2003年 100km Walk

 
◆北川 あえ(岡山政経塾 一期生)

100キロ歩行後記



 100キロなんて歩けるわけない。それが、この話を始めて聞いた時の私の感想だった。しかし、何の為にとか、無駄だとかの意見はあったものの、政経塾ないでの全体的な流れが、歩こう挑戦しようという方向になり、体力的に自分には無理だと判断した私は、すぐ様サポート側に、まわることにした。100キロ歩くなんて馬鹿げてる、しかし、100キロ歩く人たちの心意気に、サポートという形ででも、なにかしたかった。



 4月12日、1回目のコース下見、トイレ、コンビニ、分かりにくい地点のチェック。しかし、長い。100キロは長い、車でも長い。これは実際問題、サポートできないだろう。神経がすり減る。24時間、全員に気を配っての緊張はできない。後悔、後悔、後悔。サポートしますなんて、、、大後悔。

 4月20日、2期生入塾式の懇親会にて、小山、山本、北川は、2期生のサポーターを募る。決して脅したりは、しなかった。ひとり、ひとりに丁寧に、お願いした。お陰で、2期生の参加があった。嬉しい。

 4月27日、2回目の下見、コースが若干100キロに満たないことが、判明。一部コース変更。100以上はいいが、足りないのは嫌だ。(そうだ。意地でもそうだろう。)
5月1日、変更されたコースを 下見に行く。夜中穂浪手前で、鹿3頭に出くわす。閑谷付近で、不審車に後を付けられる。しかし、覆面パトカーと判明。職務質問に答える。不審車はこちらだった。その後、また、子鹿1頭と出会う。エキサイテイング・ナイト。



 5月3日当日、サポート体制は、充分ではない。できるだけのことを 誠実にやるしかない。どうか、事故がありませんように。祈るような気持ちで、送りだす。政経塾のプリントTシャツあり。白装束あり。背広の選挙スタイルあり。でも、気持ちは皆、同じ。皆で100キロ歩く。

 晴天に恵まれ、暑い。皆さん、冗談混じりに、明るく歩き始めた。
まず、逢沢幹事、17キロあたりで、お時間がなくなり、リタイア。参加ありがとうございました。お嬢さんも、ありがとう。水筒が かわいかった。

 30キロ地点では、もう1時間以上の差がついていた。このあたりから、宇野さん片山さんの歩き方が、重くなり始めていた。一番後ろからゆっくり歩いて来た藤原さんが、なんと逆に、前より元気。

 渡辺さんが、長船を過ぎて、足のマメに苦しんでいた。靴も履けなくなっていた。引きずるように、それでも、上り坂をたんたんと進んでいた。
 小倉さんもこのあたりから、身体全体から疲労感がでていた。

 日が暮れ始めたあたりから、サポーターは、手が足りない状態になった。大西、北川、新田は、備前市体育館、穂浪、閑谷にそれぞれ残され、山本、武久、小山は、ライトや、ジャージ、荷物をもってコース上をなん十キロにわたって行きつ戻りつ走った。

 50キロ地点穂浪で、小田幹事時間でリタイヤ。北川そこに、チェックで立っていたが、寒さのなか4時間におよんだ。40キロ地点の大西さんもそのくらい立っていたらしい。しかし、彼のポイントには、トイレがあった。北川のそばには、海があるだけだった。迎えに来た武久さんは、ダッシュで車をコンビニに走らせなければならなかった。(北川、ほっ)閑谷にいた新田は、闇の中、猪と鹿の恐怖に2時間怯えていた。何ものも、彼女を襲わなかった。



 70キロ付近で吉田さん、能登さん、二人とも若いとは言え、我慢していた痛みに耐え切れなくなったようだ。能登さんは、2期生なのに歩いてくれた、ありがとう。足の裏の皮膚が、早く再生されるといいのだが。
林さんから電話、「あえさん、ごめん。歩ききらんかった。」
「よー、がんばったわ、りっぱじゃわ、、」
リタイヤーされた方達も、それぞれに、とても勇敢な人たちだった。悔しさ、無念さをかかえて、止めると決断するのだ。サポーター達は皆さんのその決断に、頭を垂れます。お疲れさまでした。

 70キロ地点までトップだった宮瀬さんが、少しづつ歩けなくなり、ペースを狂わせない森脇さんと、次ぎに洲崎さん、それから「洲崎、オレええから、お前、先行けえ?」という、柳井さんにぬかれる。
10キロほど後ろに、ラーメンを食べても歩けている小寺さんがいる。この5人に、皆の夢がたくされることになった。

 ここから、北川は森脇さんに付くことになった。
彼は、真摯な空気を漂わせ、猫背ぎみに、ひたすら前を見て、歩いていた。背筋を正し、彼に敬意を払い、彼を邪魔しないのが、サポーターの心得だと思った。しかし、ほとんど、サポーターというより森脇ファンになっていたように思う。
 歩く彼を 見ていたい。なにか 彼のために、したい。彼が、孤高を保っている姿が、すばらしいのに、なにかしたくなる。僭越な思いだったかもしれない。
彼の、歩きながらの上品ではない多くの冗談と、猫背を考慮に入れても、それでもなお、彼の歩く態度は、この政経塾100キロ歩行全体に、美しい緊張感をあたえていた。彼が歩きながら体現している深い意味の前に、なんで歩くのと質問する人はいないだろう。
 彼は5時25分に、後楽園についた。


 洲崎さん6時45分柳井さん7時36分ゴール。洲崎さんは余裕。柳井さんは、10年たったこんな顔かしらと思うくらい老けていた。

 それから北川は、急いで後楽園を後にして、宮瀬さんを サポートしに出る。宮瀬さんは、途中かなり走ったために、ダメージが強い。しかし、どうしても24時間以内にゴールしたいとの思いが、彼を駆り立て、500メートルを何分で歩けば着けるのか、考え、ピッチをあげた。最後の10キロで、である。とにかく、どうにか時間ないに着こうとしている。もう、言葉もなかった。サポート車は、わかりやすいように車を500メートル前に、前に、止めて距離とタイムを知らせた。

 彼は、やりとげた。着いた時、彼には、なにもなかったろう。だだの、宮瀬が、そこに、あった。野生の動物っぽい気がした。

 小寺さんと、瀬戸町で会った時、実にさわやかに彼は言った。
「岡山市には、絶対到着しますよ!」そして、彼は24時間完歩した。後楽園まで、あと10キロだった。小寺さんは凄い。汗もかかずに、歩きましたという雰囲気だった。飄々とさらりと苦痛をかわされていた。



 皆が、疲れきっていた。でも、どこかが、ひどく興奮していた。喜びにあふれていた。しんどいけど、でもうれしい、限界まで歩いたことが、マメができて足が痛いことが、筋肉疲労で足が動かないことが、互いの疲れた顔が、うれしい。やせ我慢したことが、うれしい。サポートできたことが、仲間でいることが、うれしい。

「あえさん、1期生すごいです。来年 僕らがこれやるんですね。」武久さんが、言ってる。
 「うん。1期生すごいよ。来年がんばってね。」



 100キロ歩行にサポートとして参加させてもらったことを 感謝します。皆さんと、一緒にがんばれてうれしかった。ありがとうございました。

 それから、北川の仏語教室の生徒さんのなかには、24時間付き合ってくれた整体師の田中さんを始め、Tシャツ作りなどにも協力してくれた人達がいた。きっと、皆さんそれぞれに、ご家族や友達を巻き込んでいるのでしょう。その、方々にも、感謝です。



サポート隊の皆さん