2004年 100km Walk
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◆柿本 貴子(岡山政経塾 三期生)
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24時間100キロ歩行 2004年5月2・3日
「テーマ:挑戦」
【スタート〜】
10時 不安を抱えつつ出発。他の人に引っ張られるように早いペース。
東山の峠手前で水を購入。百間川までは近く感じられた。が、先を思うと気が滅入る。川沿いに下る間が意外に長く感じられた。
【10q地点・沖田神社〜】
チェックポイント過ぎで軽くストレッチをし、すぐに歩き始める。
百間川を渡り更に歩く。まだ周りを見る余裕ある。さすが、埋め立てられた土地だけあって山が遠く平地が広がっている。農地も整備されている。
コンビニで昼食。12時過ぎに出発。バイパス下(約15q)で新田さん・本郷さんと出会う。二人は前向きで明るく、一緒に歩いて非常に元気づけられた。前後に関係者が全く見えないのと、歩いてきた疲れが出始めていたが、永安橋上で軽くリフレッシュ。西大寺浜から邑久方面へ左折する地点で小山事務局長にお会いする。関係者に会えた事と、言葉を交わしたことでほっとする。 チェックポイント間が異常に長く感じられた。
【20q地点・大富〜】
14時過ぎ。サポーターの皆さんに笑顔で迎えられ、癒される。新田さん・本郷さんは休むことなく先に出発。バナナを頂いて栄養補給。後ろから5番目。と告げられる。軽くストレッチをする。右足、特に膝から下が重たい。
ほんの少し遅れたつもりが、二人はかなり先に見える。結局オーバーペース気味で2q以上歩かねば追いつけない。
(24q)
山本さんの待つ石碑には逢沢幹事を始め歩行者多数。名前を告げて、立ち止まらず通過。関係者の顔を見るだけでも元気が湧いてくる。
(26q)
次のチェックポイントまでは距離が短く、精神的には楽。うって変わって、その先、飯井交差点までが想像以上に長く、辛い。
飯井宿線に入ってからはコンビニなどが無く、40q地点、50q地点まではお手洗いも極端に限られるので、かなり不安。これまでかなり汗をかいて随時水分補給してきたが、この辺りから水分補給も控えめに。。。
途中、地元のスーパーでおにぎり・プチトマトを購入。
それぞれ、足の痛みを訴え始める。が、チェックポイントまで我慢する。
一瞬、迷いかけるがタイミング良く関係者の車が通りかかり軌道修正。
【30q地点・飯井〜】
17時過ぎる。たくさんの人に迎えられる。サポーター以外の地元の方にも励まされる。靴下を履き替える。消炎鎮痛剤のスプレーを足に初めてふる。軽くストレッチ。差し入れのドリンク剤を頂く。暗くなる前に久々井に抜けるべく、速やかに出発。
この10キロは、変化も乏しく、上り下りで体力も消耗。久々井湾?沿いにぐるりと歩くため、目標物が見えてから到達までにかなり歩かねばならず、日暮れも手伝って精神的にも辛い区間。(この次の10キロも同じくらい辛く同行者にかなり救われた区間でもある。)
歩く!という気持ちが萎え始め、疲労から食欲も減退。が、動き続けているからには、熱源を補給しなければ。と、歩きながらおにぎりを食べる。プチトマトはかなり好評。変化のある食べ物としても、食べ易さとしても。
途中、西原幹事が笑顔で写真を撮ってくださる。人通りの無い所で声をかけてくださるとやはり、嬉しい。
暗くなりかけてすぐに、伴走車がついてくださり、安堵。
【40q地点・備前市民体育館〜】
19時過ぎ。かなり暗くなってきた感あり。足と言うより下半身全体が疲れている。特に右足は、踝から下とふくらはぎが痛い。夜になって気温が下がる事が予想される為、体育館で汗で濡れたタンクトップを着替える。太股やふくらはぎに消炎鎮痛剤のスプレーをふりまくる。
チェックポイントへ戻りかけると、二人は既に出発したとの事。慌てて追いかける。幸いすぐに追いつけたので、再び三人で歩く。
すっかり日も落ちたので、夜光タスキをかけ、自転車用の点滅式安全ライトも付ける。街灯も少なく、歩道もある所ばかりでは無く、歩き難く疲れる。暗い為かペースがつかみ難い。徐々に右足首から下の感覚が無くなっていく。
久々井と同様、片上湾の対岸は見えるが、なかなか渡れない。
