2004年 100km Walk

 
◆善木 誠(岡山政経塾 二期生)

「100km歩行を終えて」


● 前日迄 
 9月頃から、100km歩行を継起に、体力回復と思いトレーニング・ジムに通い始め、また、政経塾例会の後、岡山中心部から家迄、歩くなどを繰り返し、準備をしてきましたが、前日、友人と岡山駅前で酒を飲み、酔った勢いで、JR妹尾駅から家まで、2キロ程度を歩いて帰ると、右足に軽い痛みが有り、小さいマメが出来てしまい、100キロ歩行を明日に控え「後悔先にたたづ」でした。

● スタート 〜 20キロ 迄
 東山を越えるまでは快調で2期生達数人と軽口を叩きながら歩いていましたが、東山の坂を降りた頃に、右足の指の付根辺りが非常に熱くなり、1人列から外れて休憩して足を見てみると、右足の指の付根が赤くなっていて、前日のマメが大きくなって熱を帯びていました。
 エアーサロンパスで冷やし、テーピングを張り替えて、スタートしましたが、痛を感じだし、歩くたびに痛くなってきましたが、まだ、耐えられる程度で4キロペースで進んでいました。
 永案橋の手前で逢沢幹事、3期生の布野・野田・山本氏達に出会いしばらく一緒に歩くも、逢沢幹事が頑張って居られるのに、刺激されペースを上げましたが、西大寺クリンセンターの手前で、2期生の村松・たわ・金川・武久4氏に声を掛けられ、休憩してしまうと、一段と足の痛みが激しく左足も痛くなりペースダウン、スローペースで20キロに辿り着くことが出来リタイアも頭に掠めましたが、まだ、昼間のためと、気を取り直して少しの休憩でスタート。

● 20キロ 〜 40キロ迄
 20キロ過ぎると足の痛みとの戦い、2〜3キロ程度進むと立ち止まり、エアーサロンパスをマメに吹き付け、また、進むのくり返しで30キロCPまで到着すると2期生山田氏、逢沢幹事がダウンされていて、仲間に入りたい衝動を押さえ、足の状態は最悪でしたが、目標を40キロに設定して、30キロCPをスタートしました。
 上り下りの坂が多くなり、右足をかばううちに、腰にも痛みが出だしてダウン寸前、途中の坂で2期生永野氏が動けなくなっているのに出会い、このまま一緒にリタイアの思いが頭を過りましたが、誘惑を振りきりスタート、日が暮れて来た頃、西原幹事に声を掛けられ、歩いている最後の1人と知り、気合を入れ直し、西原幹事の伴奏を受けながら、40キロCP(備前体育館)クリアー

● 40キロ 〜 45キロ(リタイア)
 40キロCPでリタイアのつもりでしたが、西原幹事のまだ、歩けるとの激励で45キロ(松本橋)を目指しスタート、坂を下った所で、2期生村松氏と合流。
 2人で45キロCP(松本橋)でリタイア、足の痛みから開放される安堵感と完走できなかった無念感が混じった複雑な心境でした。

● 100キロ歩行後
 家に帰ると、11時過ぎ、子供に開口一番、もう帰ってきたのと言われ、完走してくると大言を吐いて家を出てきただけに、親父の面目丸つぶれ、翌朝、右足の裏と太ももの筋肉痛が有りましたが動くことが出来たので、完走者のゴールを見に後楽園へ。
 完走者と話したり、1期生片山さんのゴールを見ていると、完走できなかった悔しさが湧いてきました、その後の体の状態は右足の裏が痛いだけでしたので、足の裏の強化すれば、もっと歩けそうな気がします。来年こそは、完走をしたいと決意しました。

 最後に、サポーターの皆さん、大変お世話になりました、サポーターの皆様の応援で
45キロ迄でしたが、歩くことが出来ました感謝しています。