2003年 100km Walk

 
◆洲崎 雅裕(岡山政経塾 一期生)

「100キロ歩行実況メモ」


5月2日

 夜、僕はアカデミア・ガリカ(注1)で100キロ歩行の準備をしていた。
宮瀬氏が最終の新幹線で東京から来岡し、宇野邸に泊まることを北川さんに報告すると彼女は、「宇野ちゃんと宮瀬はその日その時に自分の限界に挑戦するから、絶対に遅くまで飲むわよ」と言った。まったくその通りだと思ったが、今回ばかりは24時間内に100キロ歩くので、早く寝てもらう必要があった。僕は暫定実行委員長として、2人の深夜に及ぶであろう酒宴を阻止する決意をした。
 アカデミア・ガリカでの作業も終わろうかという時に、僕の携帯が鳴った。ディスプレイを見ると、「男前」と、表示されていた。僕は咳払いをし、深く息を吸って電話にでた。

 30分後、僕は平和町の西川ファミリービルにいた。2階の某お店に入ると、そこには某事務局長、某朝○新聞記者、某共○通信記者がカウンター席に陣取り、怪しいショットグラスを傾けていた。僕はある種の諦めの念を抱き、席に着いた。
 結果、毛台酒というアルコール度数55%の中国酒をショットで3杯、ボルドー産ワインをグラス3杯飲ませていただいた。
 0時になり、僕は中座して帰途についた。途中、数時間前の決意を思い出し、宇野邸に向かった。

 宇野氏と立ち話をしていると、いつもの優しい笑顔で宮瀬氏が現れた。
宇野邸で缶ビールの栓を開け、乾杯をした。北川さんの予想通り、酒宴は3時まで続いた。帰る時になってようやく数時間前の決意を思い出した。が、全ては後の祭りだった。帰宅し、準備し終わって床についたのは朝4時半だった。



5月3日

 朝6時半に起きて、林氏の運転する車に乗せてもらい、後楽園に行った。
7時20分頃に後楽園に着いた。本郷さん(注2)重田さん(注3)が見送りに来ていた。

 吉田エイジ氏は白装束、小倉氏はスーツに選挙タスキ姿だった。しょうがないので、私はターバンをかぶった。7時半からミーティングと柔軟体操をした。
この時、睡眠不足と2日酔いで気分が悪く、おまけに暑くてかなりテンションが低かった。「これは完歩できないかもしれないな」と思った。そんな状態でスタートし、宇野氏と2人で最後尾を歩いた。が、宇野氏とは旭川河川敷から離れてすぐのコンビニで別れた。コンビニでおにぎりとカフェオレを買い、飲み食いしながら歩いていたら門田屋敷の交差点で先頭にいたはずの小寺氏に追いついた。彼はスタート直後にコンビニに寄ったらしかった。しばらく2人で歩いていると、宇野氏に追いついた。

 またしばらく3人で歩いていたら東山の国際ホテルに上がる信号のあたりで藤原さんに追いついた。彼女にクエン酸の粉をもらってなめた。刺激的な味がした。すぐに藤原さんとは別れて、また3人で歩いた。東山を超えるあたりは歩道が無く、ちょっと怖かった。
 しばらくすると、林氏、小田氏達に追いついた。そこからしばらく柳井氏、逢沢氏、能登氏らとかたまって歩いた。百間川河川敷は道も広く、景色もきれいで歩いていて心地よかった。
 話の流れで宇野氏がいじられはじめ、柳井氏が止めの一言を発した。直後、柳井氏が逃走し、宇野氏が追走した。おかしな2人は仲良く走り去った。



 沖田神社のチェックポイントを過ぎて、しばらく小寺氏と歩いた。このあたりにくると、日も高くなってかなり暑かった。強い日差しと2日酔いで気が滅入った。ついでにお腹も痛かった。サークルKに寄り、外で靴下を替えて、顔をタオルで巻いた。
日差しはほとんど避けられるようになったが、口にタオルがあたるため、呼吸が苦しくなった。アイスを食べようとしたら、目から下をタオルで巻いてしまっていたので食べられなかった。テンションが下がった。アイスを栗尾氏に託し、一人で歩き始めた。
次のサークルKを過ぎたあたりで、片山さんと逢沢氏の娘さんに追いついた。
逢沢氏の娘さんに本気で「怖い」と言われた。まあしょうがないかと思いつつも少し悲しかった。

