2005年 100km Walk

 
◆金関 圭子(岡山政経塾 4期生)

「100km歩行レポート」



「小山さん、今閑谷です。ここを私のゴールにしてもいいでしょうか?」
午前4時13分。私の携帯の通話記録に残った時間とかすかな記憶の場面の瞬間。
「よくやった!」優しい小山さんの声はそこまでしか覚えていない。
それまで、泣いたら続かないと必死でこらえていた涙があふれて止まらなくなった。
後になり先になり、時に手をとって支えてくれた河本さんと井本さんが白いタオルを2本繋げて「ゴール」を作ってくれた、真っ暗闇に浮かぶ白い「58kmライン」。皆はるか前の時間に通り過ぎてしまった閑谷の森。数センチずつしか進まない足を引きずって、そこに手をかけて、そして崩れた。

 思い返せば、30km地点。すでに私の足は限界に近かった。なんて早い限界なんだ!と自分を戒めながら、そして騙しながら、一歩一歩。「最後まで歩く、最悪、閑谷までは行く!」
鶴海で一緒になった武久さんと松井さん、二人にはたくさんの元気をもらった。二人がいたからあの暗い山道も越せた。備前の体育館であえさんに「あなたがここまで来てくれて嬉しい」と言われた。あえさんが言ってくれた。だからもう一度会おうと心に誓った。備前市内を越えたところで、一人になった。そこへサポートの河本さんと井本さんが付いてくれた。ここからは、意識が朦朧として記憶が定かではない。50kmポイントでさっきまで一緒だった松井さんがリタイアしていた。無念だったろうと思うと涙が出そうだった。必死で堪えた。小坂さんがいた。同期の仲間は嬉しい。でもそう表現するとまた泣きそうで、堪える。時に仲間の情報を耳にする。信じられないリタイアの同志。そして自分と戦い続ける同志。仕事で通り慣れた道、国道に出るまでの直線。本当は、後楽園まで戻りたい、サポートしてくれるスタッフ皆さんに応えたい、自分にだけは負けたくない。
 そして、今は何度も元気をくださる西原幹事の優しい笑顔に会いたい、サポートしてくれるこの二人に応えたい、閑谷までは行きたい。閑谷までは・・・。

 53kmローソン駐車場で果てた私の体をずっとさすり続けてくれた井本さん、「親や彼女にもしたことがない」と言ってた。こんなのろまな一歩につき合わせて申し訳ない気持ちで一杯なのに「本当にやめたいと思うまで、どこまでもつきあうから安心して」と支え続けてくれた河本さん。
この二人が私の最高のドラマのクライマックスを作ってくれた。もう未練はなかった。
残りの同志たちの成功を心から祈った。

 朝日のまぶしい後楽園まで帰ると誰もが「よく頑張った」と、のろまなリタイア者を実に暖かく迎えてくれた。ものすごいサポート体制だ。私の経過は全部把握されている。この感謝は言葉に尽くせない。本当に本当にありがとうございました。

最後に。
言い訳はしない。
自分の限界に挑戦した真実。しかしこの課題は「24時間100km歩行」だったという事実。
以上。