2003年 100km Walk
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◆宇野 元浩(岡山政経塾 一期生)
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平成15年5月3日・4日の100キロ歩行日記
〜自称スポーツマン〜
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私が今から書くことは、次回100キロを歩くことになるかもしれないので、「忘れないために記録しておこう!」「次に100キロを挑戦したときの自分に!」「くやしさと感動を思い出に!」そんな思いで書いています。(前置きです)
<歩くまで>
100キロ歩行、5月3日から丸一日歩く。「いつ準備したらいいのか?毎日100キロ歩行に備えて歩こう、準備しよう。」そんな考えが1ヶ月前からあり、準備しました?
しかし、実際準備で歩いたのは3日だけ。でも2時間くらい歩いてみると、「歩くというのはそんなにつらくない。これは楽勝だ!」という印象でした。しかし、100キロという道のりは全くイメージがわきませんでした。
100キロ歩行の前日、宮瀬君(東京から最終便で岡山へ)が私の家に泊まることとなり、深夜1時前から洲崎君と三人でビールでも飲もうということになり飲みました。
志について語り合ううち気づいたら3時をまわり、床につきました。(睡眠3時間)
<45キロのあゆみ>
朝の目覚めはよく。集合時間にも間に合い午前8時定刻にてスタート。
最初、旭川土手にて、私と洲崎君は赤信号で二人だけ休止。この時点で自分たちが最後尾でした。先頭でゴールした森脇さんとは出発以来二度と会うことがないことをこの時点では考えてもいなかった。
前グループに追いつくためピッチをあげ、百間川の土手では中間地点グループでみんなと楽しく歩くことが出来た。このときの反省は、やないさんと追いかけっこ(100bほど全力で走ってしまった)をしてしまい多少疲れが出たことである。

百間川を渡る頃、気がつくと小田幹事と私が最後尾でした。いやいや、後ろに藤原さんが歩いていることに気付き最後尾でないことをサポーターの方に伝えると、「えっまだいるんですか」と聞かれたので、もしかして藤原さんはリタイヤしたのかなと思ったほどです。この地点で藤原さんは全く見えない遙か彼方にいることだけはわかりました。
(10キロ地点)
橋をこえ、歩いていくとコンビニでみんな休んでいました。先頭グループが出発している姿だけ確認できましたが会うことは出来ず、寂しい思いでコンビニへ、やっとやないさんと洲崎君に出会い、やないさんと今度は二人でスタート。ここで、やないさんと明日の岡山を語りながら歩く(本当?)。途中逢沢幹事とも合流した。しかし直ぐに数キロ歩くと足がなんかつりそうだなあ!と感じはじめたので、やないさんに相談すると、テーピングをすればいいんだ、私はしているよ!と玄人っぽく言うので一平ちゃん(この日はじめて会ったが本当によくお世話をしてくれて、感謝しております)にお願いした。
やないさんは、「もうすぐ片山がくるからわしは行くで!」とだけ言い残し、逢沢幹事とすばやく、私を捨てるように去っていった。
テーピングをしてもらい、今度は片山さんと逢沢幹事の娘さんと3人の道中が始まる。このときの話題は、小山さんは0.1トンだという話で盛り上がりながら歩いた。100キロ歩行はやはり小山さんの体重(100キロ)で決まったのではとの疑惑もでた程でした。(小山さん、ごめんなさい)
その後、逢沢さんの娘さんは車に乗っていったため(小学生なのに本当によく頑張っていた。)、片山さんと二人の旅が始まる。この後リタイア撤収されるまで、片山さんと歩くことになる。自分が、まさかこの後片山さんにペースをあわせてもらうことになるとは、この時点では知るよしもなく自称スポーツマン健在であった。
「夢ぞの」につき、昼ご飯を食べているやないさんと洲崎君に再会、「よし一緒に歩こう、おにぎり買ってくるのでまって下さい」とやないさんに伝えたが、やないさんは私がお店に入ると直ぐに洲崎君と出発。またしても捨てるように逃げていった。
このとき、森脇さんから電話が入り「森脇です」と私が電話取る。(この日一日、森脇さんのものまねで電話対応を行うことになる。)40キロ地点で合流しましょうと元気に伝え電話を切る。このとき、足はつりそうだが自分自身元気で、本当にそう思っていた。
再度出発、しかし、暑さも厳しく足も結構疲れてきた。しかし、まだまだ元気であったが足が痛くなってきていることに気がつく。
20キロのチェックポイント、25キロ地点のショッピングセンターまでは、暑い中ただ歩くだけ、足も痛くなり疲れがやや出てきた。25キロ地点でサポーターの北川さん達が迎えてくれる。なんかすごく癒された感じでほっとする。しかし、自分自身がかなり疲れていることにこのときはじめて気づく。また、今まで全く後ろにいると思った藤原さんがなんと目で確認できる位置まで迫ってきていた。「すごいなあ藤原さん!」の一言でした。このままでは最後尾になってしまうので、追いつかれないよう25キロ地点を出発。
(25キロ)
このころから、歩道の凸凹を歩くのが、かなりつらくなってきた。25キロを少しすぎたところで、片山さんと私は一平ちゃんにマッサージをお願いし、金魚くらいの大きさに豆がなっていることにこの地点で気づきました。
ここで、藤原さんが葉っぱを口にくわえて登場し、びっくり!まさに野生人藤原さんの登場でした。葉っぱ(葉っぱというより草でしたが)をくわえた藤原さんが私にも草を食べるように進めてきましたが、断りました。三日後、藤原さんにも伝えましたがこのときの藤原さんはかなり怖かった!