 次のセブンイレブンに着くと、はやくも宇野氏がマッサージを受けていた。休憩するつもりもなかったので、すぐ歩き始めた。
サンデーサンのあたりで、逢沢氏、柳井氏に追いついた。逢沢氏は結構お疲れのようだった。よく考えると、こんな企画につき合う代議士もそういないよな、思った。逢沢氏着用のピンク色の短パンがちょっと輝いて見えた気がした。
しばらく3人で西大寺の「夢ぞの」まで歩いた。おにぎりとお茶を買って食べた。逢沢氏はそこでマッサージを受けて、帰られた。おにぎりを食べていたら宇野氏と片山さんと逢沢氏の娘さんが追いついてきた。宇野氏が店内に入ると、すぐに柳井氏が「いくで」と言って出発したので、続いて歩き始めた。おにぎりを食べてお茶を飲んだせいか、2日酔いは解消して気分がよくなってきていた。

 突然、紺色の車が現れて、運転していた女性がエールをおくってくれた。森脇氏の奥さんだった。息子さんを連れて応援に来られていたようだった。夫婦愛を見せつけられた気がした。
 水門を過ぎた石碑のチェックポイントで、山本氏が迎えてくれた。キャップにサングラス姿の山本氏はかっこよかった。そこで水をもらい、靴下を替えて、柳井氏先発で歩き始めた。
すぐに追いついて、また2人で世間話しをしながらテクテク歩いた。このへんで森脇氏から柳井氏に携帯で、小倉氏が先頭集団から離れた旨の連絡があった。

赤穂線の踏切を渡って、IRIEで北川さんと武久氏が迎えてくれた。そこでハチミツとアイスを買った。アイスが体に良くないのはわかっていたけど、おいしかったから良しとする。柳井氏の前でおいしそうにアイスを食べてやろうと思ったけど、追いつく前に食べ終わってしまった。ちょっと悲しかった。

 しばらく一人で歩いた。柳井氏に追いついてすぐ自販機でチビサイダーを買って飲んだ。普段よりおいしい気がした。
いつの間にか左足親指と人差し指が当たってるような感じがしたので、両指にカットバンを貼った。この時、気分はよかったが、右膝の裏に違和感がではじめていた。ひょっとすると肉離れをするかもしれないと思い、だんだん不安になってきた。
また歩き始めて、しばらくすると右膝の裏が痛くなってきた。
これでは100キロ歩けないかもしれない、と思ったけど心配してもしょうがないのでペースを変えずに歩いた。この時点では、ストレッチをするなどという発想は頭に全くなかった。

 飯井の交差点を過ぎ、少し登って橋のところ小倉氏に遭遇した。彼は既にスーツを脱いでいた。
そのあとすぐ田中氏によるマッサージを受けた。左膝裏の違和感は無くなったが、右膝裏の痛みは残り、同時に不安も残った。左足の指のカットバンをはがしてワセリンを塗った。
しばらく一人で歩いた。右手に綺麗なレンゲ畑が広がっていた。印象的だった。登りが多くてだるかった。



 出光石油横の公園のあたりで小山氏にバナナとカロリーメイトを持ってきてもらった。そこで新田さんと写真をとった。小山氏の車が出光石油で給油中、小山氏が店員に100キロ歩行をしている旨を告げ、こちらを指さしたので、一応パフォーマンスとして手を振りながらジャンプした。足が痛かった。
テクテク歩いて、坂を上りきって下り始めたあたりで渡辺氏に遭遇した。足を痛めているようだった。痛ましかったが、しょうがないのですぐ別れてまた一人で歩いた。
湾をぐるっとまわって備前の体育館に着いた。大西氏と山さんがチェックポイントに立っていた。アミノサプリをもらった。柳井氏もいた。
また柳井氏と歩き始めた。湾をぐるっとまわってる間西日があたってまぶしかった。

