2003年 100km Walk
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◆柳井 弘(岡山政経塾 一期生)
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100k歩行を覚えておくためのメモ
今の感想は「あー良かった」の一言です。
5月3日午前8時にピクニック気分で後楽園を出発した私は、まわりの仲間と和気藹々、楽しく歩いておりました。旭川の土手沿いはいつも通っている私の庭みたいな場所。一緒に歩いていた逢沢代議士の生まれ育った家の前を、スキップ同然でお気楽極楽で歩いていました。30分経過、1時間経過してくると暑さもなかなかの物。
ここら辺りでやっと先頭集団(森脇さんを先頭に、吉田君、渡辺君、小倉君の4名)を気にしました。あんなハイペースで完歩出来るのかと心配をしました。途中のコンビニで休憩(10:10)をしていた先頭集団にやっと追いつきましたが、私はこの後、彼らは大変なことになるんだろうなと思っていました。特に最年長の森脇さん、あまり無理すると本当に大変なことになるぞ!!と思っていました。(全く外れでしたけど)
後方集団もここで追いつき、ここから先頭集団が少し変わりました。森脇、吉田、小倉、渡辺、能登、林、宮瀬の7名。元気の良い集団なのでしょうハイペースで飛んでいってしまいました。(後に最年長森脇さん以外には全員に会うことになる)
そしてほんの数分間宇野さんと歩きましたが気が付いたらいませんでした。その後、逢沢代議士と少し歩きましたが2期生栢菅君の結婚式に出席の為、お帰りになりました。
そして、西大寺から遂に運命の同士、洲崎君と共に歩くことになります。
彼は、岡大探検部、現役の学生。いいパートナーがいてくれたと思いました。しかし、どこまでつき合わせて良い物か、とも思っていました。とにかくここからはマイペース。チェックポイントやコンビニでは必ず5分から10分の休憩をし、柔軟と水分やゼリーを補給し必ず洲崎君より先に出発するようにしていました。万が一、洲崎君が先に出ると現役探検部の彼にはもう二度と会えないからです。とにかくこのペースを守ろう。「洲崎、たのむ」の一言だけ叫びながら歩いていました。
飯井の交差点をすぎた辺りで先頭集団の一人であった小倉君に遭遇。結構つらそうに歩いていました。洲崎君も足に不具合が発生していたので整体師一平を呼ぶことなりました。整体師一平には全員(たぶん森脇さん以外)がとてもお世話になってしまいます。(ありがとう)親友の小倉弘行に激励を送り、洲崎君を置いて先に出発。
備前の山道の途中、渡辺君を発見。豆がつぶれて大変そうでした。何を言って励ませばよいのか分からず「がんばろうで」と「あんまり無理すんな」と言ったと思います。
備前チェックポイントで山本さん、山田さん、大西さんと会いとても美味しいバナナを頂きました。うまかったです。しかし、これが最後の固形物でした。そうこうしていると洲崎君が到着。ここから又、二人でランデブー。片上駅付近で休憩をしゼリーを購入。この後口にした物はゼリーと強壮剤だけでした。ここから50k地点まで一気!50k地点では身内の北川あえと武久さんが待っていました。(19:00)この時点で足のマメはマメでなくなり火傷の水膨れのようになっていました。
伊里中の交差点付近で吉田君発見。ローソンで整体師一平にやられてました。ついでに私もやってもらいましたが、「まだまだ元気な筋肉してますよ。昔、足早かったでしょう。」と言われ、いい気になって又やる気になってしまいました。ここから吉田君、洲崎君と共に3人でGO!閑谷は真っ暗!一人ではちょっと厳しいかなと思いました。道中、親友小倉から妙にハイテンションな電話がかかってきました。(21:30)もうそろそろ彼も終わりなのかなと思い携帯を切りました。
吉永のローソンまでやっとの思いでたどり着き三人で休憩。この時、身内の北川あえと他人の武久さんがリタイヤ者を教えてくれました。渡辺さん、宇野さん、片山さん、藤原さん、本当にお疲れさま。(私は余裕です)筋肉をほぐし、靴下を替え(4回目)高級アリナミンVVを飲んで(本日3本目)さあ出発。ここら辺りで膝裏激痛!
