2005年 100km Walk
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◆竹内 健一(岡山政経塾 4期生)
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「2005年 100キロ歩行にリタイアして」
今回、100キロ歩行にチャレンジして、閉谷学校地点(58キロ)でリタイアしました。3日経過した今も身体中が痛く、身体の芯から「根性なし!」とお仕置きを喰らっている感じです。この痛みを感じながら、2005年100キロ歩行チャレンジを正直に振り返ります。少し長文になりますが、忘れないように準備段階から振り返ります。
■今年は挑戦するつもりはなかった
4月に入塾させていただき、5月3日4日に100キロ歩行があることを知りました。宇野さん、林さん、秋山さん、恒本さんから100キロ歩行の大変さも聞いていましたし、自分自身の体力(体重)を考えると1ケ月では無理だと考えました。今年は挑戦しないで来年は頑張ろうと考えていました。
「駄目は承知で挑戦しよう」という考えと「挑戦するからには完歩しないと」という考えが交差しましたが、松下政経塾は100%完歩することのこと。この時点では半端な状態で参加するのは辞めようと言い聞かせました。ただ、少し逃げ腰だったのかも知れません。
■入塾式の日に挑戦する事を決意
入塾式の日の懇親会で、100キロ歩行の紹介がありました。「やるのが当然!」という雰囲気に押されて、挑戦するのを決意しました。これは「100キロ歩行をする会?」と感じるくらい話題は100キロ歩行ばかりで少し戸惑う。ただ、秋山さん、恒本さんをはじめ、先輩方の熱心な話を聞いて、「頑張ろう!」と思いました。ただ、「絶対完歩するんだ」という気持ちはなく、「他の人と比べて恥ずかしくないようにしたい」とか半端な気持ちに進歩はなかったのです。
■100キロ歩行に向けた準備スタート
まずは現状認識を家族で行いました。
@ 妻「絶対太りすぎ!25キロの脂肪を荷物として背負っているんだよ、無理無理!」
A 娘「マラソンの人は皆、痩せている。パパはお相撲さんだから・・・」。
⇒85キロの体重を減らすことが重要
B 妻「健ちゃん全然歩かないでしょ。徒歩2分の駅までだって車で送らせるジャン」
C 娘「パパの筋肉プヨプヨで弱そう」
⇒人並みの筋力には程遠い。筋力をせめて人並みにつけることが重要
■トレーニング開始
道具とか作戦は後回しにし、日にちもないし、トレーニングを開始する。
@ 岡山駅から会社まで(1.2km)の往復は毎日歩く
A 出張、飲みのない日は夜1時間(6km)歩く。
B 休みの日は最低10km以上歩く。
C その他、事あるごとに歩いて移動する。
D 夜は毎日30分間のストレッチ
本番まではわずか3週間あまり、その間も出張や飲み会が多く入っているので、もっとハードなメニューも考えました。ただ、現実的に目の前の仕事や生活があり、100km歩行のために、仕事に必要以上の影響が出ると、そもそも岡山政経塾に入るときに決めたことに反し、目的を履き違えてしまう。少し甘かったかも知れませんが、これを本番まで完全に守るようにしました。それで、やっと人並みの筋力になれるかどうか・・・
■直前に作戦を考える
トレーニングは一応、自分が決めたルール通りに行いました。それでも1日に歩いた最高距離は20km、しかもその後2日間は超筋肉痛という有様でした。ただ、トレーニング開始時よりは少しは歩くのが苦でなくなり、筋力もわずかながらついた気もしました。体重は2kg減の83.5kg。これが思った以上に減らなかった。結局重い荷物を背負って歩くことは決定です。
続いて作戦ですが、「少しでも長く歩けるように考える」か「結果距離が稼げなくても、あくまでも100km完歩を目指した計画を立てる」かで迷いました。最終的には「あくまでも100kmを実現するための作戦」を立てることにしました。
経験者の話も人それぞれで、自分にどれが合うかわかりません。少ない練習の中から以下の2つの作戦を考えました。結果的にはこの作戦は成功しない・・・
@逃げ馬 大作戦
後半落ちることを考え、前半は出来る限りハイペースで行けるところまで行く。チェックポイントごとの目標タイムを設定し、50kmを20時に折り返す設定。後半は気合で何とか粘る
A月月火水木金金 大作戦
練習中に休憩を取ると、足が動かなくなることが多かった。ペースの事も考え、休みは最小限に留めてとにかく歩く。
■前日の不安
