2005年 100km Walk
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◆武久 靖雄(岡山政経塾 2期生)
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「100km歩行を終えて」
100km歩行参加にあたって
昨年の「苦痛の30km歩行」から1年、やっと足の爪の内出血が、きれいになくなり、今年は、参加を辞退させていただくはずでしたが、3週間前の出欠確認にて、急遽参加することになりました。昨年、激痛と闘った20km付近から自分でゴールと決めた30kmまでのことを思い出すと、とても参加する気分にはならなかったというのが本音です。
昨年は、100kmは根性があれば歩けると軽視していたため、何の準備もなくハイキング気分で参加したためにひどい目に合いました。今年は、自分なりに、「連休明けに後遺症を残さないこと」、「閑谷学校までは歩くこと」を目標に参加することにしました。
今年は、昨年の反省から、多少の準備をしました。トレーニング的には、昨年の股関節の激痛に対処するために、2週間前に10km歩行を行い、1週間前に、竜ノ口神社の8号目まで登り、軽く筋肉に負荷をあたえておきました。
あと当日には、鎮痛消炎テープを8枚ほど準備し、靴下の換えも用意して、持ち物は極力軽くすることにしました。そして靴は履き慣れたやわらかいものを履くことにしました。
100km歩行に参加して
30km位までは、最後尾を時速4km程度のゆっくりとしたペースで歩いていました。そのため、いっしょに歩いた松井さんに福祉についていろいろ教えてもらったり、また、県道に植えられたツツジが整備され満開であったこと、汚い川に大きな鯉がたくさん泳いでいたこと、いろいろなことを考えながら歩いていました。30kmを過ぎた辺りから、しゃべる元気もなくなり、40km付近以降は、ただ痛いだけでした。
60km地点の吉永町のローソンにたどり着いたときの体へのダメージは、昨年の「30km歩行」に比べると断然小さなものでしたが、「閑谷学校までは歩く」という自分の目標を達した自分に、人知れぬ満足感を得ることができました。また、ちょっとしたトレーニングが報われた喜びを感じました。しかし、リタイヤ地点から車で搬送されているとき、まだチャレンジし続ける他の参加者の姿を見て、自分の目標が本来の100km歩行の目的から乖離していることに気付き、ちょっぴり恥ずかしい気持ちになりました。高い目標に挑戦することの意味を考えさせられました。
最後に、今年もすばらしい企画をあたえてくださった実行委員のみなさま、サポートをしていただいたみなさま、大変お世話になりました。とくに、街灯もなく野生の動物が出てきそうな閑谷学校付近で、すこし距離をおいて伴走していただいた大倉さん、重田さん、大変助かりました。ありがとうございました。
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