東日本大地震 支援サイト   岡山政経塾

2011.03.31 無事、支援物資が届きました・・・ご協力、ありがとうございます。
「3.11支援プロジェクト@岡山」 支援物資 発送&到着」

支援物資のトラック積み込み日時 : 3月29日(火) 19:00〜
お届け先への到着日時       : 3月30日(水) お昼頃に到着し、順次、荷下ろし
お届け先:(社)中越防災安全推進機構  「宮城復興支援センター GANBARO ↑ MIYAGI」様
支援物資リスト:多くの皆さまに、ご協力頂き、ありがとうございます。(Excelファイルで開きます)
現地支援スタッフ:ベネッセの難波さん、金関圭子(4期)・渡辺健太(8期)・藤井美子(十期入塾予定)

3月29日(火) 搬出作業の様子  (↓ここから)
3月30日(水) お昼頃に「宮城復興支援センター」に到着 (↓ここから)
宮城復興支援センター GANBARO ↑ MIYAGI ↑ 重症心身障害者施設 エコー療育園

「着きました。」
藤井美子(十期)からのレポート(その1)

物資を3グループに分け、救援物資を届けてきました。
@特別養護老人ホームアルティル青葉(250名程住居)14:00
    大人用オムツ、タオル、卵10箱等
    たんぱく質を久しぶりに食べられると言うことで、卵が大変喜ばれています。
    紙オムツは毎日1人8枚使用するため少ないとのこと。タオルを洗って使用している状態。

A東北福祉大学病院  14:19   大竹理事・大森事務局長対応
    救援物資を病院に使用すると共に、近隣の人に安否を確認しながら回るとのこと。

B重症心身障害児施設エコー療育園(15:13)  (入居者120+80人)
    卵、オムツ、他救援物資
    オムツは何枚あっても良いそうです。卵はどこに行っても喜ばれます。

《不足物資》
  ■携行缶←これは皆んなが欲しがっています
  ■下着
  ■缶詰(おかず系、フルーツ系←特にビタミン不足なので要望とのこと)
  ■オムツ(大人用子供用)
  ■尿とりパット
  ■レトルト食品
  ■野菜
  ■果物
  ■携行缶
  ■コンタクト用品
  ■仮設住宅に必要なもの(食器類、鍋、フライパン、まな板、包丁)
  ■スコップ

若林区のコンビニ。空の商品棚も多い。
30日あたりから、かなり入荷はされるとのこと。

言葉が出ませんでした。津波の被害。
渡辺健太 (八期)からのレポート (その1)

救援物資が足りているという現地の声は一方では事実。

津波の被害が小さいエリアは電気、水道は比較的早く復旧し、今はガスの復旧を強く望まれているとのこと。お風呂は水で済ますか、レンジで蒸しタオルを作って身体を拭いて済ましている。

あとはガソリンが手に入らない。市内でも整理券がないと並ばせてももらえない。

しかし、上記は津波の被害が小さいエリアの話。

津波の被害が大きいエリアは、避難所生活が続いているため、すぐに食べられるものは引き続き欲しい。防寒するためのものが暖かくなるまでは必要。住居に関しては被害の小さいエリアに住むことは家賃が高いため難しい。

仮設住宅は地区単位で受け入れてほしい。
阪神淡路大震災の時のように、仮設住宅に入れる権利を抽選で決めてしまうと、地域のつながりによる支え合いの機能が失われるため精神的負担が大きい。

自治体単位での受け入れという観点は必須。

引き続き、生の声を集めます。
仙台には全国からの善意、優しさが集まっています。

今、同行させていただいている方は、
皆さんの温かさ、寛容さに感謝感謝とお話くださってます。

生きていて欲しい。
渡辺健太 (八期)からのレポート (その2)

仙台に入って感じたこと。被災のレベルと時間の経過によって必要なものは大きく変わる。

即時性が求められるものと、中期的視点で生活支援、就業支援の二段階。

民間は、エリアを絞り狭く永く続く支援や、専門職種への機材や人材支援が有効ではとの意見。

生の声を聞くことが何より重要。

特に直筆のメッセージには、多く喜びの声をいただきました。

今日の支援活動に心配いただき温かいメールやTwitterへのリプライありがとうございました。

私たちにとっても心強かったです。今回の311支援プロジェクトの物資は数々のメッセージとともに現地にしっかり届きました。

ちなみに仙台の夜は照明は最低限で、吉野家、マクドナルドも閉まっているくらいです。

地元の方と居酒屋で普通に食事をしました。このギャップが事実で、震災後、確実に時は流れているなという印象です。

明日は、物資運搬の作業手伝いが落ち着いているようであれば、沿岸部や避難所にも足を運んでみたいと思います。
金関 圭子(四期)からのレポート (その1)

地元市会議員に同行して、中心市街地から、さほどはなれていない(約5キロ程度)「折立」という切土の造成団地を視察しました。

写真は別で撮っていますが、「山津波」の爪痕を見て愕然としました。

行政の建物調査が入ってましたが、入り口に青、黄色、赤の札が貼ってあります。

10数年前に新築した家が、地盤の隆起により全壊していました。

もちろん道路も隆起してライフラインは切断されていますが、その状態でも、避難所収容に制限があり、黄色あるいは青の札の家は、
避難所を退去し、帰宅だそうです。
たとえ隣の家が倒壊の危険があっても・・・です。

全壊の地主さんと話しました。
どんな状況でも地縁は大事で、「戻りたい」ということです。

報道の最中の沿岸部には支援の手が届くが、街中にもこのような場所があること、ここには支援が及びにくいことを、などお話くださいました。

報道では、物資が不足している、いや余って積みあがっている、という間逆の情報がありますが、いずれも事実で、いずれも真実でないと感じています。

どこを現場と考えるか、支援すべき「人」と「程度」の把握の仕方によっても差があると思います。

地元のニーズは刻々と変化することに、情報と対応が追いつかないのも大きい要因ではないでしょうか。

現場の声を集約する場の組織体制が必要かと思います。

皆さんの気持ちは現場にしっかり伝わっています。
荷物を見ながら涙ぐむスタッフの方もいました。

その後、宮城の知人を訪問しました。
同業者で、宮城会の会長をしておられます。
地震発生以来、日々情報を発信しておられました。
URLをご紹介しておきます。
http://fermatadiary.blogspot.com/

避難所だけでなく、支援され、エンパワーされると、被災者に対する次の支援者となりうるということも教えられました。

今日回ることができなかった避難所に、明日は行きたいと考えています。

またご報告します。
この続きは、こちらから