2005年 100km Walk

 
◆山本 泰広(岡山政経塾 3期生)

「ピリオドの向こう」




 「ありがとうございました」、100キロ歩行完歩の瞬間に崩れ落ちそうな体を支えて発した第一声であった。
 事務局長やサポート隊長はじめ多くのサポーターの皆様、100キロ歩行参加者の同志、予行練習を開催してくれた横田さん、秋山さん、本郷さん…、終盤ずっと後ろについて来てくれた高畠さん、一緒に歩き勇気をくれた野田さん、能登さん、そして岡山政経塾。また、一晩中電話で弱音を聞いてくれた彼女にも感謝している。
 不思議なもので、ゴールの瞬間は達成感よりも感謝の気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいだった。日頃から性格がひね曲がっている私は、皆様の暖かい応援を素直に受け入れられず、終盤は弱音や疲れた態度でしか応えられていなかったと思う。「もっと笑顔で歩きたかったなー」とちょっと後悔している。西原幹事の撮ってくれたゴール後の写真をみても、険しい表情なのが自分らしくもあり、ちょっと情けなくもある。一平や小崎さん、妹尾さん、堀内さん…など皆様の応援は本当にうれしかったです。ありがとう。

 ゴール後、もう一つうれしかったことは、60キロ地点まで一緒に歩いた野田さん、70キロ手前で別れた能登さんが完歩したことだった。野田さんとは練習段階から「二人でワンツー・フィニッシュを決めるぜー」と嘯いてこともあって、中盤まで共に支え合い「野田兄貴、死ぬ時は一緒ですぜー」と昭和ヤクザ映画ばりのまさに同志だった。さらに、能登さんは、足の痛みや過呼吸等でフラフラになりながらも、気迫あふれんばかりの凄まじい歩きっぷりに、一緒に歩いている私は「あんた年下なのにまじすげぇよ、おいらも負けらんねぇ」と青春映画ばりに心が揺れ動かされた。そんな二人から巣立つ時、後ろ髪引かれる断腸の思いだったが、「ピリオドの向こうで待ってるわ、すまん」と心の中で詫び、歩を前へ進めた…。笑顔で帰ってくる二人のゴールに立ち会えたことは、私自身すごく感動したし、自らがゴールする時よりも本当に気持ちが高ぶった。

 今回の100キロ歩行では「辛いことを乗り越えた自分自身のゴールの瞬間よりも、仲間から応援され、『おめでとう』と労いの声をかけられている瞬間の方が気持ちいいし、仲間のゴールを拍手で迎える方が幸せ」と感じた。正直、スタート当初は100キロ完歩の向こうにはすごい達成感があるのだろうと期待していたが、想像以上ではなかった。すなわち、「100キロ完歩=自分を超える」という方程式は十分条件を満たさなかったのだ。むしろ、「メーリングリストへの決意表明で完歩を宣言する瞬間」、「目標に向かって厳しい練習に耐え、体を作ってスタート地点にたった瞬間」が私にとって去年の自分を超えた瞬間だったのだろうと思う。去年は「完歩する」という意思が固まらないまま63キロ地点で途中リタイヤし、本当に悔しい思いをした。今年は、4月に入籍したけじめや同期の100キロに対する熱い思いから、「何が何でもやったるでー」と決意が泉のように溢れていた。一人で歩き出した70キロ手前からは、暗闇、孤独、土地感がない不安という状況下でも、気持ちが枯れることはなかった。また、立ち止まると動けなくなるという恐怖とも戦いながら、心の中で「100キロ絶対歩く」と念仏のように一万回くらいは唱えていたと思う。

 100キロ歩行は、仲間から「心」を頂いて、困難な問題をやり遂げるという強い「心」を養うことが出来るから、中毒のように気持ちよくて、誰もがやめられなくなるんだと思う。個人的には、精神論なんか大嫌いだが、「一段と男っぷりを磨かせて頂いた」と認めざるを得ない。来年はサポート隊として、さらに磨きがかかった「男義」でたっぷりお返しさせて頂きます。今から来年の「ピリオドの向こう」が楽しみです。