2005年 100km Walk
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◆森本 美保子(岡山政経塾 4期生)
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「私の100q歩行」
「私の100q歩行」・・・。青年の主張のようなベタなタイトルになってしまった。
全くセンスのいいタイトルが浮かばない。後ろめたい気持ちの現れだと、誰かに指摘される前に、自己申告できる。
「はあ・・・。100qですか???」
多分もう半年以上前になるだろうか。飲んだ席で森脇先輩と交わした会話。
熱弁を振るわれる先輩の前で、鳩が豆鉄砲をくらったような顔でそう答えた4期入塾予定の私。
爽やか且つモナリザのような不気味におだやかな瞳で見つめていたその笑顔の意味は、年をまたいだ初夏の暑い蜃気楼によってその全貌を顕すこととなった。
「・・・意味がわからないんですけど???」と愛する柳井先輩にも聞いた。
「やったら分かるんよ。けどな、やらんと分からん。」子供だましのような当たり前ともとれる返答にも、まだ斜に構える自分がいた。・・・・文脈的には理解できる。
でも、感情的には、やっぱり、まだ、むしろ、わからない。そんな自分がいた。
そんな気持ちで臨んだ100q。だから私にとっては衝撃的だった。
もちろん、残業の上にベルト(業界的に毎日という意味です)で飲んで、練習の"れ"の字もなく、それで100qってアナタ、おこがましいでしょ、などと、適当な言い訳を自分に作ってはいたものの、終わってみると案の定の撃沈具合には、月桂樹の風合いの爽やかな風は言うまでもなく吹かなかった。
40q。40000m。備前の体育館まで。時間は多分、22時くらい・・・だったと思う。
前後不覚だったし、追歩してくださったサポーターの井本先輩と、河本先輩、愛してやまない柳井先輩、そして西原幹事、いろんな方々に申し訳ない気持ちと、悔しい気持ちと、でも泣けない情けなさ。
備前の体育館には、さらに愛してやまない“あえさん”がいると聞いていたけれど、到着した時すでに遅し。
体で感じる痛みより、心を突き抜ける痛さと寒さに震えを覚えた。こんな感覚に襲われたのは幾度めだろう・・・。
40qのうち、一人で歩いたのは多分5qくらいだと思う。実際はそんなにもないのかもしれない。
色んな行程があったけれど、一人で歩いている時、自分の中に浮かんでくる人たちは、私を作ってくれた人達ばかりで、そして、この人達は私に過分な愛を与えてくれたけれど、自分はこれまでどれだけのものを与えてきただろう。いつも当たり前のように生きてきたのではないの?・・・だめじゃん、そう思っていた矢先、車いすの中年男性と併歩すること15分程度。彼は私に「なんすか?今日」と質問してきた。
ことの次第を説明すると、彼は哀しそうな眼で「うらやましいです。頑張って」と言って路地を曲がっていった。
併歩しながらも、その気になれば私を簡単に置き去りにできる機械の速度をもちながら、置き去りにしなかった彼の真意は分かりかねるけれど、その出来事は確実に自分に衝撃を与えた。
私は、歩いています。地面に立って、身体的には自分の力で。
そして、これからも、歩ける限り、歩いていきます。いや、ほんとに。
ですが、歩き方がわからない時ばかりです。だから、一人では生きていけない。
精神的に一人ではそれは無理です。だから、共に、生きていきたい。前を向いて。まっすぐに。
40q地点から60q先には、何が見えるのだろう。朝日のような夕日を見ながら、そう感じた。
来年は、朝日を見てみたい。すがすがしく、タイタニックな体をひきずりながら。
そしてやっぱり、来年のタイトルも「私の100q歩行」にしよう。今度は、違う意味を込めて。
関係されたすべての皆様に、感謝致します。心からありがとうございました。
そして、改めて自分を生んでくれた両親に感謝。ニューハーフのような声も私は気に入ってます。
次回は、自分が描いた通りの自分になって帰ってきたいと思っています。
一平ちゃんにも足立さんにも未知の恋心をいだかなくては・・・・。
私なりに感じた100q歩行のテーマは「My way」
♪地に足付け、頭雲抜け、進め 前に 前に 前に。
手を伸ばせばこわくないから。それほどお前は弱くないから。
でもいつまでも側にいないから。進め 前に 前に my way・・・・♪
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