活動内容

ACTIVITY

開塾式

塾長挨拶 高橋克明

ただいまご紹介に預かりました、岡山政経塾の塾長を仰せつかっております高橋と申します。

本日ここに岡山政経塾の開塾式、ならびに第一回塾生のみなさんの入塾式と併せて行いますことは、御同慶の至りに存ずる次第であります。

先ほど、この岡山政経塾の設立趣旨につきましては詳しくご説明がありました。 ここで、私の式辞の中にも申すべき事がだいぶ重なっておりますので、敢えて重複はできるだけしないようにいたしますが、先ほどのお話にもありましたように、現 在の日本の状況あるいは岡山の状況等を非常に憂慮される発起人の方々、これはお話に出てきました松下幸之助さんのお作りになりました財団法人松下政 経塾でかつて学ばれて、現在国政あるいは県政等の場でご活躍中の方々と、 それから岡山の経済界の第一線においてご活躍中の四十代、五十代の現役ばり ばりの方々の間で、先ほどお話にもありましたように国あるいはこの地方の地域の将来に対する、非常に強い危機感をお持ちで、明るいこの地域の未来を開き、あるいは国の未来を担っていく、そういうリーダーの育成を早急にやらねばならぬとの思いをお持ちの方々ですが、その熱い思い入れが、ここに強い動力となってこの岡山政経塾の開塾をここに迎えることになったわけでございます。

塾で第一期生のみなさん方、もう既に学習なり、あるいは研修なりの方法については打ち合わせられているというお話を伺っております。基本的には先ほどお話にありましたように、日本とは、あるいは人間とはという基本的なところから、さらに将来についても一歩踏み込んで考察していただく、そうしてこの地域につきましても、自分たちの住んでいる、あるいは仕事をしておる地域から日本へ発信していく、あるいは地域から日本を変えていく、良くしていく、そういった観点で地域のいろんな問題、いろんなジャンルについての問題も研修し、学習する。そしてグループに分かれて共同で研修し、あるいは個別に研修した結果を討論し、あるいは発表する、そういったことを通じて思いとそれから能力と知識とを磨いて深めていっていただくことを当塾の目的としております。

既にこの本日のスケジュールについてもご案内申し上げておりますが、本日の開塾式にあたりまして非常に幸いなことに、松下政経塾前塾長の宮田義二先生がご遠路、あるいはご多忙の中をわざわざおいでいただきまして、記念講演をしてくださいます、みなさんでお話を伺い、松下政経塾の知恵とご経験を学ばせていただいて、当塾運営の貴重な参考指針ともさせていただきたく存じます。その点、この場を借りまして宮田先生のご厚情に対しまして、厚く御礼を申し上げたく存じます。

塾生につきましても先ほどのお話にも既にありましたが、私たちは岡山の未来を創造していく気概を持ち、努力を続ける強い意志を持った方が入熟してくださることを願っております。本日ここにめでたく入塾を果たされたみなさんはまず拝見いたしましても、非常にしっかりした目的意識をお持ちで、第一期生に相応しい方々であると喜んでおります。第一期生の方々は幹事をはじめスタッフのみなさんと一緒になって創設にあたられることになっております。この塾の歴史と伝統を作る役割も担っていただかなくてはならないわけです。

皆さんが、輝かしい第一期生として私たちの期待に立派に応えてくださることを、ここに祈念を申しあげまして、岡山政経塾開塾式とみなさん方の入塾式の式辞とさせていただきたいと思います。

おめでとうございます、がんばってください。

幹事挨拶 福武總一郎

ご紹介いただきました、岡山政経塾の幹事をやっております福武と申します。本日、第一回岡山政経塾に入塾されたみなさま、おめでとうございます。

我々幹事は日本のこれからを、そして地域岡山の将来を考えるにあたって、今時代が大きく変化をしていく中、これからも時代を担っていく我々が、率先をして地域のこと、国のことを考えて行かねばならない。そして地域、そして一人一人の人間が主役になるこれからの時代、皆さん方の、そして我々の行動こそがこの地域を変えていく大きな原動力となる、そういう思いでこの岡山政経塾が生まれました。

ご案内のように今我が国は大きな課題を背負っています。しかし、答えのない問題はないとも言われます。これからの我が国は個性ある、活力ある地域の集合体こそが我が国を豊かにするんだと、そういう決意のもと、まず足下の我が岡山をしっかりと見つめ直し、現在あるこの自然、文化、環境そして先人の残してくれたこの遺産を我々が引き継ぎ未来へ向けて大きな礎をみなさん方と共に創っていきたいと思っております。

