2004年 100km Walk
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◆宇野 元浩(岡山政経塾 一期生)
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「100キロ歩行 感想文」
●はじめに
昨年の100キロ歩行途中リタイア以来、100キロ完歩した森脇さん、柳井さんに1年間いじめられました。「100キロ歩けなかった宇野」でした。
今年はその悔しさをバネに「絶対完歩してやる」を思いに、私の100キロ歩行のテーマは、
1.一緒に練習した、1期生:林、3期生:秋山、恒本、私を入れて4人が完歩すること。
2.100キロ歩行中「痛い」という言葉を一切言わない。
3.「笑顔とやる気」
4.朝7時までにゴールする。(歩く時間を少なくすることで足の痛みを出来るだけ少ない時間におさえる作戦を考えました)
この4つでした。
こんなテーマで100キロに臨みました。
●当日まで
100キロ歩行のため、練習しないといけない、また昨年同様リタイヤ(昨年43キロ地点リタイア)することになる。という思いが今年初めより頭を巡り、その思いが心にありながら、なかなか仕事の都合を理由に練習始動できませんでした。3月下旬より仕事も一段落したため、多少の練習をスタート、とはいっても飲み会の後歩いて帰ることや、日常の生活の中で歩くことを増やした程度でした。
本格的に練習を始めたのは4月12日です。4月10日の3期生入塾式後の懇親会、小山さんと森脇さんに「宇野は、今のままでは100キロ歩けない。」とはっきり言われ。「クッソ〜」と思ったが、冷静に考えてみると今のままの中途半端な練習では本当に歩けない。ということを実感しましました。
まず、今の自分の生活習慣を変えないと駄目だということに気づき、
1.朝、1時間以上歩く。朝歩けなければ夜。
2.自転車通勤に切り替える(往復40分)。
3.当日までに200キロ歩く。
の目標を立てました。この目標を達成させるためには、生活習慣を変えなければ絶対できない。この目標を自分の中で出来る範囲でこつこつと繰り返して行こうと決意しました。12日の朝から5時前に起床し、実行に移しました。4月は仕事が忙しかったためお酒を飲むことが少なく、睡眠時間は少なくてもお酒を飲まなければ、次の日の朝は何とか起きることが出来ました。
練習で一番よかったことは、昨年完歩した1期生の「柳井先生」の助言でした。まず、足の筋肉を、それも歩くための筋肉、その筋肉をつけるためには、「1時間1万歩を」というものでした。私は、この練習を徹底してやりました。朝、県営グラウンドで1時間8キロ歩くという練習でした。自分の中での通常ペースを1時間6キロに設定し、1時間6キロのペースでの練習と、1時間8キロペースの練習とを平行して行いました。この練習は毎日練習しているにもかかわらず、毎日筋肉痛が続きました。
練習を続けている中、親友で、後輩の3期生秋山君から18日の日曜日に歩きましょうとの誘いがありました。よしそれなら、吉備路を歩こうという提案をし、同じ3期生の恒本君、そして同期生の林さんと4人で歩こう、どうせみんな練習していないだろうから連れて行こう。ということになりました。案の定二人はあまり練習しておらず。岡山駅から吉備路を通っての清音駅までの旅は多少きつかったようで、練習をしないといけないという気持ちになったようです。
当日までの練習はすべて柳井先生に逐次相談し、実行しました。毎日電話で相談しました。柳井先生本当にありがとうございました。
100キロ前日のことを書きますが、昨年は100キロの前日、東京から私の家に泊まりにきた1期生の宮瀬君と洲崎君と3人で3時までお酒を飲んでいました。今年は、きちんと夜8時過ぎに寝て、次の日5時52分起床しました。「心構えが大切」というのが昨年の教訓でした。(緊張して何度も目が覚めましたが)
●当日朝出発まで
当日朝6時前に起床し、本日の作戦を練りました。ある程度、29日の下見のとき、森脇さんから知恵をいただいていたので、それを参考にして作っていましたが。歩きながら確認できるよう小さいノートへまとめました。
12キロ地点サークルKまで、時速6キロペース。その後は5キロ〜5.5キロペースで、休憩ポイントは12キロサークルK、26キロサークルK、45.5キロサークルK、55キロローソン、63キロローソン、75キロセブンイレブン。靴下交換は63キロローソンまで。という計画でした。(実際はもっとこまめにしていますが)
