2005年 100km Walk
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◆坂本 眞一(岡山政経塾 4期生)
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100Km歩行レポート
「果たせない約束とバナナ」
1. はじめに
今回初めての参加となる100Km歩行は、自分の人生最大のイベントであった。おばあちゃんの葬式よりも、自分の結婚式よりも、子供の誕生日よりも、会社の設立記念日よりも、デカイ。
最初この話を聞いたときには冗談くらいしか思っていなかったが、どうやら岡山政経塾にはこのようなイタイ系イベントが「実在」するらしいという話がだんだんと現実味を帯びるにしたがってだんだんと口数が減る。表町の上ノ町から千日前まで歩くことすら非常に苦手な私にとって、100Kmなんてとんでもないない。あり得ないことをなぜするのかをじっくり考える期間が1週間くらいあっただろうか。確かに100Kmなんて歩いたことがないし、自分の体力から考えても現状無理に決まっている。スポーツははっきり言って苦手だ。でも、ある意味面白そうだ。100Km完歩した先輩も多数いると聞く。最後は考えるのがだんだん面倒になり、やらないことにあれこれ考えてもどうしようもないと思ったところで決意に踏み切った。決意したからには、やるんだと。
2. 100Km歩行に対する準備と心構え
(ア) 現場下見
地図だけでは100Kmのイメージは全くわかない。そういった意味で、現場の下見会は非常に役に立った。車に複数名のメンバーが乗り合わせ、ポイントを順次確認していく。事前に35Kmのプラクティスウォークに参加していたので、「コンビニと自動販売機の場所」「歩行するに危険な場所」のポイントはつかめていたことからスムーズに確認作業が進む。最大事から先、備前市の各地域だとかは不明瞭なところが多かったため、地図に落書きをしながら進めた。 またその2日後夜に自分で車を現地に向かわせた。夜の山間がどのくらいの照度を保っているのかということと閑谷学校にいくための坂の勾配を確認したかったからだ。実際に車を降りて、少し歩き、調子を見る。しかし、こんな真っ暗なところを歩くのかと不安が募るばかり。
(イ) 心と体の準備
35Km以外では特に主だった体力トレーニングは行わなかった。ただし、極力車の利用は控え、出張中は出来るだけメトロなどの公共交通や徒歩だけで行くよう心がけた。会社では社内のグループウェア掲示板に「さかもとが100kmを逝く」と決意表明し、他の社員に支えられてその決意をだんだんと固いものにした。中には自衛隊出身の社員もおり、新入社員ながら傾向と対策についてアドバイスしてくれた。会社の中でも100Kmの話題に持ちきり、普段私が行わない配送や梱包など、エクササイズを伴うものは容赦なく内線で呼び出されてわざわざさせられるなど従業員による強制的なトレーニングが続いた。皆このときばかりと「さかもとを使え」という指示でも回っていたのか?
(ウ) 携行品と装備の検討
もうひとつのテーマと課題、”100Kmは金で買えるか”という切り口でも検討を重ねた。どう考えても20代ではないので、耐久性と持続性には自信に欠ける。こういった貧弱な人間を側面から支えるのが「お役立ち&お助けグッズ」の数々である。というか、そう思っていないとやっていられない。
@ 靴
靴に関しては、先達から「月星のウォーキングシューズ」を薦められていたが、検討に検討を重ね、今回はショックアブゾーバーの中敷を採用。靴そのものは慣れの問題もあり、いつものビジネスウォーキングシューズで臨むことに。
A 松江ばあさんのインテバンを失敬
義祖母が使っている医療用インデバンスプレーを彼女が入院しているのをいいことに勝手に持ち出し。テスト段階では非常に効いたのでエアーサロンパスと併用。
B マメおよび水ぶくれ対策
キズパワーパッドと同じ素材で出来ているものを使用。35Kmの練習歩行の際にどのポイントが水ぶくれになりやすいかを考え、外反母趾用と汎用の2種類を購入し、携行。
C iPod Shaffle
