2005年 100km Walk

 
◆忠澤 宏明(岡山政経塾 4期生)

「100キロ(本当は65キロ)歩行を終えて」




 歩けなかった。このことに言い訳はしません。高校の時に学校行事で100キロを歩き、直前に自転車で100キロの下見をのんびりと楽しみ、どこかでなめていたのでしょう。周りからは歩けて当然と言われ、自分も歩ける気でいました。そんな私にとって今回のリタイアは最高の結果でした。まずは、あっという間に終わってしまった私の65キロ歩行について順を追って正直に報告させていただきます。

・0〜10キロ地点
トップ集団で歩き始める。とにかく楽しかった。雲一つ無い空に感謝していた。「これを10回繰り返せばいいんや。」と、超楽観的。この時点で今思うとすでにアウト。

・10〜20キロ地点
永安橋付近からすでに一人。暑いため早速タンクトップ姿になる(致命的ミス)。入院中の祖父に写真を送るためにひたすらベストショットを求め写真を撮りまくる。このあたりで一平さんに歩き方の指導を受ける。頭の位置を変えずに歩くという3期の方々の卒塾式ですでに聞いていた歩き方をいまさら試す。更なるペースアップに感動するとともに準備不足だったのではという疑問が生まれ始める。

・20キロ〜30キロ地点
石碑までの4キロを時速7キロで歩く。石碑であえさんに「長袖を着て。」とアドバイスをいただいたにも関わらず、「日焼け止めを塗ってますから。」と意味の分からない返事をする。サポーターの方の言う事は絶対に聞くべきですね。あのときの私は本当にアホでした。その後、黒膳屋のうらのサークルKでアイスを食べる。あの味だけは忘れません。

・30キロ〜40キロ地点
まだまだ楽しく歩けていた。坂道が続き少しペースが落ちたものの目標時間の4時半過ぎには到着。歩けることを確信していた。自分の汗の量に気持ちよさすら感じていた。ゼリー系飲料がついに3本目。これもリタイアの一因となる。

・40〜50キロ地点
西日にかなり滅入っていた。「閑谷に向かっているのに何故西日を正面から浴びるのか」といらだつ。松本橋交差点で宇野さんにゼリーをもらう。4本目を飲み終わり、サークルKの前に来たときにお腹の中で何かが暴れだす。トイレに20分。精神的にも肉体的にもかなり弱まる。チェックポイントごとに送られてくる森脇さんの応援メールに初めて弱音を吐く。正直あの時点でリタイアしたいほどの腹痛だった。しかし梅干を食べて少し回復したため歩き続け何とか50キロ地点へ。

・50〜60キロ地点
50キロ地点で2番目に来る人を待つ。もう一人では歩けなかった。能登さんと最後まで歩ききる約束をする。何度も何度も「二度とあるくものか。」とつぶやく。足はまだまだ元気だったので腹をさすることに集中。しかしこの付近から腹痛以外に懐中電灯に酔うという症状が出始める。後で知ったが熱中症にかかっていた。すでに気力のみの戦い入ってしまうが、閑谷に着いた瞬間に倒れる。30分ほど寝る。そして元気になったつもりでまた歩く。しかし麓のローソンでまた倒れる。薬がいるほどつらかったが100キロはつらくて当たり前と自分を煽って出発。

・60〜65キロ地点
懐中電灯をつけると酔い、消すと道が見えない最悪の事態。度々座り込む。周りの気温が低いのか自分が寒気をしているのかが分からなくなる。藤野橋で三度目のダウンをし、車で休む。色んな方からリタイアを勧められる。泣きそうな位に悔しかった。しかし、その後の生活状況を考えるとあの時点でリタイアして本当に良かった。特に小崎さんの説得には感謝してもしきれないものがあります。その後、石山さんに我が家に送っていただく。こうして私の65キロは終わり、風呂でよく分からない涙を流しました。

これが私の65キロでした。改めて読み返して見ると本当になめています。しかし、これで良かったのです。この日のことは一生忘れません。82歳の祖父も私と共に戦ってくれて無事退院しましたし、私自身も数多くの発見がありました。このレポートを来年までに何度も読み返し、来年こそは完歩します。そして、副実行委員長としても頑張らせていただきます。

最後にサポート隊の皆さん、秋山実行委員長、横田副実行委員長、ならびにチャレンジャーの皆さん、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。