 備前市街に入り、夕日が山陰に隠れ、夜が来た。「もう太陽見んでええで。ワシらの時間じゃ。なあ、スザキ」と柳井氏がおっしゃった。太陽が隠れただけで少し元気がでたような気がした。もしかすると僕は夜の人なのかもしれない。
市内のサークルKでうどん、ソフトクリーム、カフェオレ、おにぎりを買った。うどんとかを食べ過ぎて気持ち悪くなった。
このへんから、休憩直後は足が痛くて歩きづらくなった。身体が冷えるからだろうか。
休憩するたびにひどい痛みに襲われ、不安になった。
このあたりですれ違う車に乗っている女性がみんなきれいに見えて、備前はすごいなあと思っていたら、「斜めから女の顔を、一瞬だけ見るんじゃから、並以上の女なら過剰に良く見えるんじゃ」と、柳井氏が真理を説いてくださった。脱帽。このあたりから日が落ちて暗くなってきた。



 穂浪の橋の手前のチェックポイントで、北川さんと武久氏が迎えてくれた。寒くなったので厚めのズボンに履き替え、100キロ歩行シャツを上から着た。
柳井氏先発で歩き始めた。このあたりでもう真っ暗になっていた。
2人でテクテク歩いていると、山本氏の車とすれ違った。

 伊里中交差点横のローソンにつくと、かなり疲労した吉田氏がいた。他に、サポート隊の小山氏、新田さん、栗尾氏、田中氏がいた。おにぎりを食べた。柳井氏が田中氏のマッサージを受け、足を褒められた柳井氏はうれしそうだった。
柳井氏、吉田氏と3人で歩き始めた。交差点の信号待ちの間にシャツを一枚上から着た。信号を渡るとすぐ武久氏の車がきて、柳井氏が服を受け取っていた。その間吉田氏と2人で歩いていると、吉田氏のライトが故障した。別にライトが無くても問題なかったので、自分の支給ライトを吉田氏に渡した。このあたりは人工光が少なく、雲もまだでていなかったので、岡山よりも断然星空がきれいだった。
夜の涼しさと、きれいな星空に癒されたのか、右膝裏の痛みや体力的な不安はほとんど無くなっていた。というかいろんなところが痛かったので、痛みを気にするのがアホらしくなっていた。

 きつい登りの直前で柳井氏が追いついてきた。柳井氏、吉田氏はけっこう苦しかったらしく、口数が少なかった。冗談を言うと、柳井氏に軽く怒られた。
また、吉田氏はそうとう足をやられていたらしく、「足が痛くてこのペースでないと歩けん」と言って時速5キロくらいのペースを維持していた。痛々しかった。

吉永のローソンでおにぎりとカフェオレを買って、食べていたら武久氏の車が現れた。先頭集団がへばっていることと、森脇氏が先頭にいることを聞くと、なにやらやる気がでてきた。
また、残念ながらこの時点で渡辺氏、宇野氏、片山さんがリタイヤしたと聞いた。そして、ここから柳井氏との合い言葉は、「打倒森脇」になった。ことあるごとに連呼した。打倒森脇、と。
この頃から休憩時に必ず柔軟体操をするようになった。相変わらず休憩後は痛みに襲われたが、それにも慣れた。水分・カロリー補給と定期的な柔軟体操を繰り返していれば、完歩できるような気がしてきた。

 このへんで友人に現在地と残り時間をメールで告げると、「余裕だな」とだけ返信してきた。軽くムカついた。
暗い中3人で歩いた。時折突っ立っている自販機の照明が相当まぶしかった。
宇野氏、片山さん、本郷さんが応援にきてくれた。うれしかった。テンションが上昇し、一気に元気になった。
和気橋から数キロ手前の自販機のところで吉田氏と別れた。後で聞くところによればそこでマッサージを受け、リタイヤしたらしかった。
また柳井氏と2人で歩いていると、柳井氏の奥さんとその仲間が現れた。柳井氏にシップ等を渡していた。いつも通りにぎやかだった。柳井氏の奥さんから先行グループ情報を聞き、少し休憩した。
休憩もそこそこに歩いていると突然三瀬氏が現れた。これにはびっくりして、かなりうれしかった。少し一緒に歩いた。
和気橋手前のループ状の道を登り切ったところで道を間違えそうになった。柳井氏がいなかったら誤って備前方面へ迷走していたかもしれない。