はじめて会った一平ちゃんに疲れた足をマッサージしてもらい感謝感激で、再出発。この後少しして右足に激痛がはしる。右足を地面につけると、足が折れているのではないかと思われるような痛みでした。これって疲労骨折?と思ったほどでした。
スピードがかなり落ちて時速1キロから2キロくらいになってきました。自分では一生懸命歩いているのでそんなに遅くなっているとは感じなかった。このままでは歩けない、どうしようかと思案した結果、杖を探すことにし、飯井交差点のすこし手前で杖を発見、ようやく時速3キロ程度になってきた。このとき片山さんに「宇野さんペースが少し速くなりましたよ」と聞いたとき。自称スポーツマンである私は、今まで片山さんがペースをあわせてくれていたこと、自分がぼろぼろでどうしよう無い状態になっていることに気づきました。
小倉さんからこの頃に電話があり、かなり寂しそうに「一人で歩いている、寂しい、相手して」と、電話がありました。このときの会話は、
宇野 「森脇です」
小倉 「男前です」
宇野 「元気ですか」
小倉 「寂しいんじゃうーやん、一人で歩くとこんなに寂しいとは!」
といった内容でした。森脇さん、やないさん、林さん、藤原さんとも電話で励まし合いました。(全て森脇さんの物まねで電話応対しました。「森脇です!」)
飯井交差点を過ぎ、坂道を上っているとどんどん辛くなり、右足の激痛はどうしようもなくなってきた。下りでは気を失いそうになるほど右足がきつかったです。
このとき、私と片山さんが歩いている姿は、おじいさんとおばあさんでした(片山さんごめんなさい)。二人とも杖をつき、時速1キロから2キロ、つらかった・・・・
この後、藤原さんに追い越され、最後尾をこれからずっと歩くことになる。
次は、備前の体育館までトイレがないため(いつつけるか全く見当がつかないので)ガソリンスタンド(トイレがある公園横)で、トイレ休憩。このときスタンドのかたにかなり励まされる。このとき二本持っていた杖のうち一つを山本さんに預け(この後この杖を宮瀬君に瀬戸駅前で渡すことになる)一本の長い杖で再びスタート。備前の体育館までの山越えに突入しました。ここからは、這々の体で歩いていくことになる。
また、この道は歩道が5センチくらいのところが多く、歩いている人にとっては非常に危険な道でした。
山越え途中、サポーターの方に遭遇、声をかけられると非常に勇気づけられ、頑張って歩いていきました。西原幹事が山の中腹付近で登場し、もう車に乗ったらどうかと進められる。しかし二人とも断りました。このときの西原幹事の優しさは二人とも忘れられない暖かなものでした。このとき、このペースと、この足の状態では、絶対100キロ地点までは行けないことを認識し、歩いている人たちの志気を下げないよう、只歩くことだけをと奮起しました。
今思えば、二人が歩いている姿は悲惨で、車でとおる一般のかたが、通りすがりになんだろうこの二人は、という目で見て通り、心配になってかどうかは不明だが、再びUターンしてくる車もありました。

西原幹事に励まされ、只ひたすら歩き続けました、おじいさんとおばあさんの旅です。この後の備前体育館までの道のりは本当に苦しかった。道は真っ暗になり、寒くなり。時速1キロでているのかどうか、サポーターの方にはもう忘れられたのかもしれないと思ったほどでした。備前体育館に着く最後の1キロ本当に苦しかったです。
体育館を前にし、真っ暗なため何も見えず、体育館正門の100b手前で休憩をしようと思ったところ、正門付近で誰かが我々を呼んでいました。久しぶりに人に会うのでうれしくなってスピードを速めて(あまり変わりませんが)正門につくと、暗いなかに二期生の大西さんがなんと、何時間僕たちを待ち続けたのだろうかと思うくらい一人でただ僕たちのためだけに待ってくれていました。うれしかった!大西さんはただひたすら私たちに気を遣ってくださり。感謝・感謝でした。(午後8時)