1時間に5分の休憩を挟みペースを守りながら進むが、和気橋約1.5km程手前で吉田君が「先に行って下さい」との声。
キツかったのは分かっていました。しかし、寂しい一言でした。「無理をするな」「決断もしなければならない」としか言えませんでした。それから500m先で私の愛妻と近所の高本さんがリュックの代わりになるポーチを持ってきてくれました。「ありがとう、ちょっと後方で吉田が止まっとる。頼む。」と言っていざ出発。
和気橋200m手前で能登君に遭遇。歩いてはいましたがこっちも大変そう。足の裏のマメは限界寸前らしく、靴に穴まであけて歩いていました。「無理をするな、君には来年がある!!」と言いながらしばらく一緒に歩きました。でもちょっとだけでした。
熊山町では我が家の近所の梅原夫妻が応援に来てくれました。友とは有り難いと心から思いました。リタイアをしたはずの宇野さん、片山さんが応援に来てくれていました。モコさん(本名知りません)も居ました。みなさんありがとう嬉しかったです。
洲崎君と共に次のコンビニを目指すのですがなかなかありません。やっとサンクスを発見!が、その時、目の前に林さんが現れました。彼は一言。「膝が終わったみたいです。」と妙に明るく話しかけてくれました。実はこの一言が意外にも元気にしてくれたのです。暗く何か言うのだと思っていたところに元気な一言。力づけられました。
コンビニに寄って体操してスタート。ここで洲崎君と密談。(他に誰もいませんけど)「ハイペースで先に行った奴らはほとんどがダウンしとるで。先頭の森脇さんは42歳、いくら何でももうそろそろ終わるじゃろ。ひっひっ。」「打倒森脇じゃ!!!」「おぉーっ!!!!」といいながら瀬戸駅まで到着。ここで私は洲崎君をリリース。
彼のペースの邪魔をしていたことは分かっていました。しかし、彼無しではおそらくここまで到達していなかったでしょう。彼に心から感謝をし、「頼む、森脇を倒してくれ!!!!!!」と言うより早く須崎君はさっさと行ってしまいました。
私はマイペースを守りながら平島交差点を迎えます。前方にふらふら歩く2人組を発見。宮瀬君と三瀬君でした。宮瀬君は今まであった誰よりもキツそうで杖を手に縛り付け歩いていました。その光景は今でも忘れることは出来ません。すぐにリタイアしなければならない状態に見えました。「がんばれ、先のコンビニで休憩をしているからゆっくり来い」ローソンで柔軟をしながら休憩していると宮瀬君は見向きもせず先を急いで通り過ぎて行きました。しかし、あの速度では時間内のゴールは無理。休憩を終えた私が彼に追いつくのに時間はかかりません。「宮瀬、」それ以外に何を言ったか今では覚えていません。
少し歩くと、西原さんが熱いタオルを持ってきてくれました。実はこの時ベタベタの顔と手がイヤでどこかで洗おうと思っていたところの出来事でした。西原さんすごいタイミング。本当に感謝感激でした。
今度はこのタオルをどうしようかと思っていたところ平島からずっと後方で追走をしてくれていた永野さんが預かってくれました。古都でポーチを預かってくれたのも永野さんでした。ありがとう。
とにかく、最後は焦りました。時間内に到着するのか。足は最後まで動くのか。もう不安ばかり。頑張って歩くのですが平島からの道がとても悪く、でこぼこや、ちょっとした傾斜の連続。これが旭川の土手まで続き、最後の最後にダメージを受けました。
後楽園が見えたとき私は今日、何をしていたのだろう。何か発見できたのだろうか。と色々考えましたが何も変わらないことに気が付きました。ただこんなに色々な人達が、こんなに多くの人達が応援してくれている。途中で投げ出すわけには行かない。と言うことだけはいつも頭にありました。ついに、ゴールです。西原さんが写真とってます。斉藤さんが居ます。セリーヌさん(本名は知りません)の顔が見えます。私はどんなリアクションでゴールをすればいいのか。そんなことばかり考えていました。しかし、普通にゴールしてしまいました。(残念)
5 月4日午前7時30分。所要時間23時間30分。万歩計133262。いろんな人と握手しました。
トップでゴールをした森脇さん午前5時45分。さすが我らがリーダーです。
2着でゴールをした洲崎君午前6時45分。森脇さんから1時間遅れとはものすごい追い込みです。
その時に信じられないニュースが聞こえてきました。もうすぐ宮瀬がゴールすると。驚きでした。あの状態からどうやってゴールできるのだろうと。午前7時50分、彼が帰ってきました。走って。さすが宮瀬。気合いと根性はすごい。感動のゴールでした。
100k歩行に参加をされたみなさん、サポート隊のみなさん本当にお疲れさまでした。ありがとうございました。
最後に、私はスタート前から決めていたことが一つだけありました。
この企画を提案した小山事務局長に、ゴールした後涼しい顔で一言、言うことです。
「まっ、こんなもんです。」と…
言えてよかった。
備前市鶴海から久々井へ向かう難所、山道を登る。

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