久々井から片上へやっとの事でたどり着く。気づかないうちにペースが早くなっていたのか、新田さんが不調を訴え、コンビニで別れる。
備前市民センター前・藤原雄記念館下で少しストレッチ。スプレーをふる。
市民センターからは、街灯も少なく車道自体も狭い。歩道も途中で無くなる。河本さん・片山さんと出会うようになる。この後、追いつ追われつ。
【50q地点・穂浪〜】
21時過ぎ。靴下を履き替える。ストレッチするが痛くて十分に伸ばせない。スプレーをかけると少し落ち着く。ここまでは、だいたい一定のペースで来れた。が、ペースは落ち気味。
ここからは、また暗くて歩道があったりなかったり。二号線まで微妙に上りになっている道が続く。二号線に出てからコンビニまでは少し恐い。
コンビニでストレッチ。足はかなりの痛み。ビタミン系ドリンク剤を飲む。
一度座ると動けなくなるのではないかと恐くなり、座ることができない。
閑谷学校を0時までに通過する事を目標に出発。上りの傾斜が徐々にきつくなり、足取りも重い。閑谷目前の一番きつい上りの途中で河本さん・片山さんに抜かれる。その時に荷物を伴走車に預かってもらったらとアドバイスを受ける。伴走の大森幹事にお願いし、身軽になって心機一転歩き出す。
【60q地点・閑谷学校〜】
懐中電灯が切れてしまうが、何とか登り切り、0時前に閑谷ポイントに(予想外に早く)到着。小山事務局長や他のサポーターの方に声をかけていただいて安らぐ。が、周りを見る余裕なし。ストレッチができないくらい足が痛む。限界に近いと思ったが、スプレーをふり、とにかく歩き始める。
トンネル内で本郷さんが歌を歌う。元気づけられる。遠くからでも声が聞こえるので少し恐かった。トンネルを出ると下りが続く。下りで足に負担がかかる。足の痛みで、本郷さんに遅れ始める。ここで終わりか?と自問自答。 下りなので勢いでだけでも下り切れるはずだ。と進む。12時間以上歩き続けた疲れも蓄積されている。頭をすっきりさせる為にも酸素を少しでも多く取り入れようと、深い呼吸を試みる。とにかく、息を吐ききって大きく吸い込み、吐ききるまではっはっはっはと吐く。呼吸と歩調と合わせてリズムを作って歩くこととした。意外に歩ける事が分かり、スピードがあがる。本郷さんと別れて一人になりつつ下り続ける。足の痛みは増す一方だが、下りきる。途中、関係者の方が応援してくださる。心細かっただけに嬉しさも一塩。
(63q)
コンビニの灯りに安堵。サポーターの方や歩行者もいて心強い。荷物を預けた為に一銭も持ってない事に初めて気づき焦る。西原幹事から、暖かいタオルを頂いた。こんな差し入れを思いつく方がいるなんて。と感激。ストレッチをしたり、足に消炎鎮痛スプレーをふってもらったりして少し休息。
そうこうする内、本郷さんが到着。無理をして早く歩いてきたのでは?と心配する。かなり辛そう。大森幹事に預けていた荷物を一部身につけ、ドリンク剤を飲み、河本さん・片山さんの出発に付いてコンビニを後にする。
二人はペースが速く、早々に付いて行けなくなり、先に行ってもらう。
この後、途中何人かと少しの間、併走?する時もあったが、吉井川沿いの和気までルートの大半を一人で歩くことになる。小山事務局長と三度目の遭遇。大丈夫か?と声をかけてくださる。
ただ、ひたすら70キロ地点?リバーサイド和気(2時台)を目指して前進。
人どころか、車もまばらな場所に、時間帯。心細く歩いていると、三期生の布野さん達が乗った車が近づいてきて声をかけてくださる。その頃には、足の痛みもかなりの域に。右ふくらはぎは、筋肉が硬くなりストレッチもままならない状態。バス停に掴まり、何とか足を伸ばそうとしてみる。
和気町役場の対岸と思われる辺りで、誰かと話をしようと電話をしてみるが繋がらない。サポーターの洲崎君に繋がり、話していると「見えました、もうすぐ追いつきます」と北川さんの運転で来てくれました。サポーター車がいないのか、付いて歩いてくれる事に。
【70q?地点・リバーサイド和気〜】
通過時刻をはっきり覚えていない。が目標としていた2時台通過はクリアしたとだけ記憶。山本さんが水を手渡してくださり、スプレーをふってもらって、あまり立ち止まらずに出発。
気力でなんとか、前に進む状態。足は非常に痛む。熊山のコンビニまでは比較的進んでいたようだ。熊山のコンビニでおじさん二人にどこからどこへ行くのかなど話しかけられる。井本くんや能登さんとも最後の遭遇。(この辺りが75q?)