山本さんも帰ってきて、励まされ再びスタート。
ここから、出発するのにものすごい精神力が必要でした。このときは本当につらかった。
ここからは、マイペースで、おじいちゃんとおばあちゃんがゆっくりとゆっくりと歩いていく旅でした。
午後9時25分頃森脇さんから、私たちが最後尾で頑張っていることについての励ましの電話がありました、私も森脇さんに明るく対応しましたが、距離があまりに離れているため直ぐ追いつきますからとは言えなかったのを記憶しています。
その直後、三台の車に囲まれ撤収・・・・・ 私と片山さんの100キロ歩行は終わりました。・・・・・・・・・・(45キロ地点午後9時30分)
片山さん本当にありがとうございました。・・・・・・
小学校から高校までスポーツマンであり、32歳になった今もスポーツマンであると信じてみんなに言ってきた私は、自称スポーツマンであることをこのとき心の底から認識しました。
車にのると、渡辺君と小田幹事が乗っていました。小田幹事は以外と元気でびっくりしました。渡辺君はかなり疲れているのが伺えました。その後また森脇さんから電話があり。宇野の分まで歩くからと励ましの電話でした。森脇さんは本当にみんなに気を遣っており、このとき、わかりました森脇さんだいすきです。かっこいいです。と本当に思った次第です。(私の分まで歩くということは、森脇さんは私の残りの距離55キロも歩いてくれるのかな?と少し期待した宇野でした。)
車中では、私はしゃべりっぱなしでした。しかし、内容は全く記憶にありません。岡山に着く頃しゃべりっぱなしだった私は、運転手さんとは面識がないことに気付き「すみません。今まで、これだけしゃべり続けましたが、はじめてお目にかかりますよね?お名前は?」と、尋ねました。「永野です」二期生の永野さんでした。永野さん本当にありがとうございました。感謝・感謝です
永野さんに、シンフォニーホール前のタクシー乗り場に降ろしてもらいタクシーに乗り込みました。タクシーに乗るのに本当に苦労しました。
ここで、気になることが発生。あれ?これは帰ったら寝てしまい起きることは出来ない。今頑張って歩いている同志をゴールで迎えることが出来ない。
片山さんに、ゴールで迎えるために応援にこの後行きますか?と尋ねると、当然行きますよと返事が返ってきました。同じ思いだったようです。
<サポーターに協力>
よし、自分の100キロ歩行は終わった。後はみんなの100キロ歩行を応援しようと決意し家へ!
タクシーを降り、家に入り、お風呂に入るまでどんなに苦労しただろうか?靴を一つ脱ぐのに、靴下一つ脱ぐのに、全て思うようにいきませんでした。
1時間30分後片山さんと車に乗り、瀬戸へ向かいました。
瀬戸駅と万富駅の間で森脇さんをみかけたとき、声をかけることも出来ず、車を素通りするしかなかったことをおぼえています。
森脇さんが歩いている姿を見ると胸が熱くなりなんともいえない気持ちになりました。この瞬間から、今まで疲れ切った体、眠たかった体が再び覚めました。それくらい森脇さんがかっこよかったです。(なんか今、感想を書いているうちに、森脇さんのかっこいい伝説を書いている気になってきたなあやめようかな!)
それから、宮瀬君、そして、林さんと応援に行きました。二人とも、最悪の状態で、治療を受けている最中でした。林さんは、僕が頑張れよ!と声をかけたが誰が応援しているかわかってない様子でした。これは、杖がいると実感し、(自分は杖がないと歩けなかったことを思い出し)、山本さんの車に杖を一本載せていることに気づきました。それから、やないさんと、洲崎君が一緒に歩いているところへ、そして小寺さんまで、小寺さんはかなり遠くにいましたが元気そうに歩いていました。
小寺さんの近くで待機していた山本さんから杖を預かり、林さんのもとへ!
