2005年 100km Walk
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◆高橋 和巳(岡山政経塾 3期生)
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「心満たされず〜雑念渦巻く100km歩行チャレンジ〜」
「確か、このあたりではなかったか?」
先日、暗闇のなか、吉永へ向かう閑谷学校からの下りの某地点に降り立った。あの時の、あの場所をどうしても確認し、脳裏に刻み付け、印をつけておきたかったのである。松本橋交差点過ぎのサークルKでのエネルギー補給(毛山さんに言わせるとブルーベリーヨーグルトの力)以降、それまでのいつリタイヤしてもおかしくない状況が一変、浮かれ気分でゴールを目指していた私に、神が今回試練を与えた地点である。
閑谷学校で、恒本君のあやしい微妙な手つきに気持ちよくなりながらバンテリンを塗って貰い、「よっしゃー、行ってくらー」とトンネルを抜けたのもつかの間、勢いのあまり、腰をひねった。以前から痛めていた箇所だけにまずいと思いつつ、天と自分に呪いと後悔と自責の念とを植え付けたあの場所に。そして心のなかで念じた。「2005年5月3日岡山政経塾第3回24時間100km歩行チャレンジャー高橋和巳ここに斃れる。願わくば2006年5月、point of returnとして刻まれたこの地とその思いを超え、point of no returnとせん。」と。決意表明で、「人必死の地に入れば、心自ずから決す」など言っておきながら、必死の地を畏れて心と身体がその後コントロールを失ってしまったのだ。
ここにいたる前後の心の軌跡を反芻してみた。
<3月〜前々日>
精神的には、3月12日のツーデーマーチ(20km)以降、決意表明までがピークで、その後何回か歩く練習をしてみたものの、心と身体が谷底へ転がるように100kmから離れていった。逃げとも言える。たくさんの人に泣き言も言ってみた。そのたびに励まされ、仲間のありがたさに身を震わせながら、少しでも気持ちを上げていこうと、コースの下見と備品を購入した。また、テーピング前に足の体毛処理を依頼されていたので、周りに聞いて一番楽そうな除毛クリームによる対策を講じた。(身体には随分と負担をかけるのであろうが、脱毛していく様と見慣れない自分の足に複雑な気分になった)
<前日>
これはドーピングかと思いつつ、にんにく注射を打ち、一瞬口のなかがにんにく臭くなったような変な気分のまま、政経塾事務局で一平君にテーピングをしてもらう。声がかれて変だったのは、注射のせいではなく、風邪の前兆であったと後で気づく。
<当日、後楽園>
再度、にんにく注射。看護師の技量が悪く、腕が痛い。今度は別の看護師を指名するぞと心に誓いながら後楽園へ。これから泊りがけで遊びにいく家族を横目に日焼け止めクリームを塗りたくる。慣れないせいか気持ち悪さ倍増。8時50分後楽園到着。すでに同志、サポートの方々が集結している。それぞれが思い思いの行動をしているが、何か不思議な光景を見ているような、自分だけ別のところから異次元を見ているような違和感を覚える。普段しないサングラスを持参したものの、案の定壊す。いやな予感3倍増。準備体操が始まり、一平君が一生懸命指導してくれているのに、「去年ここで一平君は捻挫しながら完歩したんだよなあ、すごいやっちゃなあ。」とひとしきり感心して過ごす。
<スタート〜西大寺浜>
それでも精神が高揚していたのか、にんにく注射のせいか、普段よりも速いペースで歩くことができ、かつ、どこも痛くない自分に驚く。同志とくっついたり、離れたりしながら周りに気を遣っている自分がいた。この頃から仕事や職員からの悩み相談の電話がかかり始める。息を切らせながら話を聞く。最後のほうは頷くだけの自分を発見し、いやになる。その後直島では一緒に歩けていた本郷さんのスピードについていけなくなる。「おー、すごいなあ、練習してたんだなあ、でもマイペース、マイペース」と自分を抑える。
<西大寺浜〜松本橋交差点>
目的のひとつであった、未知の歩行領域と孤独へのチャレンジを開始した。(といっても周りとペースが合わなかっただけであるが・・・)気合が入るはずが、何故か急激に意欲が衰えてくる。と同時に、いままでなんともなかった身体や足が悲鳴を上げ始めた。西大寺ゴミ処理場のあたりで、一平君に早くも足首が痛いなど泣き言を言い困らせる。「歩き方が悪くなってますよ。」と声をかけられ、必死に直そうとするが、なかなかうまくいかない。それでもなんとか我慢する。結局はオーバーペースだったかと考えていた。
大富三叉路のチェックポイントで柳井さんより必要以上のサポートを受け、椅子に座らせてもらう。飯井の手前の臨時休憩所で一平君に更なるテーピングをしてもらい、栄養ドリンクの補給をサポートの方からいただく。35km地点で大西サポート隊長に出会い、信号待ちをいいことに、道路に寝転ぶ。この頃気分的な疲れはピークに達しており、備前市体育館で、恒本君が用意していくれた毛布にすぐ寝転ぶ。金川さんの牛丼と洲崎君のおにぎりを見て無性にお米が恋しくなり、大西サポート隊長が言ったおにぎりを食べたら元気がでたという言葉を思い出す。どこでリタイヤするかを考えていた一方で、最初のリタイヤ者にはなりたくないなと自問自答を繰り返しながら歩をすすめる。
