2003年 100km Walk

 
◆小倉 弘行(岡山政経塾 一期生)

100キロ歩行の感想

 はじめに

 私はこの企画に対し大きな考え違いと様々な罠があったことに気づいたのは翌々日の5月5日でした。

 まず大きな考え違いはこの企画は「100キロ歩行」という企画でありながらその目的は、100キロを歩くだけではなかったという点であります。また、もう一つの考え違いは100キロ歩くのがこのように困難なことだったということであります。この考え違いが60キロでリタイヤし、完歩出来なかった原因であったように思います。改めて自分の考えの甘さを痛感しました。



経過報告

 当日朝から遅刻をしました。実は前日からどのような服装で歩こうか、どの程度の用意が必要かを考えて朝まで迷った結果、遅刻してしまい出鼻をくじかれていました。

 午前8時いよいよ後楽園出発、後楽園出口から森脇氏、渡辺氏、吉田氏、小倉の四人で先頭集団を形成し、時速6キロ弱のペースで飛び出した。円山の5キロ地点コンビニまで約50分のペースでした。午前9時50分10キロ地点の沖田神社まで景色を楽しみながら心身ともに快調に歩いていました。後続がかなり離れ内心「後続のペースでは100キロまで歩けることは出来ないのではないか」と心配していました。その後、15キロ地点セブンイレブン通過、20キロ地点大富交差点までは順調に歩いていましたが、選挙区の岡山市を抜け出ると途端に、暑さでバテ気味になりペースがきつく3人から少しずつ遅れ出しました。この時は「ここで遅れるともう追いつけない=100キロは無理だ」と思っていたので、何とか追いついていくことばかり考え必死の思いで追いかけました。

 25キロ地点のコンビニで何とか追いつき休憩した後、四人でまた再出発しかし、やはりペースがあがらず「構わず行って下さい。」の一言で森脇氏、吉田氏は快調に去っていきました。その時、渡辺氏も私とともに遅れだしバラバラとなって単独歩行が始まりました。それと同時に右膝が痛くなり、スーパーサブ整体師の一平氏に手厚いマッサージとテーピングをしてもらいました。これからが苦しみの始まりでした。あつい日差し、痛い右膝、そしてあがらぬペースと孤独感でした。

 14時30分、30キロ地点をなんとかクリア、サポーターから「小倉君かなりよれよれじゃな」と声をかけられるぐらいでした。この時点では参加者中一番ばてている為、リタイヤ候補一番手でした。そこから40キロまで3時間かけてゆっくり休憩をとりながら歩きました。この時最初とは考え方を変えて昼は暑くてペースがあがらないので「昼はゆっくり歩いて夜涼しくなってからペースをあげよう」等と戯言を考えていました。しかし、この10キロはかなり厳しい登りと下りの坂で全く前に進めない状態、33キロ付近で柳井氏、洲崎氏コンビにあっさりと抜かれ、併走することなくまた単独歩行が続きました。
さらに膝も痛くなり「もう限界か」と何度もリタイアを考えました。この時、夕刻になり涼しくなってきたことと後続の宇野氏、森脇氏と電話をして元気な声を聞いたら不思議なことにまた足取りが軽くなり40キロ地点の備前体育館に到着しました。ここで、小田幹事、小寺氏、渡辺氏、と合流四人でスタート。早々に渡辺氏が足の故障で脱落。

 小田幹事と政治談義をしながら小寺氏とともに50キロ折り返し地点の穂波橋に8時40分に到着。途中のだらだら坂でまたもやペースダウン離されかけたが二人が待ってくれたので何とかついていけました。この時点ではとにかく「折り返し地点と閑谷学校までは行かなければならない」という目標に切り替え、100キロ完歩はもう無理だろうとあきらめていました。最初からペースの事ばかり気にしてこのペースだと100キロは無理だと諦めてしまい気持ちが切れていました。身近な目標へ変更することに勝手に目的を変えてしまったことにより罠にはまりました。穂波橋で小田幹事が翌日の公務の為リタイヤ。昼は喫茶店に入り夜は中華料理屋に入りしっかりとした食事をとるマイペースぶりを発揮した小田幹事は最後に「10時には風呂に入って寝よう」という羨ましいお言葉を残して去っていきました。私は若干恨めしい気持ちで出発しました。