本日の100キロ歩行のテーマをまとめ、朝食にゼリーとおにぎり1つを食べ、携行品の確認をし、いよいよ家を出発しました。
現地に8時半過ぎに着くと、結構皆さん集まっていました。
感動的だったのは、森脇さんから、「宇野、この夜行タスキは昨年、わしが100キロ歩いたときのものだ、これをつけて100キロ歩けよ」とタスキを手渡されたことです。
ますます緊張感が高ぶり、スタートを迎えることになりました。
●出発
はじめの12キロ、サークルKまで予定通り(信号に引っかかり多少ロスもありましたが)恒本君と6キロペースで出発できました。このサークルKで、林さんが休憩もせず通り過ぎていったので、恒本君が宇野さん林さんを追いかけますといって私を置き去りにして行ってしまいました。
私は永野君と、次のセブンイレブンまで沿道の方々に100キロ歩いていますと説明したりしながら歩きました。永野君がセブンイレブンに休憩に入ったので、後は100メートル先の林さんと恒本君の背中をみながらずっと、26キロ地点のサークルKまで歩きました。ここで3期生の湊さんに追いつき、一緒にサークルKによりました。しかし前を行く二人は休憩もせず、まっしぐらに前へ向かっていきました。
26キロ地点のサークルKで、おにぎり1つと、ゼリーでエネルギー補給し、リュックにさしている、お茶とアクエリアスを新しく交換し、湊さんに遅れること2分後スタートしました。
この後、すぐに昨年足が痛くなり歩くスピードがかなり落ちたポイントを通過し、湊さんの前に出ました。それから、前をいく二人を追いかけました。26キロ地点の休憩から次の備前のサ−クルKまで20キロ程あるので、16時過ぎにそのほぼ中間地点に、小山さんと森脇さんが車で待っている場所があったので、エネルギー補給と靴下交換を実施。このころから足に違和感を感じ始めていました。足の裏のまめと足全体の痛みです。
備前体育館まで昨年は夜暗い中を歩いていたのに、2時間遅いスタートにもかかわらず、明るいうちに歩いている自分が信じられないような気がしました。
備前体育館につくと、前の二人は約10分前に通過ということを柳井さんに確認しました。ここでは当初の予定通り休憩せず二人を追いかけました。
備前の体育館でおもしろかったのは、ここでの柳井さんです。私が体育館を通り過ぎていくとき、「みつばち」の姿をして書類やその他のものを整理していました。そのときのやないさんの格好がすごく素敵?でした。
ここで時間をよく確認すると、当初の私の計画では備前体育館は18時通過予定だったのですが16時58分通過と、約1時間速いペースで到着していました。少しペースを落とそうかとも考えたのですが、前の二人が前を突き進むので私も遅れまいと頑張りました。
昨年リタイアしたところを通過し、昨年リタイアし、岡山まで乗せて帰ってくれた永野君に電話で今通過したことを報告し、前へ進みました。
昨年一緒に歩いた、片山さん、そして電話で励まし合った小倉さん、林さん、恒本君、秋山君(秋山君は私が何度電話しても僕に追いつくまでは電話にでませんと言っている。と柳井さんが伝えてくれました。)に、所々で電話やメールで励ましながら前へ進みました。
●備前から万富サンクスまで
備前の45キロ地点で山本さんに励まされ、備前サークルKへ、このとき前を行く恒本君の姿をようやくとらえることが出来ましたが、無理をせず予定通り休憩しました。ここで恒本君の奥さんが応援に駆けつけてくれており、励まされスタートしました。
ここから50キロ地点の穂浪橋まで本当に長かったのを覚えています。
この辺から、足にかなりの苦痛を覚え始めました。しかし本日のテーマに沿って「痛い」という言葉は使わないよう心がけました。
穂浪橋をすぎて少し行くと暗くなり始めたので、森脇さんからいただいた夜行タスキを、昨年の100キロの伝承を、今年必ず完歩するという決意を込め肩にかけました。
閑谷のローソンでまた予定通り休憩をしていると、秋山君と林さんの奥さんが二人でローソンに寄って励ましてくれました。
ローソンを出発し、閑谷学校に向かって1歩1歩閑谷の山を、前を行く二人を追って、かなりのスピードで歩きました。歩いているのに(かなり速いスピードでしたが)、心臓がばくばく音を立て、息は、ハーハーと、本当にタフなコースでした。