道中もう一本杖を拾い、林さんを捜していると民家の外でメールをうっている少年?が、あれ今の人?と片山さんが気づきましたが、私は多分そのへんの子供が外で彼女にメールでもしていると考え先へ進みました。すると、小山さんから林君がダウンしたので急行してくれとの電話があり、林さんへ電話しました。「宇野さん駄目でした。」と林さんが、「何処にいるの?」と尋ねると、先ほど民家でメールを打っていたあたりでした。携帯電話を切ってみるとメール着信があり。林さんから「もうダメ!ひざが済んでる」というメールでした。あっ、あのときメール打っていた少年?は林さんか!
そんなやりとりを林さんとしていると、洲崎君とやないさんがサンクスで休憩中でした。そのときの洲崎君の顔は武士のような顔つきになっていました。
二人に声をかけ、直ぐにはやしさんのところへ向かい収容。
林さんどうする?私たちは最期までみとどけようと思うのですが?あっ僕もそうします。林さんもやっぱり同じ気持ちのようでした。
全ての歩いている人のことを考えると。といっても森脇さん、宮瀬君、やないさん、洲崎君、小寺君の5人。なんか胸が痛いなんともいえない気持ちになりました。
先頭の森脇さんまで三人で応援に行き宮瀬君に杖をわたし、三人でコンビニへ、このときの三人の、コンビニでの不自然なこと。三人ともまともに歩けず。ふらふら・ふらふら・・・と。
いよいよクライマックスへ
後楽園に森脇さんが近づいてきました。森脇さんが高島駅を通過しているとの情報により森脇さんの所へ向かいました。このときの森脇さんがまた、かっこよかった!足の痛みに耐え一歩一歩歩いている森脇さんを見て小泉首相なら、「森脇君、感動した!」というでしょう。
旭川の土手にあがってきた森脇さん、これもまたかっこよかったです。ここでもう一度森脇さんのかっこいいことを、うんざりするが書かないといけません。
何度か、森脇さんの歩いているところへ、応援に行きました。その都度森脇さんは、宮瀬は大丈夫か?やない・洲崎は?小寺は?みんな完歩できるのか?そればっかり聞き、自分のことは一切言いません、それもいつも笑顔で、ここでも森脇さんは笑顔で手を振り、宮瀬は大丈夫か?他のみんなは?とそればかり。わかりました森脇さんかっこいいです。とこのときも納得させられました。このとき林は、帽子を深々とかぶり泣いていたのを私は見逃しませんでした。そして、ゴール地点の後楽園へ!
後楽園に着くと、西原幹事、斉藤さんが来ていました。みんな心配で駆けつけてくれたのです。
ゴールへは森脇さんの奥さんが迎えに来ていました。昨晩はやはり寝られなかったそうです。
ゴールは、みんな素晴らしい顔!このゴールの感動は、我々リタイヤしたものでも本当に感動でした。森脇さん、洲崎君、やないさん、宮瀬君、そして24時間歩き続けた小寺君、みんないい顔していました。やないさんはゴール後、遅れてきた奥さんと漫才をしているし!洲崎君はゴールをしてもまだ走れるほど元気だし、小寺君は、歩く前と全く同じ雰囲気で、本当に歩いたの?宮瀬君は顔が日焼けして真っ赤だし、(宮瀬君はうちにもう一晩泊まり、お風呂で寝るし、トイレにいくのに30分と大変でした。)森脇さんはあいかわらずクールでかっこよく決めていました。みんな本当にお疲れさまでした。
最後まで、みんなに気遣いを忘れず、完歩したかっこいい森脇さん。
最後は、走っているのかと思うくらいのスピードで歩いた洲崎君。
マイペースで、僕をいつも置き去りにしたやないさん。
最後は自分の限界を超え走った宮瀬君。
本当に、完歩おめでとうございます。また歩きましょう!
100キロ歩行万歳!感動を本当にありがとうございました。
一緒に歩いた仲間、サポーターをしてくれた仲間、応援そして協力して下さった幹事の方々、関係して下さった皆々様、本当にありがとうございました。
もう一つ忘れていました、こんなばかな企画を言い出した小山さん、一生うらみますが、ありがとうございました。
「秋には、また100キロに挑戦!今度は必ず完歩する。」を決意し、この100キロ歩行日記を終わりたいと思います。
以上100キロ歩行日記 平成15年5月12日 完
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