2003年 100km Walk

 
◆栗尾 成洋(岡山政経塾 二期生)

100キロ歩行の感想



 私は100キロ歩行にサポート隊の一員として参加した。役割は、チェックポイントで参加者をチェックすることと、整体師の田中さんとともに行動し、歩けなくなった人、歩くのが困難になった人の治療を手伝うことだ(といっても、できるのは荷物運びくらいだが)。

 朝7時30分に後楽園に集合して、白装束の人やスーツの人たちを見送った。自分のチェックポイントは30キロ付近なので、それまでは退屈だろうと考えていた。田中さんの出番があるとすれば、折り返し地点を越えた閑谷学校のへんからだろうと思っていた。私は100キロという距離と、歩くということをなめていたと思う。

 参加者たちを先回りし、10キロ地点のチェックポイントに応援に行く。すると、早くも田中さんの出番が来た。少し過ぎたコンビニの駐車場の一角に畳を広げて田中さんがテーピングを巻いている。まだまだみんな表情は元気だが、足に違和感が出てきたのだろうか。そういえば、10キロ連続で歩いた記憶は、高校以来ない。そう考えると、炎天下の中100キロ歩くということが、とんでもないことに思えてきた。

 その後は、長くなった隊列の前に後ろに田中さんを運び続けた。25キロを過ぎたあたりからみんなの疲労の色が濃くなってきた。田中さんはマッサージをしながら参加者を元気付けた。彼の存在感は時間が経つごとに大きくなるように感じた。見ていると、マッサージは全身を使う重労働で大変な作業だったと思う。彼の治療と励ましでより長い距離歩けた人もいたのではないだろうか。

 日が落ちて、リタイアする人たちが出てきた。無念さが伝わってきた。50キロ近く歩いてきて、気持ちも体力も元気なのに、足が言うことを聞かないつらさを感じた。
 自分は翌日に用事が有ったため、夜11時で役目を終え三瀬さんと交代した。和気町で、65キロ付近だったが、その時点で歩いている人たちは満身創痍だった。それでも歩き進んでいく皆には申し訳なく感じた。心からがんばってほしいと思った。
 翌日、4人が完歩、1人が24時間歩きつづけたという結果を聞いた。改めて、100キロという長さを感じた。そして、唯々すごいと思った。

 来年自分が歩くとしたら、と考えるとその大変さに今から足がすくむ思いがする。しかし、参加者の人たちとサポート隊の人たち、同行した田中さんの様子を思い出すと、自分も歩くことで参加したいと思う。そして、100キロ歩きぬいた人しか知らない喜びを感じたいと思う。