2003年 100km Walk

 
◆小寺 立名(岡山政経塾 一期生)

100キロ歩行を終えて


1.「こらえてぇ!」


 100キロ歩行の感想を書くにあたっては、これに触れないわけにはいきません。
 1月の例会で100キロ歩行が議題になったとき、「松下政経塾がやるからうちもやる」では理由にならない、岡山政経塾ならではの他の企画を考えるべきだ、100キロ歩行の目的・理念は何なのか、と反対論を展開しました。

 100キロ歩行などという大それた荒行をする以上、なぜやるのか、その大義はなにか、をはっきりさせないと、とても歩く気になれないという思いでした。
 これに対して、松下がやるからやるのではない、塾生間の友情を確認するためだ、自分の限界に挑戦する機会にするんだ、強靱な精神力を養うためだ、等さまざまな目的が提示されました。

 結局、賛成論者が多く、自分の主張が支持されなかった以上、従うしかないな、と参加の決意を固めたのでした。というか、諦めて覚悟を決めました。
 とはいうものの、正直なところ、気が乗らないなぁ・・、嫌だぁ!、こらえてぇ〜、と当日の朝、後楽園に着くまで、究極のマイナス思考人間になっていたことは事実でした・・。



2.気分爽快!

 ところがところが、不思議なことに後楽園について一緒に歩くメンバーやサポートしてくださるメンバーの顔を見たとたんに、やる気がみなぎってきて、「よし!行けるところまで行ったるでぇ!」と爽快な気分になってしまいました。何年か前、睡眠不足ですっかりブルーになりながら司法試験会場に到着したときも、会場に着いたとたん「よし!闘うぞぉ!」とみるみるやる気がみなぎってきたのを思い出します。いい性格だっ!



3.日中の政治談義

 こうして後楽園を出発し、夕方備前に着くまで大半の時間を小田幹事とご一緒させていただきました。小選挙区制度の話、自由婚の罪と許婚(いいなづけ)の合理性について、県議会議員の日常業務、道州制、アメリカの文化、県政・市政のよもやま話、などなど大変おもしろく、強い日差しの中の歩行であることなど気にもならない状況で、あっさり備前市までたどりついてしまいました。途中、西大寺では喫茶店で昼食を、備前では中華そばの店で夕食をおごっていただき、小田先生ありがとうございました!



4.リタイヤ寸前の峠越え

 こうして快調に備前市入りしたのですが、さすがに疲労が出てきたのか、夕食休憩で身体の緊張がとけてしまったのか、備前市街地での足取りはみるみる重いものになっていきました。途中で小倉さん、渡辺さんと合流し、極めて足取りが重くなっていた渡辺さんに思いをのこしつつ、小倉さん、小田幹事と3人で先へ進みました。

 9時前に、50キロ地点で「今日はこの辺で」と小田幹事が言われました。小倉さんは、「そういえば先生、明日は臨時議会でしたっけ(ウソ)。とっても残念だけど、小田先生と一緒に私もこの辺で」などと軽口をたたきながらも、「閑谷学校まではどうしても行かんといけん」と、閑谷学校の峠へと歩き始めました。小倉さんがそこでリタイヤされていたら、「そうそう、ぼくも、その臨時議会の当局側答弁の準備をせんといけんから、この辺で。」などと訳のわからんことをいいつながらリタイヤしていたかもしれません・・。
 なんとなくリタイヤしそびれて小倉さんと2人で閑谷学校の峠越えをすることになりました。

 小倉さんの県政に取り組む心構え(声なき声を代弁する)や将来に付け回しをしない財政への取り組みなど、清い政治理念をうかがい、良い方が県議さんになられたなと、心から敬意と親しみを感じながらの道中でした。

 しかしながら、いかんせん、小倉さんもぼくも身体が思うにまかせず、とくに下り坂の一歩一歩は疲労しきった身体に確実に打撃を加えていくのでした。もうそろそろリタイヤかなと本気で思い始めていました。



5.リタイヤ断念

 峠を下りきった吉永で、小倉さんはとうとうリタイヤされました。
いっしょにリタイヤしよう!と、よほど思いました。たしかに、身体は痛みきっているし、もういいだろう、という状況でした。でも、気持ちがなぜかリタイヤを拒むのでした。このあたりも、長年の受験生活の賜物(たまもの)なのかな。とうとう、リタイヤを諦め、「小倉さんの思いをつぎます」と、次へ進むことになってしまいました。

 吉永から和気まで、サポーターの大西さんが一緒に歩いてくださいました。吉永で気持ちが切り替わったのか、さっきまでの重い足取りがうそのように、自然なペースで歩けてしまいました。まさに気力だなあと、人間のもつ力に感心してしまいました。

 大西さんとは、人生の進路の選択について話しながら深夜の星がきれいな街道を進んでいきました。投資の重要性についてのお話は、また今度の機会に、ということになってますね。大西さん。サポーターなのに10キロも歩いてくださってありがとうございました。



6.岡山市の土を踏むまでは! 

 和気から熊山、瀬戸と、山本さん、大西さんのサポート態勢のもと歩き続けました。しかし、早朝の瀬戸、疲労と睡魔で足取りが鈍ってきて、もうだめかなと思い始めた頃、「森脇さん、ゴール」の報が伝わり、ぼくもなんとか岡山市の土を踏むまでは歩き抜こう!と、新たな決意が湧いてきました。岡山市役所職員の鑑(かがみ)だ!そうだ!市長表彰ものだ!などとたわいもないことを考えながら歩き続けました。(瀬戸町も岡山市と合併するかもしれないんだから瀬戸町でもいいか、などと本当は考えていたので、市長表彰は謹んでご辞退申し上げます・・)

 こうしてほどなく、岡山市の土を踏み、職員の責務は全うしたのですが、ここまでくると、ますますリタイヤしそびれてしまい、こうなったら24時間歩き続けてやろう!とだらだら歩き続けました。
 そして、24時間目を岡山市藤井の陸橋に登ったところで迎えました。90キロ・・ほんの一瞬、100キロ制覇できなかったことへの後悔が生じた後、そんなことはどうでもいいや、これで十分だ、一緒に歩いてくださった方々、サポートしてくださった方々のおかげだ、本当にありがたい、幸せ者だ、という達成感と幸福感、感謝の思いでいっぱいになりました。心残りのない、記念すべき24時間・90キロでした。

 今回の企画に関わられたすべての方々に感謝の思いをお伝えします。