5月4日

 和気橋直前のあたりで、能登氏に遭遇した。痛々しい歩き方だった。彼は気合いでついてきた。和気橋を渡ったところでストレッチをして、柳井氏先発で歩き始めた。
しばらく一人で歩いてたいら再び柳井氏の奥さんが現れた。が、すぐに去っていった。
能登氏に追いつくと、「見捨てて行かないですよね?」と言われた。少し迷ったけど、「柳井さんを追いかけるから」と言って見捨てた。後で聞くところによればそのあたりでリタイヤしたらしい。なんか悪いコトをしたような気がした。

 柳井氏に追いついて、また2人であるきはじめた。50分くらい歩いてストレッチしていたのが、このへんから歩きと休憩の間隔が短くなってきた。
しばらく歩いていたら柳井家となかよしの梅原夫妻が現れた。僕は梅原氏にいらなくなったゴミを託し、破棄してもらった。梅原夫妻はけっこうな距離を併走し、激励して去っていった。

 熊山町のあたりから、なんとなくペースが落ちてきていた。
眠気に襲われ、ぼーっとする時間が増えていた。足下がふらつくこともあった。
途中、宇野氏、片山さんが現れて、竹の杖を手渡してくれた。後で聞くと、竹は山で調達してきてくれたらしかった。それを聞くと、余計にうれしかった。
瀬戸のサンクスの手前あたりで、座り込んでいる林氏に遭遇した。顔は笑っていたがつらそうだった。すぐ通り過ぎて、瀬戸のサンクスに入って、500円くらいの栄養ドリンクを買った。

 しばらく歩いて、電柱にキリンビールの広告が並んでいる通りで栄養ドリンクを飲んだ。飲んだ直後はなんともなかったけど、少し時間が過ぎると何故か涙が出てきた。流れるほどではなかったけど、二回波がきて、少し泣いた。うれしくも悲しくもないし、痛くもつらくもなかったのに、どうして涙が出るのかわからなかった。
「なんかよーわからんけど涙がでるんです」と言うと柳井氏は、「ええが」とだけおっしゃった。まあいいか、と思った。

 瀬戸駅に近づいたあたりで本郷さんがきた。テンションが上がって、元気になった。
そのあと三瀬氏と田中氏が現れた。水を少しもらった。
田中氏が僕らの状態をかなり心配していた。わけのわからないうちに北川さんに引っ張り出されて、本気で一両日サポートし、皆の支えになった田中氏はかなりすごい人だと思った。
瀬戸駅の手前でペースを上げて柳井氏から離れて、瀬戸駅のトイレに行った。照明がなくてちょっと怖かった。
瀬戸駅を離れたあたりで本郷さんに会った。元気がでた。
また柳井氏と2人で歩いていると、本郷さんが後ろを伴走してくれた。

 そのあと柳井氏に追いついて、柳井氏が、「もう自分のペースでいけい」と言ったので、ちょっと悩んで、「ほないきます。肉離れしなかったら先にゴールで待ってます」と言って単独歩行に入った。
ここがだいたい85キロ地点で、ここから時速5キロ超のペースで歩いた。
不思議と、ペースを上げてからは気分的にノリノリで歩けた。ペースにつられてテンションも上がっていた。
途中、宮瀬氏を追い抜いた。宮瀬氏は三瀬氏につきそわれて、杖をついてへろへろ歩きだった。



 平島の交差点から、小山氏の車が伴走についてくれた。手持ちのライトの電池が切れたので、小山氏の車のライトはありがたかった。
このあたりから30分歩いて5分ストレッチするペースに切り替えた。最初の30分は一人でヒマだったので、バラードを中心にずっと歌っていた。「君だけを」(ウルフルズ)「巡愛歌」(永渕剛)この2曲は何度も歌った。
けれど、歌い疲れたので最初の柔軟体操をした後は歌うのをやめた。途中で荷物を小山氏に預かってもらった。

