2004年 100km Walk
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◆大西 平一(岡山政経塾 二期生)
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「100キロを歩く」 平成16年5月17日
100キロハイク関係各位、特に24時間以上に渡りサポートをして頂いた皆様、本当にありがとうございました。
意味)
なぜ、100キロを歩くのか。私にとって、この命題は昨年サポーターをしたときから疑問に思っていた。恥ずかしい話だが、サポートをした後も、そこまでする意味がわからなかった。
しかし、政経塾で学び、卒業した後、100キロハイクに自ら意味付けをし、挑戦することにした。100キロという壁は人生の中で現れてくる壁に等しい。壁とは今までやったことがなく、今の自分では不可能なものである。そして、今回の挑戦は人生の中で壁にぶつかった時、それを乗り越えるためにみずからどのように準備し、目的を貫徹できるかを試す機会だと考えた。そして、歩ききるために、大きな障害をすべて取り除くという姿勢でのぞんだ。
準備)
第1段階として、決意である。政経塾のイベント・事務局長から誘われたからの理由だけではなく、自分で100キロ歩くという決意と意味付けをした。(人から言われたことであれば、言い訳できる相手もいるが、自分で決めたことには言い訳が出来ない。)
第2段階として、情報収集である。昨年の100キロ完歩者から、歩ききるための条件を想像し、考える。(気合、練習、年齢、装備など)次に、歩けなかった人から、障害となることを考える。(時間配分、二日酔い、運動不足、体重、靴づれ、血豆、足腰の激痛など)
第3段階として、専門家(先人)から直接アドバイスをもらう。スポーツ医学の医師からメールで100キロ歩くための練習の注意点を聞く(2週間前まではきっちりと練習して、一度は20キロ程度歩いておく。2週間を切ってからは疲れや痛みが出ることのないように練習を押え、糖質をとるようにする。練習も本番もストレッチがとても大切)。特に靴に関してはニューバランス、アシックスの専門店を回り、専門の従業員と相談する。(靴の種類・特徴、クッション、靴紐の絞め方など)完歩者 柳井さんからのアドバイスをうける。(所持品、練習の仕方など)
第4段階として、体力をつける。無理をせず時間をかけて、体を鍛える。(ストレッチを心がける。2ヶ月前から週2回もしくは3回、10キロ程度を歩く。2週間前に45キロ(岡山―鴨方)を練習歩行、2週間前から週3回程度朝夕の通勤を利用して4キロ弱歩く)
第5段階として、形から入る(最新技術も活用)。靴、ウエアなど。(形から入ると自然と中身も埋まってくる?)
第6段階として、精神面である。自らに飴と鞭を用意する。まず鞭は100キロ歩けなかったら、来年100キロハイクに再挑戦しなければならない事を自分に課す。(これは、挫けそうになる気持ちを予想外に奮い立たせた)飴は100キロ歩いて妻の笑顔をみること。(このことは、100キロハイクに付き合ってくれる妻向けに用意した言葉だったが、70キロ過ぎて頑張れたのはゴールで待つ妻の笑顔を見たかったからだと思う。)
100キロハイク) 天気 くもり
朝6時に起き、大阪から新幹線で岡山に向かう。昨夜は気合の入り過ぎか2度ほど目が覚める。
0−10km 全員で楽しく歩き始める。百間川についても、どこにも故障はでなく景色が妙にすがすがしい。たまらず栢菅くん、永野くんはタバコを吸い始める。
10−20km 先頭との距離が出来てしまった。苦らず、マイペースで行こう。大倉くんと途中一緒になり、彼も練習で40キロ歩いたことを知る。ともに、100キロ歩こうと誓う。
20−30km 10キロから20キロの間で、夜用のズボンと首巻きを落とす。首巻は一平くんに拾ってもらい柳井さんに届けてもらう。ズボンも誰か拾ってくれないかと祈る。途中、堀くんに出会い、一緒に丘越えをしようと歩き出す。堀くんからもらったおにぎりを食べると妙に元気がでた。人間は単純なものだ。
