2003年 100km Walk
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◆永野 聡規(岡山政経塾 二期生)
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100キロ歩行のサポートを終えて
100キロ歩行で完歩された方、参加された方、企画、運営、サポートされた方、その他関係者の皆様お疲れ様でした。
私は、昼間色々と用事がありまして、前半戦の事は他の方からのお話などで聞く事になったわけで、夜の9時からサポートして参加させて頂きました。
何らかの形で参加する事ができ、とてもよかったと感じています。
まず現場に到着しはじめの仕事は途中リタイヤされた方の搬送でした。小田幹事、渡辺さん、宇野さん、片山さんを後楽園やシンフォニーホールへ送らせてもらいました。小田幹事は後楽園に到着したら小走りで自分の車に乗っていかれました。えっ!?まだまだ余裕で歩けそうだ。次の日用事が無かったら、完歩できていたのでは…と小田幹事の底知れぬ恐ろしさを感じたのでした。そして、そのあと3名をシンフォニーホールへ…宇野さんは車中で話をしているのを聞いている感じでは大丈夫かなと思っていたんですが…皆さん口は大丈夫でも体は終了していたのでした。《今だから言えますがうけを狙っているかのごとく、コントのような風景を目の当たりにしたのでした。》言うまでも無く、和気へ向けて帰る車中、思い出しては一人でニヤニヤして、他の人から見ると変な光景だったと思います。
その後、閑谷学校付近から着かず離れず小倉さんと小寺さんのサポートをしばらくしていましたが、この着かず離れずというのはけっこう難しくどこまでが着かずなのかどこからが離れずなのか、いまだに難しい表現を下さった北川さんには答えを聞けていません。
そして、60キロ付近でお二人のサポートはお役ご免となり、また今度は吉田さん、能登さんを迎えに行き、さっきまでサポートをしていた小倉さんまで残念ながらリタイヤで車に乗せ、途中で小倉さんは別の車で帰られましたが、後の二人を岡山市内方面へ。二人ともきつかったのかあまり元気はなく、静かに岡山まで後楽園で能登さんを下ろし、吉田さんをご自宅へ。《そのとき吉田さんに大丈夫ですか?と聞いたら、多分大丈夫です。と答えてくれたのですが、後日、出会ったときには大丈夫でなかった事が判明しました…》
またまた瀬戸駅方面へ戻り、今度は行方不明の宮瀬さんを捜索、引き続きサポートに付きました。おそらく草木も眠る丑みつ時だったと思いますが、かなりの睡魔に襲われていました。もうろうとする意識の中でしたが、宮瀬さんもフラフラになり頑張られていた事だけは覚えています。あの時の宮瀬さんの状態で完歩できるとは失礼ながら、思っていませんでした。
その後はみごと完歩された柳井さんのサポートをゴールまでさせて頂きとても感動しました。柳井さんもかなりきつそうではありましたので、どうすればいいのか、何かしたほうがいいのかと考えながら何もできず、ただ後ろを車でついて行くだけでした。そして、白白と夜が明け、後楽園へとゴール。柳井さんの後ろをついて行っていただけでしたが、とても感動させていただきました。
この様な事で、1期生の方々とも会話できるようになり、仲間に入れていただいたという感じを受けました。そして、「100キロ歩行に来年挑戦してみようかなー?」なんて気になっています。
それにしても、完歩された方々(森脇さん、須崎さん、柳井さん、宮瀬さん)は、恐ろしい人たちに違いないと確信した?100キロ歩行サポートでした。
貴重な体験を有難うございました。来年の100キロ歩行にこの経験を活かしたいと思います。
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