後からきた布野さんが先に出発し、遠くにその姿を捉えるが距離は縮まらない。とぼとぼ歩く。松本橋手前で布野さんと合流したが、疲れからあまりしゃべることができない。林さんと宇野さんに蛍光たすき着用の依頼を受けたが、バックから取り出すのも面倒なのでサークルKで装着することにする。
<松本橋交差点サークルK〜閑谷学校>
やっと見えてきたサークルKの灯りに、少しだけ生気が蘇ったものの、滝口君の挨拶にも気づかずまっしぐらにトイレに向かい、ほっと一息つく。陳列された商品のうちから、おにぎり、ゼリーやブルーベリーヨーグルトを選び貪るように頬張る。駐車場で、滝口君、布野さん、後から来たにぎやかな一団(柿本さん、毛山さん、洲崎君、成瀬さん)と雑談。気分が盛り上がる。性格上やはり女性が多いとより元気がでるようだ。
出発時には、これまでの状況がうそのように、痛みも感じず、足が前に出だし快調に歩きはじめる。マイナス思考もどこえやら、「おー、これがみんなの言っていたランナーズハイかも」と一人合点しながら歩く。備前市民センターで誘導していた湊君の「次は和気橋で待っている」の言葉を心に刻み込む。穂波橋チェックポイントで柳井さんの何度目かの差し入れに力をもらい、伊里中のローソンで小倉県議に靴の夜光テープが反射していないと、県議にこんなことをさせていいのかと甘えながらテープを貼ってもらう。閑谷学校への上りもなんのその、恒本君のいいペースとの言葉に更に調子に乗る。
<閑谷学校〜吉永ローソン>
引き続き、ランナーズハイの状態に、ひそかに、これは最年長記録保持者の誕生かなどとほくそえむ。その後、試練が襲ったのは、前述のとおり。
腰をかばいながら歩いていると、今度は足にきた。なんとか、到着。森脇さんに少し泣き言をいう。再スタートできずに、ぐずぐずしている自分。その後、またしても楽しそうな一団(毛山さん、柿本さん、洲崎君、成瀬さん)が到着し、ストレッチと休憩。腰をひねったと泣き言を言ってみる。布野さんが、柳井さんの口と手の魔術で到着する。腰と足が耐えられるのか、心が耐えられるのか、リタイヤしようかどうしようかという思いが交錯し、かなりの時間をローソンで費やす。
<吉永ローソン〜和気橋リバーサイド>
身体が冷え、ぶるっときたので、やっとの思いで再スタートをきる。今度は先を行く柿本さん、毛山さんに追いつくことを目標としてみるが、追いつけないはずである。藤野交差点でのルート変更が頭をよぎり、その1つ手前の似たような所で左にまがり道に迷ってしまっていた。町工場の敷地らしきのなかを歩いてなんとかルートに復帰したところで、小山事務局長に出会って安心した。その後正真正銘の藤野交差点に到着。小崎さん、堀内さんに勇気付けられ、重い足を引きづりながら再スタート。300mほどのはずが、合流口を間違ったのか本来のルートと並行してかなりの距離を歩いた記憶がある。引き返すのはつらい、なんとか合流する通路があるはずと、前へ進むがなかなかないので、余計に疲れが増した。どのくらい並行して歩いたか定かでないが、なんとか本来のルートに戻った。
その後、車でサポートしてくれていた小崎さん、堀内さんに出会う。何故かこの頃から、その場にはいない昨年サポートした人たちの前へ進む姿が脳裏に浮かび勇気付けてくれた。
去年は片山さんと河本さんがここでストレッチしてたな、井本君が寝転んでたな・・・。
<和気橋リバーサイド>
おー、あれがリバーサイドの光だなど、ひたすら歩を進めやっとの思いで到着。一平君に再度腰のテーピングをしてもらう。が結局足が動かず、リタイヤ宣言するため携帯を手繰り寄せようとしたところで、一平君、小崎さん、堀内さんらにより遠ざけられる。そういったやりとりのなか、小山事務局長到着。若いスチュワーデスの紹介を条件にリタイヤ許可をもらう。頭のなかで誰が若かったかぐるぐる駆け巡っていたが、その後のことは、うやむやにしよう。
一平君に「本当に後悔しないですね」と念押しされ、リタイヤとなる。ズシっとくる言葉であった。恐らく午前2時。その後、リバーサイドで待機中に出会った布野さん、増田さんは完歩した。おめでとう。
<5月4日>
早朝、加来田君、山本君の感動のゴールを見届け、ガタガタ寒気が襲ってきた自分の情けなさとみんなを迎えることができないやるせなさを胸に家へ。結局風邪をひいていた。
夕刻、念のため、足のMRIをとってもらう。中足骨疲労骨折(両足の甲の一部が赤く腫れ痛みが歩くたびに襲ってきていたのであるが)の可能性があったと聞かされ、正直びびる。来年へ向けての課題のひとつを発見した。
<5月5日>
痛んだ身体を鞭打ち、湿布の匂いを漂わせながら、車いす参加になるかと焦っていた結婚披露宴へ出席。途中トイレに行くのも難儀なので、極力酒類を控えた。
<5月7日>
夜、閑谷学校へ向け出発。前述地点を確認し、祈念。
<謝辞>
心の軌跡を思い出すがままに書いてみたが、なんのことはない、心100kmにあらず、泣き言やわがままを聞いてくれた同志やサポートのみんなに迷惑をかけっぱなしのチャレンジであった。同志、サポートの方々、そして、当日そこにはいるはずもない去年の記憶のかなたから勇気を与えてくれた人達にあらためて感謝したい。
次回挑戦時には、サポートのみなさんからも他の同志からも、サポートして良かったと思ってもらえるよう精進することを誓う。
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