前日は仕事も早めに切り上げ、準備をする。衣類、テーピングなどをリュックにつめ、リュックを背負って体重計に乗ると、88kg。子供の頃、太った人を「池永玄太80kg」と馬鹿にしていたが、今やその1割増しか。痩せておけば良かったと反省。宇野さんからも「どうせ夕方にはリタイアするんじゃけん、上着なんかいらん」「寝袋持った?」などと有難いアドバイスをいただく。
明日訪れるであろう、苦痛と結果が怖くて眠れない。ただし、今回歩く人は全員成功したことがない人たちばかり、全員が不安なのだと考える。そう考えながら眠りにつく。夢で歩いている、リタイアする、目が覚める、朝5時だ。
■ 100キロ歩行当日
スタート〜15キロ・・・相当早く歩くが、前はもっと早い。でも順調。
16キロ・・・足の裏が痛くなり、止まって指などにテーピング。この後、指を庇った歩きになってしまう。
24キロ・・・チェックポイントで恒ちゃんに会う。前から6番目だそうだ。
28キロ・・・かなり疲れてきた。そこで宇野さんが休憩場所を作ってくれている、ここで休憩。伊丹さんとも出会う。ここで食べた「ヴィタインゼリー」は凄いエネルギーになった。
33キロ・・・下り坂で足が動かなくなる。指が痛いし、指を庇いすぎてふくらはぎにも痛みが出始める。靴下を履き替える。秋山さんや伊丹さんに抜かれる。
37キロ・・・上り坂で肉離れになった伊丹さんに出会う。ここから安藤さんと暫く一緒に歩くこととなる。
45キロ・・・宇野さん、林さんと会う。「十分100キロ行けるでえ、熊さん!」と声をかけられる。100km行けるかも、と正直少し期待を持つ。
50キロ・・・やっと辿り着き、オレンジを食べる。最高に美味かった。この時点で20時、なんと予定通りの時間で来ている。まさか・・・
50キロ〜53キロ・・・ここで、急に足が止まる。安藤さんにも先に行ってもらう。なかなか松下電機が現れない。道を間違えたか地図を確認するほど歩きが遅い。天国から地獄へ、リタイアが一気に現実味を帯びる、辛い、痛い。ローソンへは21時20分に到着。
53キロ・・・小倉さんと出会う。「その歩きだと、もう厳しいのでは。俺の初めてのチャレンジを見ているようだ」といわれる。恒ちゃんに電話し「もう駄目だ」と告げる。恒本さんからは「閉谷学校で待ってるんで、そこまで頑張りましょう!」と言われる。宇野にも電話する、宇野さんからは「あほか、閉谷で待っとるけえ、絶対けえよ」と言われる。仕方がないので、足をひきずってでも閉谷学校までは行こうと決める。
53キロ〜58キロ・・・かなり休んだが足は全く動かない。どんどん抜かれていく。宇野さんと林さんが車で応援に来てくれる。「熊かと思って死んだふりしようかと思った、頑張れ」と言われる。小山事務局長が車で来てくれ「もう無理だから辞めよう」と言われる。懐中電灯の電池がなくなる。暗闇、辛い、苦しい、悔しい・・・
58キロ・・・ようやく23時20分に到着。恒本さんより「ナイスチャレンジ!」と声をかけられ、少し悔し涙が出そうになった。悔しいが、ここでリタイア。
■100キロ歩行を通して学んだこと
@「完歩できたらいいな」の人は「何が何でも完歩してやる」の人を上回れない。
希望・願望レベルでは成功しない。それが100km歩行では準備段階、当日の動きの差に現れている。日ごろより、強い決意・こだわりを持って物事に当たらないと成功することは難しい事が再認識できた。
A努力したからといって完歩するとは限らない。ただ完歩した人は全員努力している。
自分なりには努力した部分もあったが甘かった。自分よりも努力して完歩出来なかった人もいると思う。だから来年に向けて努力をしても成功するとは限らないと思う。
ただ成功した人を見ると全員努力している。努力しないで成功することは有り得ないということだ。これは他の事柄でもそうだと思う。成功したかったら努力するしかないということがよく分かった。
B一人での成功は有り得ない
サポート隊のサポートは本当に有難かった。人間、苦しい時にしてもらった支援は強く印象に残り、感謝の気持ちを強く持つ。やはり仕事でも「困った人を徹底的に支援する」気持ちは大切にしたい。また、自分ひとりで生きているのではない事を肝に銘じ、周りの人への感謝の気持ちは絶対忘れないで行動したい。
※ 100キロ歩く会ではないので、100キロ歩行の技術的な学びは省略します。
来年は絶対完歩できるように、精一杯頑張ります。そして、100キロ歩行で学んだことをこれからの政経塾の活動などに活かしていきます。色々とありがとうございました。
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