大きな意志が、そして強いパッション、そこから生まれる力強いアクションが我々の願いを必ずや叶えてくれると思います。みなさん方の強い志というものを我々も学ばせていただきながら、この地域を、そしてこの国を変える一員となり、そのプロセスをみなさん方と共に十分に堪能していきたい、とこのように思います。

我々幹事もまだまだ未熟であります。将来何が出てくるかということはわかりません。しかし、動きだそう、やってみよう、というその気持ちでスタート致しました。皆さん方と共に、一歩一歩岡山政経塾を育てていきたいと思います。これからもどうぞみなさん方の研鑽、そして行動を大いに期待いたしまして幹事を代表してご挨拶とさせていただきます。

どうかみなさん方、大きな志で、ビジョン、パッション、アクションを持って、臨んでいただきたいと思います。ありがとうございました。

幹事挨拶 逢沢一郎

岡山政経塾幹事の逢沢一郎です。一言ご挨拶を申し上げたいと思います。今日、正式に岡山政経塾が開塾をいたしました。高い志、そしてやる気を持った元気な第一期生のみなさんの入塾式でもあります。今日、岡山政経塾の開塾式、そして入塾式がこうして開催が出来、大変うれしい思いでいっぱいであります。

お互いが力を尽くしてより素晴らしい日本を創っていく、そしてどこにも負けない立派な岡山を創っていく、知恵を持ち寄り、そして切磋琢磨してがんばっていきたい、そのメッセージをまず第一期生の塾生の皆様にお伝えを申し上げたい、そのように思います。

今日本はいろんな意味で大きな壁にぶつかっております。私も国政に参画しておる一員でございますが、政治の混迷、本当に何とか克服をして行かなくてはなりません。経済は日本の本来持っている力を発揮できない、長い間苦しみの中にある、そして内外の方から一体日本はどうしたんだ、日本人はどうしたんだ、そういう厳しい批判の声をいただいて、社会にも様々な問題が、ご承知の通りであります。それらを克服していく上で、国の政治、国政の果たす役割は本当に大きなものがあると思っています。

しかし同時に、実はそうした大きな日本が抱えている問題を解決するその新しいアプローチ、それは地域に視点を置いて、日本の抱える問題にアタックしていく、解決をしていく、そういう考え方ではないのか、それが岡山政経塾設立の原点にある考え方である、そのことを明確に申し上げておきたい。設立趣意書の中にもあります、まさに地域から日本を変える、地域から日本を良くしていく、このことをしっかりふまえて研鑽を積んで参りたい、そんなように思います。

私はたまたま松下政経塾第一期生の一人でありました。今から二十三年前の春、私は松下政経塾の入塾式に臨みました。そのときに松下幸之助さんは、「政経塾の塾長は私だけけども、塾生一人一人のみなさんも、自分も塾長のつもりになって、この松下政経塾をもり立てていってもらいたい」そういう挨拶がありました。同じ事を今日こうして第一期生として岡山政経塾の門をくぐる皆さんに、そのことを受け止めていただきたい、同じ事を申し上げたい、そう思います。

そして岡山政経塾ではお互いが学ぶいろいろなプログラムを用意して参ります。しかし、学び、身につけていくかどうかはそれぞれ一人一人のみなさんの姿勢次第であります。岡山政経塾は自分で自分を鍛える、自分で自分を成長させる、そういう道場である、私はそのように考えております。どうかこのメッセージもしっかり受け止めていただきたい。よろしくお願いをいたします。

今日本で一番欠けているのは未来に対する期待、希望、夢、そんなふうに言われています。この岡山政経塾から岡山の輝かしい未来に向かっていろんな夢を、あるいはいろんな希望を発信していく、そういう大きな展望を描きながらスタートしようではありませんか。皆様方のこれからの活躍、心から期待を申し上げまして、開塾式・入塾式にあたり、ご挨拶と致したいと思います。ありがとうございました。おめでとうございます。