40km 備前市体育館 昨年、サポーターとして、宇野くん・片山さんを6時間待ったところ。とても感慨深かった。二人はどうしているかと考えた。宇野くんは、私より前を歩き片山さんは後ろを歩いている。3人とも完歩出来ることを祈る。練習では40キロまでだったので、私にとってここからは未知の領域となる。
40−50km 40キロからは堀内さんと同行し、映画や勤め先の薬局の話をしながら歩く。それまで残りの距離ばかり考えて滅入っていたが、会話をしていると時間が経つのがはやく楽だった。気持ち一つで違ってくるものだ。でも、落としてしまったズボンのことが気にかかる。100キロハイクように昨日買ったので、まだ一回も使っていなかったので、凄い無駄遣いをしたような気持ちになった。
50−60km 閑谷学校 途中、一平君も加わり、3人で歩くことになったが、どうも胸が痛く苦しくなる。頭も少し痛い。堀内さんから酸欠になっているのではとアドバイスをもらい、少し休憩する。良くなる。また歩き始めて少しすると3人で楽しく話をしているはずが、自分だけ息苦しい。山越えは、とうとう二人についていけなくなり、一人で歩く選択をする。歩けなくなるのではと不安になる。不安になると、昔、自然気胸(肺に穴が開く病気)をしたことを思い出し更に気がめいる。
60−70km 辛い、長い、胸も痛い。歩くと何故か息苦しくなる。また肺に穴が開いたのかと不安になる。胸のつぼを押しながら歩く。途中、能登くんと一緒に歩こうと思うが、すぐに二人とも歩けなくなりペースがあわず、バラバラになる。岡くんも満身創痍の中歩いていた。その姿を見ていると、お互いに100キロ無理かもしれないという気持ちが出てくる。本当につらそうだった。
70km チェックポイント和気橋にサポーターの人がいない。どっと、疲れがやってくる。和気橋にくれば、サポーターの誰かと話ができると一人で頑張ってきただけに、大きく落胆した。休んでいると後から堀内さんと一平くんがやってきて、気分も楽になった。辛いときには、おにぎりと人との会話が力をくれる。
70−80km 昨年90キロ手前でリタイアした小寺くんのことを思い出す。彼の思いに関わったサポーターとしてリタイアしたところまでは行こうと思う。75キロくらいで残りが少ないと思え気分が楽になった。また、ゴールで待っている妻に悲しい顔はさせたくないし100キロ歩けば喜んでくれるだろうと思い歩き始めると急に体が楽になり、足も動き出した。なんと体が復帰した!そこから時速6キロペースで2時間歩く。飴の効能が効き始めた。
80−90km 時間に余裕が出来てきたので、気を抜いて少しペースを落とす。やはり落とし穴はあるもので古都まで地図で3キロ表示が、実際6キロほどありタイムスケジュールが大幅に狂う。最後まで気を抜かないことが大切だ!古都は小寺くんがリタイアした場所だ。ここからは小寺くんの思いと一緒に歩いていこうと思う。
90−100km 苦しいが、目標に達成するまでの喜びを感じながら歩けた。特に、柳井さんを中心にサポーターの人たちがフォローしてくれたのがとても温かく感じられた。
ゴール:100キロ歩けたという自信と充実感がなんとも言えず、心地よかった。歩いて良かったと思う。
ご協力いただいた皆様ほんとうにありがとうございました。サポートをしていただいた皆様はぜひ一度チャレンジしてください。
最後に)
100キロは想像するのと歩くのとは大きく違う。それは、歩く困難さではなく、考えていたよりも、遥かに大きな達成感があったことと自分が決めたことをやり遂げた自信を得たことだ。この二つは壁にぶつかったとき、大きな力になるだろうと考える。
追記1)
・ 1年前にリタイアし思いを持ち続けて完歩した皆様本当に感動した。100キロ歩くだけでなく、思いを持ち続けたこと自体すばらしいことだと思う。
追記2)
・ 結局、落としたズボンも拾われており、ゴール後北川さんから頂いた。ありがとうございました。来年参加する皆さん、お気を付け下さい。(笑)
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