなのか意味が分からず、初めて現代アートという洗礼を受けた。しかし翌日になって見てみると、なんだか島の風景と妙にマッチングしている気がしてならない。
 今回体感したほとんどのアートは、季節や時間によってその姿を変えるという。作品の展示に照明はほとんど使わず自然光を取り入れるように設計してあるので、極端に言えば、何回見てもひとつとして同じ作品はないということになる。つまり到着時に見たかぼちゃと翌日に見たかぼちゃは別のものということである。島の風景とマッチングしている日もあれば、そうでない日もあるのだろう。
 季節や時間を取り入れた作品が多い中でも、豊島美術館の展示は印象的だった。水のユニークな動きや池の形は一時として同じものはなく、リアルタイムにアートを体感できるその発想にはただただ感心するのみである。床に座って水の動きを眺めていると、天井に空いた大きな穴から吹いてくる風が心地よく、ふいに自然と一体化してしまいそうな錯覚を覚え、ここが美術館だと忘れてしまうほど気持ちがよかった。自然そのものも素晴らしいアートなのだと実感した。
 現代アートは理解できないという思い込みは、地中美術館にあるウォルター・デ・マリアの展示を鑑賞して変わった。最初どうしても真ん中にある黒い球体にだけ目がいってしまい、黒い球体が作品だと思ってしまうが、神殿のような大きな室内そのものが作品であると認識すると、そのスケールの大きさと荘厳な雰囲気があいまって、自分の心が浄化されていくように感じた。おそらく私の心の中にある、現代アートは理解できないという思い込みや先入観が氷解していったのだと思う。
 作品の見方やとらえ方に決まりはなく、視点を変えることで全然違った姿を見せてくれるということ。アートに対する感じ方はひとりひとり違っていいということがやっと理解できた作品であった。


3.あるものを活かす

 今回の合宿で見た様々なアートは、一見すると異質であるが、よくよく鑑賞すると周りと調和しているように感じる。西美さんが直島を案内中バスの中で話してくれたなかで「あるものを活かす」というキーワードがあった。島々のアートが瀬戸内の風土と調和した作品なのは、その土地にあるものを活かしているからなのだとあらためて考えてみると、一つとしてその島々に抗うような作品は無く、犬島の精錬所でさえアートにしてしまうその発想は、あるものを活かすというコンセプトを貫いているからこそ思いつくのだろう。
 また、どこの島でもそうだが、バスなり歩くなり自転車なり、作品を見るためには移動しなければならない。アートを探して島々を歩くことで、個人宅の庭や単なるガラクタまでアートに見えてくるから不思議である。しかもいたるところに仕掛けがある。民家の壁にちょっとした絵が描いてあったり、のれんを一つ一つ手作りして玄関に掲げたり、表札(屋号)のデザインを通りによって統一したりと、島民の人々もうまく参加している。さらに、アートを探して歩くことは地元住民とのふれあいにも繋がり、ただ単に目的のアートを鑑賞するだけでなく、島民の方とのふれあいすら活かしているその取組みには感心するよりほかない。瀬戸内の自然や人や建物、島そのものが上手に活かされて、ひとつの大きなアートとして成り立っていると感じることができる。
 あるものを活かすという事は、大きなプロジェクトを成功させるためのひとつの鍵であると感じた。


4.まとめ

 去年、福武幹事が公開例会の際に仰っていたことだが、「人生の達人である高齢者が笑顔でないといかん」「死後ではなく、生前のうちに行くことができる楽園を作る」というのが、アートプロジェクトの始まりだったそうである。こういった目的意識を強く持つことで、瀬戸内の島々をアートで元気にするという誰も考えもしなかった発想を思いつくのだろう。
 今合宿の目的のひとつである「発想の転換をする」とは、アートを鑑賞してこれはあれを象徴しているとか、アートの素材や題材に感心するのではなく、まさに福武幹事のようなとびぬけた発想を思いつくかどうかではないだろうか。
 帰りのフェリーで小山事務局長が仰っていたが、瀬戸内の島々に多くの現代アートを生み出した最大のアーティストは、間違いなく福武幹事であろう。その強い目的意識と発想が、今の直島・犬島・豊島などを形作っているという実例を目の当たりにした。「発想の転換をする」ことは、自分の想いを成功に導くための大きな力になると実感することができた。

 合宿が始まる前は、現代アートを鑑賞することからここまで多くの学びがあるとは想像できなかった。まだ整理できていないものもあるが、今回の合宿をたびたび振り返ることでまた新たな学びがあるのだと思う。
 こんな近くに素敵な瀬戸内の島々があることを気付かせてくださり、小山事務局長をはじめ、北川フラム先生、西美さん、ベネッセアートの皆様、豊島で現地案内してくださった砂川さん、例会担当の塾生同期、その他関係者の皆さまに心より感謝を申し上げます。機会があれば、今度は自分から瀬戸内の島々に出かけてみようと思います。