財団法人松下政経塾 前塾長 宮田義二

ご紹介いただきました宮田でございます。

先ほど十八人の方の入塾にあたっての決意表明をうかがいしました。大変素晴らしい人々が参画されているなと、率直な感じを受けました。

ということと同時に、いつまでも私なんかがみなさん方にお話しをすることの資格が一体あるだろうかということを、お話を聞きながらつくづくそう感じました。しかし逢沢さんの方から、ちょっと君が来て話をしろと、こういう言われてるものですから、私の考えていることをご参考までにいくつかお話をするということで、取り立てて記念講演的な扱いをしてもらいたくない、というそんな率直な感じを持っていることを最初に申し上げておきたいと思います。

この岡山政経塾というのは私が知っている範囲内では、松下政経塾のように政治家を中心にして結集を続けていくという、そういう組織ではない、地域社会における、それはもちろん政治もあるでしょう。経済もあるでしょう。教育もあるでしょう。あるいはその他の産業分野もあるでしょうし、文化、あるいは福祉等々の問題もあるでしょう。あらゆる分野の人材を、有意な人材をどうやって作るか、作り上げていくかというリーダーづくりにこの岡山政経塾は努められているように私には感じます。したがって松下政経塾のお話が直接的にみなさん方にご参考になるとは申し上げませんけれども、まず最初に松下政経塾と言うところがどんなことを一体やっているのか、そして幸之助さんというのはどんなことを一体言っているのか、という問題のいくつかを皆さん方にご参考までにお話を申し上げて、一般論をお話ししたいというふうに思います。

幸之助さんはですね、「日本の政治を正さなければ、日本は決して良くならない」、こういう風に言われています。で、これは非常に深い意味があるわけです。ということはどういうことかと言うと、幸之助さん自身は松下電器を起こされて、松下電器産業というものを通じて、いろんな電化製品をですね、大量にしかも出来るだけ安く一般の国民に提供する、そのことによって新しい文化に触れてとか、新しい文化生活に触れてとか、もっと言うなら豊かな生活であってもらおうということで貢献をしている自負・自信があるわけです。ところが、それをやってもなおかつですね、国民の生活というのはまだまだ豊かじゃない、まだまだ国民の生活を豊かにするためにはなんかしなきゃいかん、考えてみると経済を通じていくらやっても限界がある、最後は政治が良くならないとやっぱり人間の生活は良くならんというところに到達されたから、この言葉が出てくる。したがって、経済も、教育も、いろんな分野について努力をしたけれども、どうしても最後は政治に行き着く。だから政治を良くしようじゃないか、政治を正そうじゃないかということで政経塾をお作りになって、政治家を養成された。それが「政治を正さなければ、日本は良くならない」と言われている松下幸之助さんの実は背景なんだと、ということをまず第一にみなさんに知ってもらいたいと思って、したがって、政経塾が目指している政治というのは単に政治だけを見ているんではなくって、日本の経済、あるいは日本の社会全体の出来事すべての問題について、より良い豊かな、より素晴らしい生活を送れるような世の中を作りたい、この想いが実は政治に結集されて、松下政経塾の今の研修活動が行われているということがあります。これがまず第一にみなさんに承知をしておいてもらいたいと思います。

それからもう一つ大事な点があります。それは幸之助さんが、政経塾でどういうことを言われたかというと、大学を卒業してかなり優秀な人を集めるもんですからね、素晴らしい日本の人材なんだ、したがってその人材を大事にしなきゃいかん、ということで彼は、今茅ヶ崎というところはですね、海があり、富士山が見えですね、非常にこの眺望の良い、環境の良いところで、しかも立派ないわば宿舎を作って、出来るだけ住みよい生活のやり易い、気持ちの良いところで勉強をしてもらおう、そして立派な日本を創ってもらうために活動をしてもらう、こういう意味で人を大事にするという問題もこの政経塾を作られた時には非常に強い想いがあって作られています。

したがって、もし皆さんが茅ヶ崎に行かれたら、行かれた方がいらっしゃるかどうか知りませんが、もし茅ヶ崎に行かれるようでしたら、一度ご覧になってください。逢沢さんなり内山さんなり小田さんもいますから、ご連絡いただいて、政経塾に行ってごらんになってください。私は立派な環境だと思います。これはやっぱり幸之助さんの思いが、私にこういうこと言われております。立派な人材を、宮田さんねえ、預かってるんだから大事にせにゃ、この人材を大事にしなきゃいけませんよということを私に言われたことがあります。僕はこれ本当に感銘を受けました、そういう人なんです。それが松下政経塾のまず最初の出発点として皆さんに承知しておいてもらいたいということです。