音楽を友とする。以前からほしくて仕方がなかったApple社の23グラムのプレーヤー。東京の南青山オフィスに立ち寄ったあと銀座のショップまで直行の上買い付け。アップルストアの人間に事情を話し、「あんた正気か」といわれる。
D リュックサック
The North FaceのFrightシリーズ。ヘビーな荷物を入れていても全然負担がない。しかも、背中の部分がメッシュになっているため、快適さが違う。本番でもこれは役に立った。店にお遍路さんグッズがあったが、これも気になるものの今回はコスプレ大会ではないため、マニアの心をくすぐられつつも割愛。
E ズボン
35Km練習歩行のときに悟った「ジーンズは最悪」の教訓にしたがい、社内会議で「軽い素材のもの」を提案してもらった。会社はもはや100Kmのための私物となっている。ひげ部長から「それならパタゴニアじゃ」ということで、ズボンに金をかけたことがない私は高額なカヌー用パンツを購入。18,000円もしたため、次の月のおこづかいなし、ということで強制購入。これで命が助かるのであれば安いもんだ。
F キネシオテックスTMテープ
スポーツで使われている人口筋肉テープ。2個購入し、練習貼り付けのあと、本番の日に自分で貼った。貼り方に関しては横田先輩や一平さんなどからのアドバイス、そしてインターネットの専門ページでことごとく調査。
3. 本番でのドラマ
当日、さまざまなことを考えていた。当日のパーティは増田、花房、坂本の3人。この2人はいつも面白く、道中飽きが来ない最高のメンバーである。増田塾生にはカッコイイところをみせておかなくちゃな。感動のシーンはどこで起こるか??とか、花房塾生はどこまでがんばれるか??がんばれおっさん、おいらも行くぜ、とか。
35Kmのトレーニングが功を奏し、好調なスタートを切る。沖田寺社までは難なくクリア。西大寺の永案橋も軽く通過。ただ、増田塾生は足が痛いという。少し心配する。途中、同期の寺田塾生を拾う。というか、放置プレイになっていたところを大富交差点の先で拾った。一緒に歩いているのだが、また途中で見失う。仕方がない。
備前体育館で、逢沢幹事のパーティと一緒になる。このころ、既に水ぶくれが出来ていた。あのパワーパッドを貼った位置ではないところに出来ている。痛々しいにもほどがあるなあと思っていたが、時間がないためそのままの状態で行くことにする。まさか、このあととんでもない事態が発生しようとは思わなかった。 この備前体育館で、お茶を購入している隙に増田塾生と離れてしまう。追いつきたいのだけれどもどうしても追いつけないのだ。走ろうとしても走れない。足の痛みがだんだん大きくなり、歩くことすら困難になる。途中iPodを落としたことに気づいた。同行の花房塾生に「先にいっててくれえ」と言い、1Km戻ってこいつを拾い上げ、重い腰を上げてそれでもまた進む。
備前市民センターで小山事務局長より「バナナ」の贈呈が行われた。体力も限界に達し、またあの穂浪橋までの直線が長い。ここだけで2時間も消費する。時速5キロが2キロになり、途中で止まり、自動販売機にしがみつき、もうだめかと感じる。後続の逢沢幹事パーティにも抜かれる。ああ、ここまでだ、閑谷は見ることがないのか、と半ば諦めてたときだ。だんだんと力が出てくる。なんじゃこりゃ???妙に足が軽くなったなあと思う。しかし相変わらず水ぶくれはひどい。そう思っているところに穂浪橋に到着。傷の手当てを再度行い、出発すると…なんと時速7Kmに復活!!! まさか、この「バナナ」がガンガンに効こうとは思ってもいなかった。そう、あのバナナには多分何かが混入されていたのかもしれない。なんと言っても足が軽くて仕方がないのだ。iPodの音楽も軽快なものにチェンジ。そこから閑谷までその異常なペースを維持し、一気に坂を上りきった。途中6人抜いた。安藤塾生と途中で一緒になる。彼はコースを間違えたらしく、いたくご立腹の様子。そんな彼を連れて、ただひたすら上った。お互いに励ましあい、罵り合い、もうむちゃくちゃ。