夜が明けたあたりで、西原幹事が暖かいタオルを持ってきてくださった。本当にあたたかく、うれしかった。顔と首と手を拭くと、タオルが磯臭くなった。自分が相当汚れていたことに初めて気付いた。
スタスタ歩いて、高島のあたりまできたときに、足裏にマメができていることに気付いた。やはり靴下を替えないと足にはよくないようだ。でもめんどくさいので靴下を変えたりはしなかった。
高島公園のあたりで、森脇夫妻が様子を見に来た。完歩した森脇氏は晴れ晴れとした表情をしていた。が、歩き方はどこかぎこちなかった。

結局、ペースが落ちずに後楽園まで到達できた。
蓬莱橋を渡っていたら西原幹事が写真を撮ってくださった。後ろ向きに歩いたり、不細工な顔をしたりしたら全部写真にとられた。顔芸も時と場所を選ぼうと思った。
そのままスタスタ歩いてスタスタとゴールした。

 完歩できてうれしかったけど、周りのみんなのほうがうれしそうだった。
参加者の中で歳が若い方で、自分でコース設定して、実行委員長もしているのにリタイヤしたらカッコ悪いな〜と思っていたので、完歩できてほっとした。また、想像していたほど精神と身体へのダメージは大きくなかったこともあり、ちょっと自信がついた気がした。でも、応援してくれる人や一緒に歩いてくれる人がいなくてずっと一人だったら完歩できなかったかもしれないと思った。応援されると本当に元気がでて、意地にもなり、人からもらったパワーは計り知れない。



 いや〜よかったわ〜と思いつつ、ゴールしてすぐ入念に柔軟体操をした。
そのあと西原幹事謹製のコーヒーをいただいて、森脇氏からいただいたくず餅と柏餅を食べた。
芝に寝転がると、冷たくて気持ちよかったけど夜露で全身濡れた。Tシャツが汚れて少し悲しかった。
口の中が気持ち悪かったので、使い捨て歯ブラシで歯を磨いた。
お手洗いで歯を磨いていたら、もうすぐ柳井氏がゴールするというので走ってゴールにいった。走る姿を見てみんなビックリしていた。けど、ランニング程度のモノで、ダッシュはできなかった。かなり身体が疲労している事を実感した。

 しばらくすると柳井氏がいつもの笑顔と、ぎこちない歩き方でゴールした。
柳井氏はゴール直後に座ってから全く動かなかった。
その後しばらくして宮瀬氏がゴールした。話によると、宮瀬氏は最後走ってきたらしかった。平島で追い抜いた時の様子から考えると、普通なら無理な話で、やはり一人でアフガン行く男は違うなと思った。
宮瀬氏のゴール後、開始から24時間が経過して終了した。

その後、みんなで集合写真を撮った。しばらくすると急激に眠くなり、座り込んで寝てしまった。

宇野氏の車に、宮瀬氏、片山さんと自分の4人が乗り込んで帰った。乗車中ずっと寝ていた。後で聞くと、運転中宇野氏はほとんど居眠り運転だったらしかった。危ないのでやめてください宇野さん。

家に帰ってすぐ寝た。10時間ほど寝て、1時間ゆっくり風呂に入って、ご飯食べてまた10時間ほど寝た。



5月5日

朝洗濯して、靴を洗った。
昼から宇野氏、宮瀬氏とロイヤルホストでビールを飲んで食事をした。
その後、岡山駅新幹線ホームで森脇氏、柳井氏と合流した。連休最終日だけあって、新幹線はかなり混んでいた。東京に帰る宮瀬氏が自由席に座れそうになかったので、一本遅い新幹線に乗ることにして、喫茶店でお茶を飲んだ。当然、100キロ歩行の話で盛り上がった。

16時半に、宮瀬氏をみんなで見送った。全員歩き方がおかしかった。




注1 アカデミア・ガリカ  北川あえ氏と西浪貴子氏共催の語学教室。
注2 本郷さん       アカデミア・ガリカの生徒さんで、今回の100キロ歩行Tシャツの作成と、サポート活動をして下さいました。
注3 重田さん       アカデミア・ガリカの生徒さんで、今回の100キロ歩行Tシャツの作成を手伝って下さいました。