空腹の為、おにぎりを食べる。サポーターの洲崎君の薦めで強めのドリンク剤を飲み出発。能登さんと少しだけ一緒に歩く。途中縁石に座って寝ていたり、かなり体調が悪そうだが、すぐに先に行ってしまった。
高速道路の下辺りで雨が降る。雨具は預けた荷物の中。偶然通りかかった高橋さんの車に堀内さんも乗車していて、雨具をお借りする。が、幸いすぐに止んでしまった。
【79q?地点】
コンビニにさしかかるが、道の反対側。歩いて向かう気力も無くなる。
右足の痛みは更に増し、民家の塀などに手をかけたりしながら歩く。ほんの少しのデコボコに足をとられてふらつく。この頃、5時〜6時。
キリン工場入り口方面近くのコンビニには近寄るどころか、その前を歩道のある反対側へ渡る。しばらく直線が続く。徐々に足が前に出なくなる。特に右足。体を左右に揺すって少しずつ進む状態になる。限界について考える。この時の右足の状態で、後4時間近く動かし続けるのか?止めようかと迷う。
途中サポーター車に何度か声をかけていただいた。サポーターとは別の軽トラックが接近。熊山のコンビニで出会ったおじさまの一人と思われる。「このまま真っ直ぐ行けば15キロじゃ。頑張れよぉ」と応援してくださる。もうしばらく頑張れる。
何度もリタイアしようかと迷う。弱音を吐きながらも決断できず、サポーターの洲崎君に「とりあえず、あそこまで歩いてみましょう」と「それからどうするか考えてましょう」と何度も助けられた。
6時半。連絡して迎えを呼んでもらう。7時前に森脇さんが来てくださる。
瀬戸駅がすぐ先に見えているので、待ってもらい、駅で7時、リタイア。(たぶん84q)
《その後・感想など》
リタイア後、ルートを辿り、歩き続けている仲間を応援しながらゴールへと運んで頂く。 歩くのをやめた途端、その場にへたり込みそうになる。必死でこらえて車に乗ろうとするが、足が上がらない。やっとの事で座席に座る。車に乗ってからも、本当にやめてしまって良かったのか。これが自分の限界か。と考えてしまった。足が痛くて限界だと思ったが少しでも動ける間は歩くべきではなかったか。と今も思う部分もある。一方、あれ以上歩けば、確実に今以上の深刻なダメージを受けることは明白。今回のリタイアは間違っていない。とも思う。複雑。
24時間100q歩行は、それぞれの置かれた状況や価値観も違うのだから、取り組み方も受け止め方も異なっているのは当然だが、私にとっては正に「挑戦」。幼い頃から体格のわりには(どちらかと言うと)虚弱な体質で、就学前は冬の三分の一は熱を出したり、風邪をひいたり、扁桃腺炎などに罹っている子どもであった。運動らしい運動と言えば、体質改善のために小学生の時三年程続けた水泳くらい。という自分が、いったいどこまでできるのか、自分でも興味があった。
歩行決行の10日前くらいまで、5月2日・3日に出勤せねばならないのか決まらず。しかも、職場を出るのが11時を過ぎるような状態で、歩く時間もなかなか取れませんでした。
歩き始めるまでは、不安ばかりが先に立っていたが、一旦歩き始めると、「どこまでできるか分からないが、今回の挑戦は、100q歩ききるか、24時間歩き続けるか、動けなくなった時が終わり」くらいに気持ちは固まっていた。
準備不足も多分にあるが、挑戦の結果、足を傷めてしまい日常生活にかなりの支障をきたしているのはどうか。仕事に支障をきたすような状態までは、やり過ぎでは?と判断が甘かったのではないかと考えることしきり。
反省すべき点は多く、後悔が無いと胸を張って言うことは、いまひとつ出来ない。
100q歩ききる。24時間歩き続ける。どちらも達成出来ず、リタイアという結果の100q歩行であった。が、100qに挑戦したことで感じたこと、自分なりに考えたことは、他では決して得ることができない貴重な経験となった。
最後に。
終始笑顔でサポートしてくださった皆様。本当にありがとうございました。
どんなに癒され、和み、勇気づけられたかわかりません。
一緒に歩いた皆様。頑張っている姿から元気を頂くことがました。
特に新田さん・本郷さん。お二人がいたからこそ、前へ前へ進むことができました。
そして、この場を与えてくださった岡山政経塾に感謝します。
来年も、頑張ります。
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