無事閑谷峠を下りた2人は、先の増田塾生の「一平さんがそういや吉永のローソン地点にいるらしい」という情報で、いい感じのマッサージを期待してあたりを見回すがそんな人はどこにもいない。どうやら次のポイントに移動したらしい。うっそー!!と絶叫。そして、お待ちのはずの高畠塾生も見当たらないため電話すると彼はこんどはさらに先の熊山町サンクスにでサポートしているとのこと。「さかもっちゃんおいでよ、俺、待ってる」という言葉。「いやいや、そんなん出来ませんから」「いや、さかもっちゃんなら出来るから」。ここで、高畠塾生と再会の約束を再度交わす。しばしの休憩のあと出発。時計は1時20分。そろそろ眠る時間だ。いいいいや、寝たらいかんがな!安藤塾生と絶対に寝ないようにいろんなつまらない話をしながら進むが、途中の休憩のポイント間隔が短くなっていく。限界が近いと感じる。和気町につくころにはほとんど意識が朦朧としていた。時間は午前3時。ちょっと休憩のつもりが道路で寝ていたり。こりゃだめだめ、歩かないといけないと思いつつも体力はとうに限界を超えており、また先の「バナナパワー」も切れてしまい、とうとう失脚する。午前3時40分、私はリバーサイドで終わった。安藤塾生に「俺の分も歩け!!!」とわめき、私の到着と同時にリバーサイドを出発した増田塾生に「留実ちゃん、俺の分も頼んだよ、君ならできるから。歩け!!!」電話で伝え、サポートをしていただいていた小坂塾生に「小坂さん、なんで私は歩けないんですか」と詰問する。もうぼろぼろだ。小山事務局長に電話を入れる。「おお、さかもとか。残念だが君はよくやったじゃないか。」
あふれ出る涙を止めることが出来ない。
どうしても果たせない約束。高畠塾生との再会が果たせない。電話をする。「こめん、あんたとの約束を守りたかった。ごめん。もう僕には出来ない。許してほしい」と。情けない自分と電話の向こうで涙を流す高畠塾生は、同じ時間を共有する。電話を切ったあと、また泣いた。
人間は、つながっている。私はそう思っていつしか車内で眠りについていた。
4. 何を感じたか、そして次に何をしたいか
現代人が24時間以内に100Kmを歩くということは、普通ではない。しかし、出来ないことを出来るようになるのだ。
私の場合、これだけの準備をしていながら100Kmは走破できなかった。70Kmが限界であったということの背景に自分の精神力がある。明らかに現在の自分には精神力が足りない。どこかであきらめるポイントを探していないか?おそらくこういった自分への甘えが実現を阻んだのだと思う。あんなに悔しい100Kmはなかった。自分に悔しい。私を支えてくれた人に報いることが出来ず、申し訳ない。なんだか、最低の自分を一気にさらけ出したような気分だったが、これも自分の責任。
この100Kmにはドラマが存在する、といわれていた。その話は本当である。これ以上のドラマは存在しない。高畠塾生との果たせなかった約束とそれを打ち明ける無念さ、そして同じ立場で理解をしてくれた彼の心の温もりを忘れることはない。
来年の100Kmは実行委員長を引き受けた。おばあちゃんの葬式よりも、自分の結婚式よりも、子供の誕生日よりも、会社の設立記念日よりもすばらしいイベントに再度チャレンジする。人生最大のイベントがまた行われるのだ。今度こそ、歩いてみせる。自分に足らないものが解った以上、それを補い、完全なものにしようと自分に誓う。
5. おわりに
今回に関わっていただいたサポートの皆様、いつも励ましてくれた逢沢幹事、いつも気遣ってくれ、希望を与えてくれた同期のみんなや先輩方、本当にありがとうございました。
小山事務局長、バナナありがとうございました。あのバナナは、サポーターの皆様の総意だったのだと思っています。100Kmの過酷を貫くためにしていた心遣い。あのおかげで、私は100Kmこそは無理でしたが途中のスランプを脱出することができました。本当に感謝いたします。
今の私は、まだまだです。今回のご協力を形として必ず来年お返しします。
私は、既に来年の練習を始めています。自分をもっとドラマティックに変えるために。
【参考資料】--当日iPodに収録していた曲(ご入用の方はどうぞ)
ライブラリーはpdfファイルでご用意しています。
↓ご入用の方は、こちらをクリックしてください。
ライブラリー.pdf (66kb)
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