閑谷の中腹で、林さんより、宇野さん僕は少しペースダウンです。との電話が入りました。閑谷学校に着くと、奥さんに介抱されている林さんを発見しました。
林さんに、「最後まで必ず歩こう。フィニッシュは恒本、林、宇野で1番から3番まで続こう!」と励まし。私は林さんをおいて前へと恒本君を追いかけました。
吉永ローソンで約20分の差が恒本君とあることを確認し、ここで休憩をとりました。
森脇さんに足が痛いだろうと声をかけられましたが、大丈夫です。と本日のテーマ通りの返事をしました。心の中では痛いです〜。と言いたかったですが、我慢しました。
休憩が終わろうとしている頃、あの林さんが汗だくになって追いついてきて、「宇野さん頑張りましょう。」と、我々に遅れてはと思い、閑谷の坂を所々走りながら降りてきたようでした。
「よし、お互い必ず完歩する」の決意を込め改めて林さんと握手し、私はスタートしました。
ここからは、ペースダウンが予想されるので、恒本君に遅れること30分で吉永ローソンを出発、7キロ先の和気橋までいくらか差を詰めようと力を振り絞って歩きました。
しかし、和気橋まで自分自身はかなり無理をして頑張ったのですが、逆に差がついてしまい、これは追いつくことは無理だろうと考え、そのときから、自分のペースで歩こうと方針を変えました。
このあたりから、かなり歩くことが厳しくなってきました。吉永のローソンからはもう足の痛みで、止まることが出来ない状況で、止まるともう歩けないのでは思えるようになってきました。75キロ地点のセブンイレブンの休憩もやめて、前へ進みました。
足の痛みのため、この後止まることなく歩くことになります。
熊山の松木交差点で柳井さんの奥さんが応援に駆けつけてくれていました。応援って本当に励まされるものだなと本当に感動しました。松木交差点を過ぎたところで、西原幹事が写真を撮ってくれました。
どうでもよいことですが、このとき本日3度目の禁句「痛い」を言ってしまいました。
1度目は歩いているときに、つい「痛っ」と、2度目は恒本君と話をしているときに何気なく「痛い」と、それと後でもう1度、足のまめで石ころを踏んだときつい「痛っ」という声、というよりうめき声が出ました。計4回100キロ中に「痛い」を言ってしまいました。
万富のサンクスで森脇さんとたまちゃんが待っていました。いつも二人がチェックポイントで待ってくれていました。本当にうれしかったです。
●最後の20キロ
万富を過ぎ、瀬戸駅へ近づいてくると、お茶とポカリスエットが切れかけていることに気づき森脇さんに瀬戸駅で補給は可能でしょうかと電話をしました。(このころはコンビニに寄る力と気力がなく、寄ったらもう歩けなくなるという恐怖がありました)
しかし、ちょうどこのころ、午前1:00前ですが、後方ではリタイア者のフォロー等混乱状態で行けないとの返事が森脇さんからありました。
これは困ったなあ、コンビニに行く気力がなく、しかし、汗はかなりかいているので、水分補給も必要、と悩んでいると、自動販売機を瀬戸駅過ぎに発見しました。よし自動販売機で買おうと、自動販売機によると、一度足を止めたことによりまた次の歩き出す瞬間、足の痛いこと痛いこと。
平島手前で林さんから電話がありました。「最後まで頑張ろう、時間はまだ充分ある。あとは、もうただ前へ向かって歩くだけ。こつこつ歩けば必ずゴールできる」と、励まし合い電話を切りました。
平島までなんとかたどり着き、古都宿の交差点まで・・・地図でみると3キロですが、長いこと長いこと。この間、1時間15分かかり、かなりペースが落ちていると実感しました。(実際は3キロ以上あると思います。)平島から古都宿まで本当につらい道のりでした。この苦しい区間本当にいろんな方が励ましてくれました。西原幹事が、暖かいおしぼりで顔を拭いたらと渡してくれました。これは、生き返るような気持ちよさでした。あえさんも何度も車で声をかけてくれました。
ここでもまた、柳井さんの奥さんが登場し、何かいるものはないと声をかけてくださり、お茶を頼みました。70キロを過ぎると、気力が薄れてきて、飲み物がなくなるとかなり不安になります。しかし、コンビニによる気力はこの時点ではありません。柳井さんの奥さん大変助かりました。(次の日柳井さんの奥さんが言うには、あのお茶は特別で35,000円?だったそうです。)
新幹線の筋に出たところで、恒本君から「到着しました。これから宇野さん応援に行きます」と元気よく電話がありました。
