2004年 100km Walk

 
◆横田 誠(岡山政経塾 三期生)

「100キロ歩行物語」


 私の100キロ歩行の結果はリタイヤです。
 それでは今回の100キロ歩行で私が学んだことを書き込みたいと思います。準備期間に約一ヶ月の期間を取り、歩行訓練と称し通勤を徒歩で行いました。最初、日頃から歩きなれないせいか筋肉痛になりましたが、何日か歩く間に体も慣れて歩くことに心地よさを感じる位までになっていました。これで5キロ/1hのペースで歩けばいいなと計算をし、本番に備えて用意万全と会場入りをしました。

 一平君の柔軟体操も終わりスタート!初夏を思わす天候に恵まれ、多忙にもかかわらず逢沢代議士も一緒に歩き始めました。戦列が長く伸び先頭の集団から最後尾まで約1キロ位だと思いますが、おのおの色んな話をしながらゴールのイメージを湧かしていました。東山の峠を登りきったときには既に42分経過しており、なるべく話もせずに歩かないと体力が持たないと感じました。11時20分百間川の土手に到着です。

 九番のサークルKまで休憩をせず歩き、そこで昼ご飯を軽く取る事にしました。沖田神社に到着したのが11時53分。この時に足に痛みがありました。早めに足の状態を確認すると、新しい靴下のせいか、靴擦れで2センチ台の水脹れを発見しました。即座に用意していたテーピングを巻き、再度歩き出しました。九番のサークルKで逢沢代議士や小倉県議、小田県議などとも合流し、和やかに昼食です。ひと時の休息を終え12時30分に次のポイント20キロまで歩くことを決め出発。

 事前に下見しておりましたが、14.5キロのダイハツを左折する時には、かなり自分の練習の甘さに気づきました。そんな勢いで西大寺の永安橋に差し掛かると同期の毛山さんが歩いていました。後ろから見ていましたがかなり辛そうなので、声を掛け20キロを目指しました。20キロでサポーターの方々の出迎えを受けたとき、本当に嬉しかった。

 2時22分、足のテーピングをさらに固め、次は30キロの飯井の交差点を目指します。民家やお店も少なくなると景色に変化が少ない分、道のりがだんだん長く感じています。体力的には(上半身のみ)問題は無いのですが気が付くと足の水脹れがブヨブヨしていました。テーピングの上から分かるぐらいですから、かなりすごい事になっているだろう。チェックポイントで小谷さんの顔を見たときには、疲れていたのに嘘の様に元気になりました。やはり仲間と言う者はすごいです。「先頭集団から1時間位遅れているよ」と言われ、ひたすら30キロの目標を目指します。

 ひたすら長い川沿いの道、何も考えずにひたすら歩きました。4時13分目標到着です。サポーターは北川さん、顔が見えた時にはこれから始まる山道の事など考えもせずに無邪気に喜びました。腰を下ろし靴の紐を解き足の具合を確かめてみると、大変な事に気が付きました。つま先に肉刺が出来ていました。親指と小指です。気にせずテーピングで押さえ、エアーサロンパスを振りかけて再度靴を履こうとすると、足がむくんでいるのでびっくりしました。小田県議や小倉県議が先に出発されるのを見て、あわてて腰を上げ歩き始めました。予定時間から30分遅れていました。

 緩い上り坂から始まり、40キロは備前市体育館です。最初に痛めた水脹れがかなり痛くなっていましたが、明るい内に峠だけは越したいので、痛みなど気にせずペースを上げてひたすら登りました。本来なら海沿いの景色に感動出来るだろうけど、景色を見る余裕はありません。どの位だろうか長い下り坂で足が引きつりました。少し休憩をして、長ズボンに履き替えました。一平君と秋山君が後から来て一緒に休憩を取り、ストレッチをしました。気分もリフレッシュした所で歩き始めましたが、かなり痛みが増してきています。40キロで柳井さんの顔を見てホッとするより、説明会の時の言葉を思い出しました。「24時間寝ずに騒げる人」「横田さんは大丈夫です」など、歩いてみて感じた事は、まだ半分も歩いていないのに、足が痛い。夕暮れに備前の山々が赤く染まる景色を見る余裕もなく、ただただ足の痛みに耐えて40キロから一緒に歩いている加来田君の優しい言葉に支えられて、山道を降り45キロのチェックポイントで山本さんに激励された時にはもう足(水脹れ)がかなりやばい状態でした。