 ここからなだらかな上り坂を5キロ、2号線から閑谷学校までさらに上り坂を5キロ。小寺氏ととりとめもない話をしながら午前0時に到着以外と早く歩けることに驚きながら変な歩き方まで発見して当初の目標を達成。後続のリタイヤ状況を聞きながらそろそろ限界を感じていました。そこから、吉永駅のローソンまでの下り坂が私の腰と膝に決定的なダメージを与えていました。歩幅25センチずつしか進めず小寺氏と「とにかくローソンまで行ってから考えよう」ということになり時速2キロ弱で進行、二人は足のダメージの為、時折「はうっ」「あーっ」とか奇声を発しながら何とかローソンに到着。ここで私は「もうリタイヤしてもよいだろう、もうこれ以上歩いてもどうせ100キロ歩けないし、腰もそろそろ限界だし」と勝手に決めつけリタイヤ宣言をしました。この妙な諦め感がもう一つの罠でした。このあとなんとともに8時間歩いた同志小寺氏は再スタートをしました。私のカロリーメイトを受け取りながら「小倉さんの意志は受け継ぐから」といいながら歩き出しました。その姿を今でも忘れられません。しかし、なぜな不思議な感覚で達成感もなく、燃え尽き感もないまま車で送られていました。そして、あれだけ元気だった能登氏と吉田氏がリタイヤしたと聞き、自分もリタイヤしたことが正当化したように思いました。ところが自分を抜いていった柳井氏、洲崎氏がまだ余力を残ししたたかに目標を目指している姿、リタイヤした人たちのボロボロの姿を見、話を聞くにつけ何か胸騒ぎがしました。さらに、帰る途中、ボロボロになりながら爽やかに歩く林氏、一平氏にマッサージを受ける宮瀬氏の姿、何と言っても力強く爽やかに先頭を歩き「休んだら歩けんから」といってにこにこ笑いながら歩き続ける森脇氏の歩きを見たときに自分の不甲斐なさ、精神力のなさを痛感しました。そして、みんなのゴールを迎える余力もないまま家で休息をとりました。翌昼、目を覚まし、マッサージをしてもらいながらかなりひどい身体のダメージを感じていました。

 結果が気になり電話で聞いた時、愕然としました。森脇氏、洲崎氏、柳井氏、宮瀬氏のゴール、それとともに何と小寺氏が24時間完歩して、古都まで歩いていた事に対し、すごいなという気持ちと自分が歩ききれなかった無念さが込み上げてきました。小寺氏は私がリタイヤした時点でかなりダメージがあったような見え、もうリタイヤ寸前かと思っていました。あの時、自分ももう一歩踏み出していれば、もしかしたら一緒に歩けていたかもという気持ちが湧き出し、自分の不甲斐なさを改めて実感しました。


 
最後に

 私は100キロ歩行を終えて非常にいい経験をさせてもらえたと思います。それと、サポーターの方々の暖かいサポート、応援がどんなに心強かった事か改めて感謝をいたします。この企画はやってよかったと思うと共に、今後も続けていってもらいたいと思います。

  100キロ歩行によって気付いたこと
・ 目的はやっぱり100キロという厳しい目標を達成する達成感と自信
・ 100キロ歩けなくても自分の限界を超え最善を尽くさなければならない事
・ 一つの目標に対し、参加者、サポーターがともに向かっていく一体感
・ 歩くことが出来なかったときの屈辱感
・ 一生懸命やる姿が他人を感動させること
いずれにしても自分の殻を一つ破って成長したような気がします。