2005年 100km Walk

 
◆寺田 章人(岡山政経塾 4期生)

「嗚呼地獄の100キロ歩行」



 4期生のてらだです。まずはじめに結果と感想をお話します。

 結果は14時間弱の50キロ歩行に終わりました。感想は俺なりに自分の限界までよくやったとは思いますが、ただ100キロ完歩という本来の目的を達成できなかったことと、準備の大切さをあれだけ教えてもらったにもかかわらず何もしなかったことは非常に反省しております。ちょっとと言うか、かなりなめてました。すいません。
 しかし、すべて自分で招いたことなんで後悔はしていません。

 では何でこんな結果になったのか前日からの出来事を書きたいと思います。

前日 明日は100`歩行だなと朝ふと思い出しただけで朝から家にてビールを飲む
    そして夜、私の取引先の某氏から電話あり。お前のために前夜祭を開くとのことで呼び出される。一度は断るが最悪のコンディションで最高の結果を出すのが日本男児だという理由のわからないことを言われそのまま中央町の某キャバクラへ
    その後何件か周り帰宅、午前3時ごろちょっと不安になりながら就寝

当日 朝7時起床、目覚めもよくシャワーを浴びながらテーピング箇所のすね毛をそる
 ちょっとはずかしいわなどと思いながら一人で笑う。そして8時30分家から出てタクシーに乗り後楽園へ。着くとみんなのテンションが高く(当然だが)かなり昨日の行動に反省する。しかし「まーなんとかなるやろ」と自分に言い聞かせて不安を取り除く。

そしてスタート 一番最後尾から出発。最初は逢沢事務所の川本さんと歩く
 結構楽しいなとか思いながら途中で何人かに追いつきそしてまた一人に

10キロから20キロ地点  ちょっと疲れてきたが最後から3番目で沖田神社のチェックポイント通過。柳井さんに後90キロといわれ、「あと90キロなんだ」と素直に思いやる気が出てくる。今思えばまだ酔っていたのかもしれない。しかしここから100キロ歩行のつらさを痛感する。

20キロから30キロ地点  大富三叉路でようやく同期の坂本さん、花房さん、増田さ   んに会う。しかし歩くスピードが早くすぐにまた一人に。

 くるぶしと股関節が痛くなりますますペースダウン。
 でも、踏み切り付近で西原幹事に写真を撮ってもらうときにはしっかりポーズをきめる。26キロ地点から30キロ地点までは辛かった。ここらへんからもうやめたいなとかを考えたりする。

30キロから40キロ地点  体育館までの山道ではそろそろ俺も限界かなと思った。「でもまだ限界じゃないよな」とか自問自答しながらひたすら歩いた。途中対岸に体育館が見えたとき「まだあんなにあるのかよ」と思い本当にいやになってきたし、「足が痛いんじゃー」と叫んだりした。

40キロから50キロまで 体育館を出発するころには当たりは暗くなっていました。
 足は痛いし真っ暗だし急に不安になってきました。                       
 のどが渇いてきたのでとりあえず自販機までがんばろうと自分に言い聞かせて歩きました。そして自販機発見したとき売り切れのライトに愕然としました。
 みんな補給場所はおなじだなと。そして45キロから穂波橋まで時速1.6キロ歩行になりました。足が動かないので短パンの前を手で引っ張りながらの手動歩行にしました。そして穂波橋で男前の小山さんからよくがんばったといわれ背中をたたかれた瞬間、力が抜け私の100キロ歩行は終わりました。               
                
最後に はげましてくれたサポーターとチャレンジャーの皆様本当に感謝しています。
     とにかく書いていないけどいろんなことがありました。

 今回の100キロ歩行で学べたものは自分なりに多かったと思います。
ひとつには、結果と自分の限界までの努力が合致してないと意味がないということです。それを再確認しました。 
 そして、いま身体は90歳くらいのよぼよぼのおじいちゃんになりました。
 リタイアした瞬間は「もう二度としね−よ!!」と決めたのにレポートを書いている今は「来年の100キロ完歩に向けた戦術をたてないとな」と思っているおれはMなんだろうか・・・。ちがうは、悔しいんじゃい!!!!