二つ目のそれは、幸之助さんという人は改革、世の中を変えるということについて大変熱心な方です。みなさん、我々も今、行政改革ということが随分もう十年ぐらい前から始まっていますがね、いつの間にかそれは構造改革になったんですか。しかしいづれにしても改革ですわな。

改革って一言で言いますけども、改革ってのはどういうことか。あんまり難しく考えんで良いです。改革とは既得権を放棄することです。既得権を放棄させることが改革ということです。例えば一例を申しあげます。明治維新は大改革です。明治維新の時に失ったものは武士階級の権力です。なんの弁償もしない、なんの保障もしないで武士階級は完全に権力を失いました。それが改革です。戦争が終わって占領軍が日本を、日本の政治を製作することになった、その時に何があったか。まず農地改革、地主を追放した。農地を解放した。これを改革、改革ですね。したがって地主という権力を全部放棄させた。それが今の日本を作っている土台です。

今我々がですね、実際に行革あるいは改革って言いますが、一体既得権をどうやって放棄させるかという点で、それほどなくてはならない。やっぱりなんとかしてその、権力を持っている人たちは残そうとしてるじゃないですか。これを外さなければ改革は実現しません。このことをまず、みなさんの頭に置いてもらいたい。そうすると権力を持っているのは何か、既得権を持っているのは何か、だいたい一般的に言って若い人より年を取っている人が既得権を持っているわけです。ということは世代を交代するということです。行革、それは既得権を放棄させること、それはほんと言ったら世代を交代するということ。で、このことが実現をしないと本当の意味での行革、本当の意味での改革っていうのは出来ないということで、このことをまずみなさんの念頭に置いてもらいたいと思います。

さて、その改革という問題で、もう一つみなさんに申し上げておきたいことがあります。昔、例えばですね、馬車が、その後車が出来て、馬蹄、要するにね、馬の蹄を留める金がありますね、あれを打っていた鍛冶屋がなくなっちゃった。これはご承知の通りですね。石炭が石油に代わったということによって石炭産業がなくなっちゃった、これも大変な改革ですよね。革命に近い改革ですよね。それと同じようなことがこれから起ころうとしているわけでしょ。いちばん大きな事は何だと思いますか。私はみなさんに、素人ですから勝手なことは言いませんが、この先生の前で大変恥ずかしい話ですけどもね、例えばね、燃料電池というのを開発している。もう燃料電池は家庭の電灯ぐらいだったら今簡単につけるんです。やってないだけです。このいずれ燃料電池はですね、内燃機関に代わるわけですよ。ガソリンの内燃機関、ありますね、ガソリンエンジン、自動車のあのエンジンに代わるわけです。代わればこれ、ギアだけでいいんですよ。そうでしょ。もう内燃機関なくなっちゃうわけ。例えば馬蹄を作る、もう、馬車が要らなくなったと同じように、ガソリンエンジンなくなっちゃうわけですよ。いらなくなるんだもん。そういう大きなものが今現れているわけです。そういったことに対してどう対応するかっていうような問題がですね、本当に真剣に取り組まれているか。これは、私は一つの例しか申し上げない、こういうことは私が言うよりも、そらもう高橋先生が専門ですから、私などが言う必要はないと思いますけども、しかしともかく少なくともものすごく大きな変化が、このものすごく大きな変革に対して一体どう取り組むのかということが、例えば、それほど大きな問題じゃないにしたって岡山における大きな変革があるかも知れませんね。あるいはまた皆さん方が岡山を変革するために目指していくことがあるかも知れません。それは是非、みなさんで見つけてもらって、そして変革に取り組んでもらいたい。これが私は日本を良くする、あるいは岡山を良くするということにつながると思う。そういう認識を是非みなさんに持ってもらいたいと思います。

政経塾はですね、今のところ代議士が十九名、参議院議員が二名、首長が四名、そういう意味でこれから地方議会の議員も含めますと数十名いますから、まだまだこれから出てくるでしょうね。そしてそれらの人々が、私が今申し上げたような政経塾の中で学んだ非常に基本的なこと、その改革にこれから臨んでいくわけですから、みなさんはそれと同じような想いで、岡山政経塾で岡山を変えていくというために取り組んでもらいたいということをまず私は政経塾との関わりあいで申し上げておきたいと思います。

