2004年 100km Walk

 
◆小田 圭一(岡山政経塾 幹事)
100キロ歩行に参加して
「政経塾はどこへ行く〜僕らを乗せてどこへ行く〜」



 昨年の100キロ歩行打ち上げの夜、塾生の北川さんと新田さんが歌い踊った「ひょっこりひょうたん島」の替え歌が私はいたく気に入り、歌詞を変えて自分のテーマソングにしようかと思っている。
 実は、今年の100キロ歩行に参加しながら北川さん新田さんの替え歌が頭の中で鳴り響いたのだった。



 昨年“ハーフ100キロ歩行”を完歩した私は、公約どおり今年は残りの50キロに挑戦することになった。
 本当は両年ともに100キロを完歩したかったのだが、その後の仕事の予定から見て2〜3日寝込むわけには行かないし、だいたい体力の限界も感じて初日の夜には勝手ながら失礼させて頂いたわけである。

 ところが昨年と今年とでは、100キロ歩行の様相が全く変わっていた。
 昨年は歩く人よりサポーターが多いくらいで、歩いただけで大変特別な行いをしたように大切にされた。
 サポーターが至れり尽くせりに飲み物、食べ物を供給してくれ、道端に畳を敷いてマッサージまで施してくれた。
 今年は歩く人数の大幅増加のためサポーターは大忙しで、歩く人の間では冗談でイラクの如き“自己責任”論がささやかれる一幕もあった。

 また今回の歩く人の表情は真剣そのもの。昨年は、アルカイダ、パナウェーブ、着物・・・とコスプレまで登場し、ある種ピクニック気分でのスタートと、30キロ過ぎからのヨレヨレになりながらも前進するリタイア組の苦しげな姿というものを私は目の当たりにしたが、今年はそれをほとんど見ることができずちょっぴり残念でもあった。
 そして私自身昨年は喫茶店で新聞を読んだり、中華料理店であんにん豆腐を食べたりして時間を取られた反省から、今年は道草をせず一生懸命歩いたのだが、どうしても20位前後から順位が上がらない。それどころか後ろから来た塾生に追い抜かれていく始末。特に女性にすいすい追い抜かれたのには正直へこんだ。「政経塾(生)はどこへ行く〜」

 どうもおかしい。昨年と状況が違う。30キロぐらいからリタイア組に追い付けるはずなのに・・・・。「政経塾(生)はどこへ行く〜」
 結局私の内心の目標であった50キロ地点に到達したときには、昨年より1時間ほど早く到着したにもかかわらず、その時点で歩いていたメンバーの最後尾に近いというありさまだった。「政経塾(生)はどこへ行く〜」
 私の仲では北川さん新田さんの替え歌が渦を巻いていた。


 
 後日、昨年リタイアし悔し涙を流したメンバーの多くが、再挑戦で100キロを完歩し、後楽園でうれし涙を流したと聞いた。
 私が途中リタイア組に追い付けなかったはずだ。政経塾(生)は前へ行ったのだ!私よりずっと前に行ってしまったのだ!
 100キロ歩行を速歩き、あるいは完歩するための競技と考えるとちょっぴり悔しい。しかしもとより100キロ歩行の意義がそんな所にあるはずはない。
 もちろん塾生は事前に人知れずトレーニングに励み、相当な戦略を練ったはずだ。その成果が如実に現れた。
 塾生は若く、そして優秀だ。たった一年で恐ろしいほどに進歩した。
 これは歩くという人間の能力のほんの一面が見えたに過ぎない。しかし政経塾で一年学んだ塾生は、このほかにも政治経済に関する知識や理解力、人前で考えを発表する能力など・・・一年前と比べると格段の進歩をとげているに違いない。
 幹事の一人としてうれしく思ったと同時に小山事務局長や指導者の方々に対する敬意の気持ちでぃっぱいになった。
 塾生はそして岡山政経塾はこれからも進歩していく。そのスピードは私の想像する以上だろう・「政経塾はどこへ行く〜、僕らを乗せて未来へ行く・・・・」
に違いないと確信した今回の100キロ歩行であった。