残り20キロを過ぎると、足が痛いこと全てを脳みそで感じ取ることが出来なくなります。同じリズムで歩くことで、痛みがずっと同じリズムで続き、体中がしびれているような感覚になります。気力も薄れ、言葉では表現できない状況でした。そのような状況のため、この時点で、後8キロですが、まだ絶対完歩出来るという自信は決してありませんでした。
この後、リタイアした3期生の秋山君を乗せた森脇さんが僕の後ろに車でついてくれました。秋山君が「宇野さん頑張ってよ」と一言。この言葉は力が入りました。
かなりスピードが落ちていましたが、ここからまた森脇さんと秋山君にいいところを見せないといけないと思い、ペースをあげようと奮起し、頑張りました。70キロくらいからは道の凸凹と小石が気になり、そればかりをみながら歩いています。そんななか森脇さんが後ろから車のライトで道を照らしてくれたので道路の凹凸、小石がどこにあるか、また、後ろに森脇さんの車があることにより、後ろからの車のたてになってくれたので、比較的きれいな道路の真ん中を歩くことが出来ました。本当に助かりました。(実際は森脇さんが僕を、居眠り運転で2回もひきそうになっていたことを、私は知るよしもなく感謝していました。)
高島保育園を過ぎ少し行くと、土手にあがる前に坂が、何でこんな最後にこんな坂が・・・誰だ?こんなルートを考えたのは・・・。100キロ完歩した人はみんなこんな思いでこの坂を上ったことと思います。
最後の土手を1歩1歩、歩いていきました。短いようで長い距離でした。まだ薄暗いなかこつこつと。最後の新鶴見橋の信号が赤で止まることになったらどうしようと、わけのわからないことで悩みながら歩いていましたが、なんと、ちょうど私が通りかかったとき信号が青に、うれしかった。
この最後の20キロは、最初の80キロより苛酷で本当に長い距離で、自身経験したことのない体験だったと思います。
●ゴールそして100キロを終えて
薄暗いなかのゴールでした。歩いている途中、ゴールしたら、あの後楽園の芝生に必ず寝ころぶぞ、と何度も何度も考えていました。やっとのゴールです。
ゴールの感動は・・・言葉では表現できませんが「感謝と達成感」だけははっきりしていました。
ゴールするとすぐに、緊張感がなくなり、もう歩くことが出来なくなりました。
自己の限界に挑戦。なかなか大変なものだなとつくづく感じました。
その後、林さんがゴールし、途中励まし合った言葉「最後まで必ず歩こう。フィニッシュは恒本、林、宇野で1番から3番まで続こう!」がお互い達成できて本当に感動し目に涙があふれました。
100キロを終え、思うことは、小山さんが、歩く前に何度も言っていた、これは、「100キロ歩行」であり、100キロ歩くことが前提で、100キロ歩くためにどうするか考え歩くのが「100キロ歩行」なんだ。この言葉は、本当に大切だと感じています。
100キロ歩くための「決意」そして、「準備」と「心構え」、この3つがなければ、100キロを完歩出来なかったとつくづく感じました。
本日の私の反省は、テーマに沿って
1.「痛い」を言わない。
4回言ってしまいましたが、自分自身許しています。
2.「笑顔とやる気」
最後まで続けて実行できました。
3.「7時までにゴール」
林さんと恒本君のペースに巻き込まれ、4時42分ゴールで達成。
4.「一緒に練習したみんな完歩する」
3人完歩、秋山君70キロ地点リタイア。残念ですが、リタイアは決して恥ではなく100キロ歩くためにどう考え頑張ったかが大切だと思います。来年は3期生中心の100キロ歩行です。秋山君が中心となり、みんなを引っ張って100キロ歩行に臨み、必ず完歩してくれると思っています。
今回24時間は過ぎたが、100キロ歩ききった片山さんを含め11名本当にお疲れ様でした。また、参加者の皆様本当にお疲れ様でした。
そして本当に感謝すべきは、サポーターの方々です。本当にありがとうございました。
私に昨年以来一年間、文句を、いや励まし続けてくれた、森脇さん、柳井さん本当に感謝しています。
最後に小山さん、よくもまあ岡山政経塾で100キロ歩行をやろうなんて言ってくれまして、完歩して改めて、感謝します。
最後に、100キロ歩行に関係して下さった全ての皆様本当にありがとうございました。
以上
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