特に一般のみなさん方に私は申し上げたいことは何かと言いますと、みなさんはリーダーシップを執る、つまりリーダーです。指導者です。もっと言うならば将来に向けての先駆者にみなさん方はなる人です。それは何が大事だと思いますか。一番大事なものはなんと思いますか。私は信頼だと思います。信頼のない人間は指導者足り得ません。信頼とは何でしょう。これは非常に幼稚なことを申し上げますが一番本当のことです。信頼ということはですね、嘘をつかないということなんです。簡単と言えば簡単です、嘘をつかないと言うことは。嘘をついたら信頼は吹っ飛びます。嘘をつかないと言うことが信頼なんです。

嘘をつかないためにはどうしたら良いでしょう。嘘をつかないためにどうしたら良いですか。一番大事なことはですね、人間は知ってることと知らないこととを比べたら、知らないことの方が遙かに多いんです。ですから解からないことは、知らないことは「知りません」と答えることです。知ったかぶりをしないことです。詭弁をろうしないことです、知ったかぶりをして。詭弁って知ってますか。これもまた、高橋先生の前で恥ずかしい話ですけどね。詭弁とはね、例えば自転車とですね、新幹線のどっちが速いかということですね。そんなもん新幹線の方が速いに決まってるじゃないですか、でしょう。ところが詭弁となりますと同じっちゅうんです。なぜ同じかといいますとね、一分間走ったらどっちが速いか、一秒間走ったらどっちが速いか、十分の一秒、百分の一秒、千分の一秒、一万分の一秒走ったらどっちが速いかというと同じだというんですよ。屁理屈なんですけれども、これを詭弁言うんです。

そういうことを言うようになっちまう。知らないことを知った振りをするとそれが一番いけないんです。それは嘘です。そういう意味で嘘をつかないということです。知らないことを知らないと答えるということです。知らないと答えるためにどうすれば良いですかみなさん。人に聞くことですね、知らないことは。知らないことを知らないと言ってしまうことです。人に聞いても解からなかったら自分で調べていることです。それ以外にないじゃないですか。みなさん方がこの政経塾で何を学ぶかは知りませんけれども、おそらく知らないことを学ぶと思いますよ。またお友達関係の中で知っている人と知らない人がいたら、知っている人から教えてもらうということもこれは覚えることです。知らないことを覚えることなんです。知らないことを知るために、そういう努力をしないと出来ません。

さて、そのためには何が一番大事かというと人の話を聞くということです。人の話を聞くっていうのはね、案外きついことなんですよ。だって知ってることを聞いてご覧なさい、同じ事を。いやになるでしょう。でもそれも聞き方ですよ。知っていることを、自分が知ってることをもし相手が話してくれたら黙って聞いてるんですよ。そして、自分が知ってることと、相手が教えてくれたこととが同じだったら、同じレベルですよね。しかし自分が知っていることよりも相手の方がまだ知らなかったら、それは自分が得意になれるわね。あの人より私の方が本当よく知ってたんだ。もっと言うならば向こうの方が良く知ってたら自分では、あっ、自分はこの部分がダメなんだといって、プラスアルファで自分の知識を増やしていけばいい。人の話を聞くってのは、そういう意味を持ってる。

ですから、皆さん方がこの岡山政経塾の中で学ぶとすれば、そういう学び方をして欲しい。幸之助さんは学び方の中で、自主、自立、自修、自得ということを言うんですね、もう皆さんのような立派な一人前の人々に教えることはないんだ、自分で学びなさい。自分で学ぶ環境を私共は提供しているんだと言います。それが環境です。おそらく僕は岡山政経塾もそういう想いでみなさんに学びやすい環境を提供してると思うんです。また学んでもらいたいために、いろんな先生方をみなさん方に派遣をして、聞き上手になってもらいたい。そういう想いが私はある、そのように思います。是非そういうですね、立場に立って勉強して欲しいと思うんです。

私は学校に行っておりません。ですから知識がありません。知識がありませんけれども、無いなら無いなりにね、なんとかして追いつこうとした。そして努力した。私は昭和十四年に、先ほど紹介がありましたように、昭和十四年に私が働いた、昭和十四年というのは私が高等小学校を卒業してからすぐですから、十五歳で僕働いてるんです。もちろんしかし、それでおしまいじゃありません。働いてからすぐ夜学に行きました。兵隊に取られるまで、現役で入隊するまで、私は夜学の勉強を続けました。決してそれは生易しいこっちゃありませんでした。しかし知らなきゃいかん、知らないと損する、もっと言うならば世の中ではたくさんの人が勉強してるじゃないか、自分がそういう者に追いつかないでどうするか、というふうに自分で自分を叱咤して、私は勉強をしてまいりました。