 テーピングで固めた足がこの先55キロの道のりに耐えるだろうか?心配になりながら、45キロのサークルKに到着です。日も暮れてコンビニの明かりがとても暖かく迎えてくれました。見慣れた顔ぶれが腰を下ろし、ひと時の団欒です。おのおの戦友が次の戦いに向けて準備をしていました。自分の夕食を済ませ、いざ立とうとしましたが足が痺れた様な感じでいいように歩けませんでした。海沿いの道、ひたすら平坦な道でしたが微妙な段差でも足が痛く、50キロのチェックポイントで気持ちが揺らぎました。何度も何度も足を摩りながら、リタイヤなんかしたくない。その気持ちだけが私の足を前に前に歩かせていました。

 暗闇の中、2号線に向けて北上している道中に足の水脹れが破裂!急に歩けなくなりました。足を引きずりながらナショナルの備前工場の前に来た所で、もう後一歩が歩けなくなりました。その時、メールの音(兄から)かなり陽気な声で「どんな?」と聞かれ、「死にそう」と打ち返すと今度は電話がなり、状況を説明するとやはり兄弟です。備前まで応援に来てくれました。時間にして1時間位だと思います。空を見ながら歩き出せない自分に腹が立ちました。歩く前は久しぶりに自分の時間だから、ゆっくりいろんな事を考えればいい位に考えていましたが、今の自分には一歩も歩けません。初めての長い休憩をし、兄が到着。柳井さんも心配して来てくれました。

 皆の顔を見たら元気になったとは言えませんが、まだ歩く勇気が湧き兄に「閑谷学校で待っていてくれ」と伝えまた歩き始めました。もう時間の感覚はありませんでした。閑谷学校まであと5キロの看板を見つけ、痺れる足を引きずりながら「負けるものか」と思いながら、ひたすら閑谷学校を目指しました。柳井さんが一緒に歩いていただきましたが、この頃は頭の中は真っ白でした。痛みも慢性化し鉛のように重たい足との格闘。森脇リーダーも様子を見に来られ勇気をいただき頑張れる気がして、ひたすら長い上り坂を閑谷学校目指し登りました。途中何度も何度も挫折しそうになり、並走して下さるサポーターの小谷さんに申し訳なくて、気が付けば、「すいません。すいません。」と連呼していました。自分さえ辞めますと言えばこんなに他人に迷惑を掛けずにすむのに、その一言がいえません。最近の生活の中で挫折する事無く暮らしてきましたが、どうしても自分の思う様に成りません。まだ自分の殻から抜けられず、苦しみました。最後のカーブを抜けると閑谷学校という所で足が引きつっていました。小谷さんに励まされ、勇気をもらい閑谷学校に着いたのは夜中の2時35分です。
 もう24時間以内の100キロは無理です。込み上げる感情を抑えながら、私の2004年度、岡山政経塾100キロ歩行を断念いたします。

 今回のサポートメンバーと同士に感謝いたします。皆さんが私に勇気を与えてくれたからこそ、閑谷まで歩けた様な気がします。自学自習とは言え本当に悔しいです。挫折と言う言葉が頭から離れません。このレポートは100キロ歩行から一週間経っても打てませんでしたが、今でも考えがまとまらずにいます。私の100キロ歩行はまだ終わっていません。負けん気だけで会社を引っ張ってきましたが、今の私には挫折が必要だったのでしょう。5月の第一例会後の懇親会で座った席が完歩者ばかりの席に座り、皆が嬉しそうに完歩した話を聞くとさらに落ち込みましたが、こんな経験は政経塾でしか味わえなかったと思います。今回参加された方々、サポーターの方々、幹事の皆様本当に感謝いたします。
                               以上