2004年 100km Walk

 
◆野田 映博(岡山政経塾 三期生)

「100km歩行」


1.100キロを「振り返る」

 5月15日土曜日、現在午前11時半。天気予報では夕方から雨が降るとのこと。でも今はまだこれから雨が降るなんて予想ができないような心地いい休日です。パソコン故障中に付アイ・カフェにてコーヒーを片手に、改めて「100キロを歩く」ことについて考えています。

 今回は最初サポーターとして100キロに参加する予定でした。100キロについて初めて話をお伺いした時、歩き通すための準備期間が短いと判断したことと、歩く人が多く、サポートをする人が少なすぎるのではないか、という不安要素があったことに起因しています。しかし僕は歩くことにしたのでした…
 現在12時半。「夕方から雨が降る」という天気予報の通り、だんだん雲行きが怪しくなってきました。しかし最近の天気予報はよく当たる気がします。仕事の関係上外に出ることが多い僕にとって、天気の良し悪しはとても重要であり、その日の気分が左右されるのも天気次第なんです。

 そもそも自分にとって「歩くこと」はどのような意味があったのか、「自分にとっての限界」とは何だったのか?そして「限界を超える」ということはどのようなことなのか?そしてその先に見える自分は…
 歩いた当日、そして歩く前の準備段階での自分を今「振り返っ」ています(自分を振り返ったことは今までに何度となく繰り返されたことです、その度に反省し、気持ちの切り替え・方向転換を自分に促しながらも、今に至ってもまた「振り返」ろうとしている自分がいます)。

 今の僕にとって「振り返り」は単純な反省点を抽出し、次へ繋げるためのステップという行為を意味していません。それは今回の100キロに参加し、参加したその時間の中での出来事は、改めて考えてみると後悔、あるいは不完全燃焼の気持ちがあるからこそ今僕は「振り返っ」ているのだと思います。50キロ弱しか歩けなかったことは歩くことに対して精神面のみならず体力面において準備不足でした、そしてその準備不足についての一つひとつを僕が語っていくことは「言い訳」と受け取られても仕方がないものであり、まさに後悔、限界を超えられなかった自分が今ここにいる証明ではなかろうか、と思うのです。
 なぜ、「100キロ歩くこと」が分かっていながら終わった後このように改めて後悔し、不完全燃焼だったと思う自分がまたここにいるのだろうか?その答えはある人を「A」としましょう、「A」がおっしゃる僕自身の決定的な問題点を鋭くえぐった「お前は逃げている」という一言に尽きるのです。



2.「逃げること」から回避する

 繰り返すようですが100キロ歩くことを決めたのは参加する日の1週間前でした。約2年間ほど週3・4日家の周りを約一時間歩いており、100キロという道のりを歩いたことが無いとはいえ、歩くことを決めても不安というよりは「こつこつ歩いていけば達成できるだろう」確信はないものの、そのような気持ちで挑戦していました。今思えば大変恥ずかしいことです。「どうなるか分からない」と不安を抱き、挑戦していた方々、計画的な準備をして望まれた方々に比べ、ある程度の自信がありながら当初参加することを躊躇っていたのは「限界に挑戦する」という言葉から最もかけ離れた地点にいたわけです。しかし100キロに参加した後に、やはり後悔し、限界を超えることができなかったことについて考えている、ということは、結局自分の限界を自分で低く設定しすぎているからだ、どんな時でも「まぁいいや」と思ってしまう自分がいるからだ、と思うのです。

 僕は政経塾に入塾するにあたり「自分は変わりたい」と言いました。1ヵ月後の自分はどうだろう、「変わる」という命題があるにも関わらず、今までと同じようなことで悩んでいるではありませんか。このことからも少なくともこの1ヶ月間僕は自分の性格の駄目なところについて、改めて気付くことができたとはいえまだ「何も変わ」ってはいないのです。
 一生懸命やり通さなくてもある程度の体裁を整えることが出来続けた僕にとって、「それではいかん」と言ったのはまさに「まぁいいや」を止めることでした。そして「A」に言われた痛い一言は僕にそのことを改めて気付かせてくれた一言だったのです。
 


3.「感謝カンゲキ雨嵐」

 しかしながら、布野さんと山本くんの3人で歩き続けた100キロは実に有意義な時間だったと思っています。「楽しかった」という言い方は明確な目的(100キロを完歩する)を持って参加された方達には失礼な言い方だと思いますが、3人で長い時間いろんな話しをしながら歩くことができたのは、「楽しかった」という言葉以外に置き換えることができません。布野さん宅では、布野さんのお母様に素晴らしいうんちくを披露していただきました、おにぎりをにぎってくださいました。旦那さまやお子様を含めたご家族の温かさを拝見しました。それは歩く途中での休憩としては余りある贈り物でした。
 20キロポイント過ぎ、叔父が応援に来てくれました。叔父は僕を見つけたら「どうせ歩き切ることなんて出来ないだろう」と連れて帰るつもりだったそうです。従兄弟の男の子と手をつないで歩きました。西原幹事が撮ってくださった写真はとてもよい思い出です。
 サポートをして下さった方々がポイント毎に声をかけてくださいました。次のポイントまで行けばまた誰かが待っていてくれる。それが厳しい道のりの中でどれだけ心励まされたことか。ある人を「B」としましょう、その「B」は僕がポイントにいつ着いたのか、まだ着いていないのかを逐一電話で確認してくださっていた、という話しを聞いた時、何ともいえない嬉しさと、やり通せなかったことへの申し訳なさがこみ上げてきました。
 
 「自分一人でやりぬかなくてはならないことがある。けれど、一人ではない。力を貸してくださり、見てくださる方達がいて今の自分がいるんだ。」
 強く感じることができました。やらなくちゃいかん訳です。みなさんありがとうございました。次回こそ100キロを達成します。