私はみなさん方にはそういうことをしなくても勉強が出来るわけで、やってもらいたい。ただ私はその意味で、戦後労働運動に突入しましたけれども、その時に私にある先輩がこういうことを言いました。「何にも知らなければ、月に一度の経済誌、月に一度の月刊誌ですかね、月刊の雑誌たとえば中央公論ですか、そういうものをせめてその二つの経済誌、それからそういった一般のですね、雑誌、その一冊ずつを確実に読みなさい」。ある先輩は私に言いました。私そのことをずっと努めて参りました。今もやっております。それともう一つみなさん方に大変厳しいことを言うようですけれども、申し上げておきたいことがあります。それは努力をするっていうことがどういうことかというとね、厳しいことを言うようですけどもね、寝る時間があればね、もし自分で勉強しなきゃならんものは寝る時間を、睡眠を節約して勉強しなさい。あえて僕はそう言います。というのはね、私はこういうことを先輩から教えて貰ったことがあるんです。それはね「人間ってのはね、確率で生きている。大変高い確率で生きている。しかし、高い確率で生きているけれども間違いなくいつ死ぬかわからん、明日死ぬかも知れない。だったらね、その日やらなきゃならんことはその日にやり遂げなさい」。そういうことを私は先輩から言われました。私はそれを賢明に守りました。従って私はいつ、例えば明日死んでも、今日までやったことについての悔いは残りません。残してないから、だからその日にやらなきゃならんことはその日にやっとく、持ち越さない、そうすると悔いのない生活、それが努力なんです。一生懸命、一生懸命やるんじゃないんですよ、自分で決めたことを守ることですよ。それをいちいち間違えない。どうしても酒を飲んだときは酒の酔いを醒ましてからもういっぺん起きあがってその日の内にやっちまう、その努力をするということが私は大変大事だと言うことを申し上げておきたいと思います。

嘘を言わない、と言うことを私は先ほど申し上げました。よく子供から私はこんな話を聞いております。私は昭和三十五年ですかね、もうずいぶん昔の話ですよ、東京で一人単身で赴任をしました時にですね、旅館で寝泊まりしました。そこへね、二年生の女の子がいました。夏休みにね、夏休みの宿題をやりにきます。その中にどういうことがあったかというと一つはね、何故お空が青いのか、何故海の水はしょっぱいのか、そういうことがありました。

その子が私に、おじちゃん、これ教えてよ、なぜお空が青いの、なぜ海はしょっぱいの教えて、二年生の女の子が、恥ずかしながら私は知りませんでした。正確に答えられない。僕は一週間待ってくれな、僕は一週間ね、図書館に行きましたよ。一週間時間かかったわけじゃないですよ、一週間、時間があいたときに図書館に、調べました。そして正確なですね、僕は答えを女の子に伝えました。まあ決してそれはね、私の誇るべき事じゃありませんよ。しかし、私はね、嘘をつかないために努力をしないといかんということですよ。そういうことをやって本当に、嘘をつかないことが立証できるわけですから、そのことをね、みなさんにも解かっていてもらいたいと私は思います。

先ほど決意表明の中で、勇気・決断というような問題が出ました。もちろん勇気とか決断という問題は大事なことであります。私はまず志を立てなければ、志というのはあるいは信念かも知れませんね、そういうなのたてなければ、勇気も決断も生まれません。

ある先輩が私にこういうことをおっしゃいました。これは遺訓として残っております。それは「私が歩んだ道を目指しちゃいかん、私が志した道を目指しなさい」という、遺訓を私に与えてくれました。解かるでしょう。いろんな人の事があるかも知れない、みなさんも是非ね、先輩の、先達の歩んだ道じゃない、その先達が何を志したか、その道に向かってみなさん方が努力をする、それこそが本当の意味での努力なんです。本当の意味での真理につながっていく、そのことを是非みなさん方には解かってもらいたいと思います。

私は最後にですね、こんなことをよく昔から言っています。これはおそらく逢沢さんやら内山さんやら小田さんなども私の話を聞いたことがあると思います。しかし、未だにそれを覚えておる。それは、人間には三つのタブーがあります。その一つのタブーは何かというとね、人間が人間を作ってはいけないというタブーなんです。そして現に、この前とかクローン人間が出来たとか出来んとかね、まあ要するに試験管ベビーなんかを考えたときにもね、人間が人間を作るというタブーを侵しているかも知れませんね、侵しつつあるかも知れません。これは絶対にやっちゃいかん。

二つ目はね、人間は宇宙を極めてはならない。これはもやっぱりね、なんとなく宇宙を自分のものにしようとしている野望みたいなものがあるような気がしますよね。ここのところもやっぱり、きちっとどこかでけじめを付け、人間としてのお勤めを持っとかなきゃいかんと思いますね。

最後にも一つ、それは、人間は原子をもてあそんではならない。これはもう言うまでもないですよね。現に原子をもてあそんでいるが故に、自らの命を失おうとしているじゃないですか。こういうですね、人間のタブー、こういうものを考えて生きると、これはどうやったらね、我々じゃないですよね、自分たちは何もそんな力ありませんからね、しかし先駆者あるいは先輩、偉い人はそういうことに挑戦しているわけだから、人類が挑戦しているんだからやっぱり人間、我々にも多かれ少なかれそういうことを侵したとしたら災いを持ってきます。その持ってくる災いに対して我々はどうしたらいいんでしょうか。どうしようもない、仕方がないとするか、いやそうじゃない、もしそういう侵したような罪、あるいはそういう天から罰を受けるような状態のときに出来るだけ罰を受けないためにはどうするか。それは例えば今でも、先ほどからいくつか話があったように、貧乏のどん底で、食べるものも食べないで、むしろ飢えて死んでいる赤ん坊がいるでしょ、幼い子がいるでしょ、どこかに。もしかしたらその幼い子に、ひょっとして今日みなさん方が昼食べたご飯を残しているかも知れません。夕べ食べたご飯を残しませんでしたか。おかずを残しませんでしたか。食べ物を冷蔵庫に放ったらかしませんでしたか。

もしそれをその明日死ぬかも知れないという子供に、地球のどこかでですよ、渡すことが出来たらその子供は一日生き延びることが出来るんじゃないですか。それが人間ですよ、それが人間の心というものは、そういうものだと言われてるんですよね。だったらね、直接的に効果がないにしても無駄なものは作らない、捨てるほどのものは作らない、そういう努力を我々がすることで巡り巡ってそういう人を救うことにつながりませんかね。私はそういう思い入れのようなものをね、人間のつながりの思い入れのようなものを政経塾の中で作っていただきたい。特に岡山政経塾の中で、岡山県全体を、そういう人々に対して、全体として何かつながりのあるようなネットワークづくりのようなものをしてもらいたい。そして人間としてのですね、大切な恥ずかしくない生き方、そういうものを是非みなさんにお手本になってしてもらいたい。私はそのようにお願いをしたいと思っております。

多分岡山政経塾が発足して、この一年後に次に新しい入塾者を迎えるときには、みなさん方自身が塾生の活動をしながらいろんなところで地域の活動に生かされてると思います。そしてあるチャンスがあればそのチャンスを捉えてみなさん方がここで学んだこと、あるいはみんなで学んだことの先駆者としての活動を、それぞれの地域の中で展開されていくんじゃないかと思います。そのことが結果みなさん方がやろうとしていることにつながっていくわけです。つまりこの政経塾をみなさんで作ろうとしたその目的がそこに私はあるように思うんです。だからそういう意味で、不断の努力が私は大変大事であることを申し上げておきたいと思います。

私は一介の労働者であり、私は労働運動しか知りません。しかしなぜ私のような労働運動しか知らないような人間を、あの松下幸之助さんが私を塾長に選んだか、それはある意味では共通した何かがあったと思います。共有できた何かがあったと思います。おごがましい話ですが、それが私はそういうことをさしてくれたんじゃないかなと今でも私は、感謝をしております。

どうぞみなさんもですね、この岡山政経塾の一期生というのは名誉ある非常に貴重な存在だと思います。歴史に残ります。みなさん方の一期生がこれから巣立って、そして岡山におけるいろんな活動を展開することによって、二期生、三期生、二十一期生、政経塾のように二十二期生、いろんな活動が展開できることになります。そのどうぞ大先駆者となって、岡山地域の隆盛のために、みなさまの御研鑽を心からお願いを申し上げまして、たいへん雑駁でありますけれども、私の話を終わらせていただきます。ご静聴ありがとうございました。